概要
北京大学 (Peking University) は、中国で最も伝統と権威がある大学であり、様々な面で中国の頂点に君臨している。世界的にもトップレベルの大学となっている。
伝統的に人文社会系の学部学科が強く、理学や医学もトップレベルにある。工学系は、清華大学などに比較すると劣る。
清朝末期の1896年に国家的な要請で北京に設立され、五・四運動や抗日で重要な役割を果たした。日中戦争の影響で、清華大学や南開大学(天津)などと西部に移転し、国立西南連合大学を設置した。新中国建国後、院系調整により理学部と文科系の学部のみとなった。その後徐々に学部を増やしていき、2000年代に総合大学に復活した。
北京大学の本部は、北京の中心である故宮から西北に少し離れた場所にある。この海淀区中関村には、清華大学や中国科学院の多くの研究所が近接してあり、中国のシリコンバレーと呼ばれている。
1. 名称・所管
(1)名称
・日本語表記 北京大学
・中国語表記 北京大学 略称 北大
・英語表記 Peking University
現在北京は、中国語でベイジンと発音し、英語でもBeijingと記すが、北京大学の英語はPeking Universityと記す。ただし略称の北大は中国語でベイダーと発音する。
(2)所管
国務院教育部の直轄大学である。
2. 本部の所在地
北京大学の主たるキャンパスは北京市海淀区にあり、市の中心である天安門広場から見て直線距離で約10キロメートル西北に位置し、やはり名門大学の清華大学に隣接している。西に清朝の庭園である頤和園、北にアロー戦争で破壊された円明園がある。
北京は華北平原の東北端にあり、南部以外は山に囲まれていて、市街地は山岳地域に囲まれた盆地にある。ステップ気候に属し、気温の年較差が大きい。夏は高温多湿となり、冬は低温乾燥で厳しい寒波が襲う。周囲には大きな河川がなく、度々水不足に見舞われる。
紀元前の戦国時代に燕の首都・薊が置かれたのが北京の始まりであり、以降長い中国の歴史の中で交通の要衝、北方異民族への防御の備えとして発展してきた。モンゴル人による元の時代には大都と称し、人口も100万を擁し、マルコ・ポーロも訪れた。続く明の時代に永楽帝が南京から遷都して北京と改称し、豪壮雄大な城郭を築いた。数十万の人口を擁し、江南に通ずる大運河によって経済的基盤を固め、首都として繁栄した。明を滅亡させた清も、北京をそのまま受け継いで首都とした。その後、蒋介石率いる国民政府が一時南京に首都を置いた以外、中国の首都は北京に置かれた。
3. 沿革
(1)京師大学堂の設立
北京大学の起源は、清末の戊戌の変法により1898年に成立した京師大学堂である。辛亥革命の前年である1910年には、経学、政法、文学、医科、農、工など8つの学部を持ち、約400名の学生が学ぶ規模となっていた。辛亥革命後の1912年、京師大学堂は「国立北京大学」に改称された。
(2)蔡元培学長と五・四運動
北京大学の基礎を築いたのが、1916年に学長に就任した蔡元培である。
蔡元培は、学術研究の発展と自由思想の校風の確立をめざし、学識の高い人材を積極的に北京大学に招聘した。招聘された人材には、中国共産党の基礎を築いた李大釗(り)と陳独秀、文学者魯迅等、先進的な知識人が数多くいた。これらの人材の活躍により、北京大学は中国における学術の中心のみならず、新文化運動の中心となっていった。また蔡元培は、全国の大学の中で初めて女子学生を大学に受け入れた。
1919年5月4日、ヴェルサイユ条約の内容とそれに対する政権の対応に強く反発した北京大学の学生らは、天安門広場で抗議集会を開いた後、ヴェルサイユ条約反対や親日派要人の罷免などを要求し、数千人の規模で抗議活動を行った。これがいわゆる五・四運動であり、独立と民主の精神に基づく極めて重要な大衆運動である。蔡元培学長の自由思想の校風の確立が、北京大学をして五四運動の起点としたと考えられる。
(3)西部への疎開と国立西南連合大学
1937年7月、日中戦争が勃発し北京市内が日本軍に占領されたため、北京大学は清華大学や天津の南開大学と共に、内陸部にある湖南省長沙に移動し、「国立長沙臨時大学」を開校した。日本軍は1937年11月には上海を占領し、12月に南京を占領した。このため、さらに大陸西部への移動を余儀なくされ、1938年5月「国立西南連合大学」を雲南省昆明で開校した。
1945年8月、日本の敗戦に伴い第2次世界大戦が終結し、3大学はそれぞれ元のキャンパスに復帰し、活動を再開した。その後の国共内戦で中国共産党が北京を占領し、北京大学も支配下に置いた。中国共産党は、五・四運動にちなみ1949年5月4日に北京大学指導委員会を設置し、これが北京大学の創立記念日となっている。
(4)院系調整と本部移転
