はじめに

 宇宙開発というとロケットや人工衛星の利用がすぐに頭に浮かぶが、宇宙を探求しようとする天文学などの宇宙科学も重要である。

1.宇宙科学の歴史

(1)天文学の歴史と宇宙科学

 天文学は、天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う自然科学の一分野である。古代から発達した学問でもあり、バビロニアやギリシア、中国やインドなどでは天文学が重要視されて天文台が建設され、宇宙の根源についての考察が開始された。天文学が暦、気候予測などに関連しており、それが古代の統治制度に組み込まれていたのである。
 天文学が大きく前進したのはルネサンス期以降であり、コペルニクスの地動説、ケプラーの惑星運動研究、ニュートンの天体力学と重力の法則、ガリレオの望遠鏡による天体観測などが相次いだ。その後、20世紀に至るまで望遠鏡の性能向上、分光器や写真技術の開発と向上などにより、天文学はさらなる進歩を遂げた。

 1957年のソ連によるスプートニク1号打ち上げにより、人類は大気圏外の事象を直接観測する手段を手に入れたことになり、天文学に画期的な変革をもたらした。それ以降、米国とソ連を中心に数多くの人工衛星などが打ち上げられるが、通信放送、地球観測、気象観測などと並んで、宇宙空間の知見を拡大する宇宙科学も、衛星などの打ち上げの重要な目的の一つとなった。

 宇宙科学に利用される衛星などの宇宙機は、宇宙探査機と科学衛星に大別される。宇宙探査機は、地球以外の天体などを探査する目的で地球軌道外の宇宙に送り出される宇宙機である。宇宙空間そのものの観測(太陽風や磁場など)、月、太陽系の惑星、太陽、彗星、小惑星などの探査を目的とする。一方科学衛星は地球近傍に置かれる人工衛星であり、搭載するセンサの違いにより観察する宇宙現象が異なる。センサは、ガンマ線、X線、紫外線、可視光線、赤外線、マイクロ波、電波などを検出する。

(2)月探査

 宇宙探査機を使った宇宙科学において、1957年のスプートニク1号打ち上げ以降、最初に米国とソ連の宇宙開発競争が始まったのは、地球に最も近い天体である月の探査である。

 1959年1月に打ち上げられたソ連のルナ1号は、2日後に月の近傍約6千キロメートルまで接近し、月の観測を行った後、地球と火星の間で太陽を回る人工の惑星となった。同年9月打ち上げられたルナ2号は、月に到達し「晴れの海」に激突した。さらに同年10月に打ち上げられたルナ3号は、月を回った後地球に帰ってきたが、その際月の裏側の写真を撮影し地上に送信してきた。

 ソ連の成功に追いつくため、米国は1961年アポロ計画を宣言するとともに、月の近接観測を行うレインジャー計画を開始し、続いてサーベイヤー計画を1966年から1968年にかけて実施した。しかし、無人での月探査競争は依然としてソ連が先行し、1966年2月にルナ9号が米国のサーベイヤー1号より4か月早く月面軟着陸に成功した。さらに1966年4月には、ルナ10号が世界で初めて月の軌道に投入され、月の衛星となった。

 1969年7月、アポロ11号の2名の宇宙飛行士が、着陸船で月面に到着し、月面を歩いた初めての人類となった。1970年代半ばまで、米国とソ連により有人無人併せて65回に上る月面着陸が行われ、数々の観測や月の石などのサンプル収集が行われた。1976年に打ち上げたルナ24号を最後に、ソ連は金星と宇宙ステーション、米国は火星およびそれ以遠を目指すようになった。

 月探査を再び点火したのは日本で、1990年「ひてん」を月に送り込み、月の軌道に到達した3番目の国になった。米国は、1994年に探査機クレメンタイン、1998年にはルナ・プロスペクターを打ち上げて月探査を再開する。ESAも2003年9月に、月周回探査機スマート1号を打ち上げ、月周回軌道に入れることに成功した。2007年から2008年にかけて、日本は「かぐや」、中国は「嫦娥」、インドは「チャンドラヤーン」を月探査に投入し、各国の月探査活動が活発になっていった。