1952年新中国政府は、全国の大学の学部・学科を統合再編する政策である院系調整を実施した。これにより、北京大学の工学部は清華大学などに移管された。逆に、清華大学の理学部、法学部、文学部は北京大学に移管された。さらに、1946年に北平大学医学院を吸収合併して医学部を有していたが、院系調整により医学部は分離独立して北京医学院となった。農学部は院系調整以前の1949年に、清華大学の農学部などと統合して独立した北京農業大学(現中国農業大学)となっていた。これらの結果、北京大学は理学部を有するものの工学部を有しない文科系の強い大学となった。
また、北京大学は天安門に近い沙灘にキャンパスを有していたが、中国政府は1919年に米国メソジスト監督教会により設置された燕京大学を閉鎖し、燕京大学のキャンパスがあった海淀区頤和園路に北京大学を移転させた。
(5)文化大革命と鄧小平による正常化
北京大学は文化大革命でも大きな役割を果たす。1966年、北京大学哲学科の教師であった聶元梓(じょう)らは、北京大学の指導部を批判する内容の壁新聞(大字報)を北京大学学内に掲示した。毛沢東や江青らがこれを支持し、聶元梓は北京大学が生み出した文化大革命の「英雄」となった。
文化大革命は、教育研究秩序の崩壊、校舎、教育研究機材などの器物損壊、大学の伝統の中断などを発生させ、大学に深刻な影響を残した。1976年に四人組が逮捕され、復活した鄧小平は大学入試の再開、国際交流の再開などを行い、大学の活動の正常化を進めた。
(6)新たな学部設置等による総合大学化
大学活動の正常化に伴い、北京大学は1952年の院系調整によっていびつな形になっていた学部の構成を徐々に変更していった。とりわけ、改革開放政策で経済が発展するにつれ、急激に増大する人材需要に応えるため、総合大学への歩みを強化した。
北京大学は、2005年に工学部を設置した。また、院系調整政策により医学部が北京医学院(1985年に北京医科大学と改称)として分離されていたが、2000年に再び合併して現在の医学部となった。
2000年代に入ってからの経済発展を受けて、北京大学は世界的なレベルの大学として大きく発展している。
4. 現在の指導部
(1)学長
龔旗煌(現学長は、1964年福建省生まれで、北京大学物理学科を卒業し、マンチェスター大学に留学した後、1991年に光学の研究で博士号を取得した。その後北京大学の教員となり、2017年に副学長、2018年に教務長などを歴任し、2022年より学長を務めている。1994年に理化学研究所での研究経験を有する。
(2)共産党委員会書記
郝平(い)現共産党委員会書記は、1959年山東省生まれで、北京大学で歴史学を専攻し、1982年に母校の事務局の職員となった。2005年北京外国語大学学長、2009年国務院教育部の副部長などを経て、2016年北京大学共産党委員会書記となった。2018年には北京大学学長に転任したが、2022年共産党委員会書記に再び就任した。
なお、大学における共産党書記の地位は高く、学長が教務を担当するのに対し、書記は校務を担当する。学長より学内序列の高い場合が多い。
5. 規模
(1)規模のデータ表
いくつかの指標で、北京大学の規模を示したのが下表である。学部学生数や専任教員数は中国の他の主要大学と比較してそれほど大きくないが、大学院生数、留学生数、総予算では、中国トップクラスとなっている。
北京大学 | 中国第1位の大学 | ||
学部学生数 | 16,372名(80位) | 鄭州大学 47,000名 | 詳細データ |
大学院生数 | 29,741名(3位) | 清華大学 38,850名 | 詳細データ |
留学生数 | 6,857名(1位) | 北京大学 | 詳細データ |
専任教師数 | 3,401名(13位) | 吉林大学 6,506名 | 詳細データ |
総予算 | 219.29億元(3位) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
(2)キャンパス
全体で6つのキャンパスがある。本部以外のキャンパスとして、医学部が本部と同じ海淀区にある海淀キャンパスに、科学研究基地が北京市郊外の昌平キャンパスに、ソフトウェア関係の学院がやはり北京市郊外の大興キャンパスにあり、この他、江蘇省無錫と広東省深圳にキャンパスを有している。
(3)学部
北京大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)のうち、哲学、経済学、法学、教育学、文学、歴史学、理学、工学、医学、管理学、芸術の大分類を有しており、農学はない。
(4)双一流学科建設
中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、北京大学は清華大学と共に自ら学科を選定しうる特別な地位にあり、全体で41の学科を選定している。このうち、人文社会系や芸術系の18学科を除いた理工学系、医学系の23学科は次の通りである。
○理学系(10) 数学、物理学、化学、地理学、地球物理学、地質学、生物学、生態学、統計学、力学