(3)内太陽系探査

 太陽に近い内太陽系の惑星探査も、月面探査競争と並行し、主に米ソを中心として行われた。ソ連は、1970年に金星にヴェネラ7号を送り込んで軟着陸に成功し、初めて金星表面の写真撮影や金星の温度・気圧などを測定した。

 一方米国は、1973年にマリナー10号を打ち上げ、翌年金星に接近した後、水星の近傍まで到達し、大小無数のクレーターに覆われた水星の表面写真を電送してきた。そして探査機を用い、金星・水星・火星に接近して写真撮影を行った。

 火星探査は、ソ連による1962年のマルス1号により開始されるが、通信途絶による失敗が相次ぎ、米国も1964年に打ち上げられたマリナー3号が通信途絶により失敗している。1971年には、ソ連がマルス3号を送り込んで軟着陸に成功したが、大規模な砂嵐の中に着陸したため、20秒後に信号が途絶えた。火星探査で初めての成功を収めたのは、1975年に米国により打ち上げられたバイキング1号であり、火星近傍に到達後、着陸機を火星表面に降ろして火星地表の写真を撮影し、様々な科学探査を行った。

 ESAは2003年、火星探査機マーズ・エクスプレスを打ち上げ、火星周回軌道に到達させ数々の成果を挙げた。

(4)外太陽系探査

 火星より遠くの宇宙探査は米国の独擅場であり、パイオニア10号、11号、ボイジャー1号、2号を次々と打ち上げている。

 パイオニア10号は、1973年3月に打ち上げられ、同年末に木星に最接近して、写真撮影を行った。1983年6月には海王星の軌道を越えて太陽系の外縁を飛び出した後、1993年に探査機としての使命を終えている。パイオニア11号は、1973年4月に打ち上げられ、木星に接近した後、1979年に土星に最接近し土星の特徴である環の写真を地上に送信し、太陽系外まで出て1995年に消息を絶っている。ボイジャー1号と2号は、1977年8月に立て続けに打ち上げられ、木星、土星を撮影・調査した後、天王星、海王星を初めて探査した。なお、これら4機の探査機には、異星人あてのメッセージが積み込まれている。

(5)彗星探査

 ハレー彗星は76年ごとに地球に接近するが、1986年の接近を契機に、各国が探査機を打ち上げ、科学調査を行った。日本の宇宙科学研究所(現JAXA)は、1985年に「さきがけ」と「すいせい」を打ち上げ、自転の周期や彗星と太陽風の相互作用の観測を行った。ソ連は、1984年に金星探査のために打ち上げたヴェガ1、2号を、金星でのミッション終了後ハレー彗星に接近させ、彗星の核の写真撮影に成功した。ESAは、1985年にジオットを打ち上げ、彗星の一番近くまで接近し、核の鮮明な写真を地球に届けた。ハレー彗星の核は、長さ15キロメートル幅8キロメートルの黒い表面をした物体で、太陽に向かって噴出しているという観測結果であった。

(6)小惑星探査

 最初に小惑星探査を行ったのは米国の木星探査機ガリレオであり、1989年にスペースシャトルから発射され、木星に向かう途中であった1991年と1993年に小惑星帯を通り抜ける際、それぞれガスプラとイダの撮影を行い、映像を送ってきた。続いて、米国のNEARが地球近傍小惑星探査を目指して1996年2月に打ち上げられ、1997年7月にマティルドへ接近して表面を写真撮影し、続いて2000年2月にエロスへ到達し写真撮影の後、2001年2月に軟着陸して科学探査データを送信してきた。