○工学系(7) 材料科学・工学、電子科学・技術、制御科学・工学、計算機科学・技術、ソフトウェア工学、環境科学・工学、機械および航空宇宙製造工学
○医学系(6) 基礎医学、臨床医学、口腔医学、公共衛生・予防医学、薬学、看護学
(5)附属医院
北京大学は、以下の6つの直属医院と4つの共建医院を有する。
○直属医院
・北京大学第一医院(北京大学第一臨床医院)
・北京大学人民医院(北京大学第二臨床医院)
・北京大学第三医院(北京大学第三臨床医院)
・北京大学口腔医院
・北京大学腫瘤医院
・北京大学第六医院(北京大学精神衛生研究所)
○共建(共同建設・運営)医院
・北京大学深圳医院 広東省深圳市政府と共同運営。
・北京大学首鋼医院 首都鉄鋼会社と共同運営。
・北京大学国際医院(北京大学第八臨床医院) 方正集団と共同運営。
・北京大学浜海医院(天津市第五中心医院)天津市と共同運営。
6. 研究開発力
(1)研究開発力のデータ表
北京大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、NSFCの面上予算獲得は下記(3)を参照。
北京大学はSCI論文数とNature Indexで、中国で3位であり、上位にあるのは中国科学院大学と清華大学(SCI論文数)、中国科学院大学と中国科学技術大学(Nature Index)である。
中国科学院大学では、中国科学院の100以上ある研究所の研究者が、研究生として個々に採用された大学院生と共に研究を実施し、論文を作成している。したがって、他の大学とは違うシステムとなっているため、別扱いをすべきである。
北京大学 | 中国第1位の大学 | ||
SCI論文数 | 3位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
Nature Index | 3位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
国家重点実験室数 | 8か所(3位) | 清華大学 13か所 | 詳細データ |
NSFC面上項目予算 | 6位 | 上海交通大学 | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
北京大学には、以下の8か所の国家重点実験室がある。中国の大学で最も多いのは、清華大学の13か所である。これで見ると、北京大学は理学系やライフサイエンス系が強い。
・人工微細構造とメソスコピック物理
・乱流・複雑システム
・核物理・核技術
・地域光ファイバ通信網・新型光ファイバ通信システム
・タンパク質・植物ゲノム研究
・天然薬物および生体模擬薬物
・膜生物学
・環境模擬・汚染制御
(3)NSFC面上項目予算獲得
日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で北京大学は中国全体で6位である。北京大学がそれほど高くないのは、プロジェクト型の資金や民間資金が多く流入しているためと想定される。
個別の分野での順位で10位以内として、数理(数学、物理、天文学、力学)で2位、医学で4位となっている。
7. 国内および国際的な評価
(1)国内および国際的な評価のデータ表
中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また中国校友会が、各大学の卒業生の中で、中国科学院院士、中国工程院院士、中国社会科学院学部委員、主要な科学技術賞受賞者、大学の学長、著名な医師などの数を指標としたランキングも併せて示した。
これで見ると北京大学は、清華大学と並んで中国トップ大学であり、国際的にも優れた大学となっている。
北京大学 | 中国第1位の大学 | ||
教育部ランキング | 2位 | 清華大学 | 詳細データ |
校友会ランキング | 1位 | 北京大学 | 詳細データ |
QSランキング | 世界12位 中国1位 | 北京大学 | 詳細データ |
THEランキング | 世界16位 中国1位 | 北京大学と清華大学 | 詳細データ |
校友会傑出人材 | 1位 | 北京大学 | 詳細データ |
(2)ノーベル賞受賞者
北京大学出身のノーベル賞学者は3名いる。1957年に「素粒子におけるパリティ対称性の破れ」の理論によりノーベル物理学賞を共同で受賞した楊振寧と李政道は、いずれも日中戦争中の国立西南連合大学の卒業生である。
また、北京大学医学部出身の屠呦呦は、「マラリアに対する新たな治療方法の発見」で2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
(3)九校連盟
2009年10月に、北京大学、清華大学、浙江大学、上海交通大学、復旦大学、南京大学、中国科学技術大学、ハルビン工業大学、西安交通大学の9校が、相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。これは「九校連盟」と呼ばれ、中国版の「アイビーリーグ」とされている。
8. 国際性
少し古いが、2018年12月の情報によると、北京大学は世界60以上の国と地域の380以上の大学や研究機関との間で協力関係を確立している。
2005年、北京大学とコーネル大学は、コーネル大学に中国・アジア太平洋研究専攻を設立する協定に署名した。この協定では、学生はインターンシップで働きながら北京大学で学期を過ごす必要がある。
2006年、北京大学はイェール大学との共同学部プログラムを開始した。このプログラムでは、学生は1学期を海外で過ごし、受入機関の学生と一緒に生活し、勉強する。
北京大学の国際学部は、ロンドンスクールオブエコノミクス、パリ政治学院・国際問題学部、早稲田大学、東京大学、ソウル国立大学との共同学位プログラムを有している。
北京大学は大学内にスタンフォードセンターを有し、スタンフォードの学生や研究者のための共同研究センターを運営している。
9. 特記事項
(1)著名な学長や教師
北京大学は、名実ともに中国の最高学府であり、著名な学長や教師が存在した。以下に数名の著名人を挙げる。
①蔡元培(1868年~1940年):清朝末期に官吏となるも下野して革命運動に身を投じ、辛亥革命後の1916年に北京大学学長に就任し、自由闊達なる校風の確立に寄与した。1923年に北京大学学長を辞した後、1927年には中央研究院の院長に就任している。
②陳独秀(1879年~1942年):1901年に日本の成城学校に留学し、日本において革命運動に参加した。1915年に帰国し、雑誌「新青年」を上海で創刊し、伝統的な儒教や家族制度を廃絶して西洋文明の原理を取り入れるべき(新文化運動)と主張した。1917年に北京大学の文科科長に就任した。1921年に中国共産党の結党に参加し、初代の総書記に選出された。
③魯迅(1881年~1936年):1902年に日本に留学し、現在の東北大学の医学部で学ぶ。1906年には「狂人日記」を執筆し、文学によって救国を目指した。1920年から北京大学の非常勤講師として、中国小説史を担当した。
④李大釗(1889年~1927年):1913年に日本に留学し、早稲田大学政治学科で学んだ後、1917年に北京大学教授兼図書館長に就任した。1921年に中国共産党の結党に参加したが、1927年に逮捕され張作霖によって絞首刑に処せられた。
⑤胡適(こせき、1891年~1962年):1910年に米国に留学し、コロンビア大学のデューイの下で哲学を学んだ。1917年に博士号を取得の後帰国し、北京大学教授となって文学と哲学を教えた。1939年のノーベル文学賞の候補者となったが受賞には至らなかった。戦後の1946年に北京に戻った北京大学学長に就任したが、蒋介石を支持したため1949年に米国に亡命し、その後台湾に移った。
(2)著名な卒業生
北京大学は中国きっての名門校であるゆえ、多くの著名な政治家や行政官などを輩出している。ここでは、ノーベル賞受賞者の3名を取り上げる。
①楊振寧(1922年~):楊振寧は1938年に国立西南連合大学に入学し、化学科を経て物理学科で勉学に励んだ。1945年にシカゴ大学に留学し、エンリコ・フェルミ教授に師事した。1956年に李政道と共に、素粒子間の弱い相互作用においてはパリティ(対称性)が保存されないとの理論を提唱し、翌1957年のノーベル物理学賞を共同受賞した。
②李政道(1926年~):李政道は1943年に浙江大学に入学し、翌1944年には国立西南連合大学に転学した。1946年にシカゴ大学に留学し、楊振寧と同様にフェルミに師事した。1957年に楊振寧と共に、ノーベル物理学賞を共同受賞した。
③屠呦呦(1930年~):屠呦呦は1951年に、北京大学医学部薬学科に入学し、漢方薬の生薬を専攻した。1955年に中医研究院(現在の中国中医科学院)に配属された。屠呦呦は1972年にマラリアの新しい特効薬「アルテミシニン」を発見し、この功績により2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
参考資料
・北京大学HP https://www.pku.edu.cn/
・百度HP https://baike.baidu.com/item/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6?fromModule=lemma_search-box
・林幸秀『北京大学と清華大学』2014年 丸善出版
・JST・CRDS報告書 「中国主要四大学~圧倒的な人材パワーで世界トップレベルへ~」https://spap.jst.go.jp/investigation/downloads/r_201309_01.pdf
・紺野大介『中国の頭脳 清華大学と北京大学』 2006年 朝日選書