 日本は、小惑星からのサンプルリターンを目指し、「はやぶさ」を2003年5月に打ち上げた。2005年9月には小惑星イトカワとランデブーし、 約5か月間カメラやレーダなどによる科学観測を行った。はやぶさは約30分間イトカワ表面に着陸することに成功し、再び離陸した。着陸の衝撃でイトカワの埃が舞い上がり、極めて少量ではあったが資料サンプルの回収に成功した。2010年6月、サンプル容器が収められていたカプセルは、はやぶさから切り離されて、パラシュートによって南オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸し、翌14日に回収された。はやぶさの本体は大気中で燃えて失われた。

(7)科学衛星

 スプートニク1号の打ち上げ以降、未知なる宇宙空間を科学することを目的として数多くの科学衛星が打ち上げられた。最初に成果を挙げたのは1958年1月打ち上げの米国のエクスプローラー1号で、搭載した宇宙線測定器によりヴァン・アレン帯を発見している。

 科学衛星は、観測する電磁波の波長ごと、具体的にはガンマ線、X線、紫外線、可視光線、赤外線、マイクロ波、電波などに分けて分類される。複数の観測装置を有する科学衛星もある。科学衛星の中で天体望遠鏡を搭載したものを、宇宙望遠鏡と呼ぶこともある。

 これらの科学衛星の分野でも米国とロシアの実績は圧倒的であり、欧州や日本も数は少ないが健闘している。特に日本は、1979年2月に打ち上げられたX線科学衛星「はくちょう」は、小田稔博士考案の「すだれコリメータ」を用いて銀河から降り注ぐ爆発的なX線を捕らえ、この分野の観測で世界を牽引した。その後も日本は、「てんま」、「ぎんが」、「あすか」、「すざく」などを次々と打ち上げ、X線天文学を主導した。

(8)宇宙望遠鏡

 地上の望遠鏡を人工衛星に搭載し、地球の大気の影響を受けることなく宇宙の観察を行う科学衛星は、宇宙望遠鏡と呼ばれる。望遠鏡というのは、遠くにある物体を可視光線、X線・電波などで捕えて観測する装置であるため、科学衛星全体を宇宙望遠鏡と呼ぶこともある。

 最も有名な宇宙望遠鏡は、米国が1990年にスペースシャトルのディスカバリー号から打ち上げたハッブル望遠鏡である。約600キロメートル上空の地球軌道を周回しており、本体は長さ約11メートル重さ11トンの筒型で、内部に直径2.4メートルの鏡を持つ反射望遠鏡を搭載している。名称は、宇宙の膨張を発見した米国の天文学者であるハッブルに由来している。成果としては、シューメーカー・レヴィ第9彗星と木星の衝突、太陽系外恒星における惑星の存在、銀河系を取巻くダークマターの存在、宇宙の膨張速度の加速、ブラックホールなどがある。

2.中国の天文学、宇宙探査の歴史

(1)中国の天文学の始まり

 古代文明は天文学を重要視していたが、中国でも天文学は非常に長い歴史を持っており、中国の青銅器時代である殷(紀元前17世紀頃から11世紀)の中期にさかのぼる。その後の戦国時代には、紀元前4世紀頃からの天文観測の記録が残っている。中国の古代王朝が天文学を重要視した理由の一つは暦にあり、暦は王朝の権力と統治の象徴と考えられていた。王朝の盛衰と共に、その時代の天文学者と占星術師はしばしば新しい暦を用意し、その目的のために観測をした。

 古代の中国では、月の満ち欠けを基本とした太陰暦が用いられたが、29ないし30日からなる「月」を12回繰り返して一年とする太陰暦では一年は約354日となり、地球の公転による一年の約365日に比べて約11日短く、3年過ぎると約1ヶ月のずれとなる。そこで太陽の運行を参考にしつつ「閏月」を足して暦と季節のずれを正す方法が用いられ、閏月を何時入れるかを決定するための天体観測が、王朝統治の重要事項であった。

(2)偉大な天文学者・張衡の出現

 歴史上最初に出現した中国の偉大な天文学者が張衡である。張衡は、後漢時代の紀元後78年に現在の河南省南陽市に生まれ、洛陽と長安の官吏養成所に学び、24歳の時に故郷の南陽の下級官吏となった。30歳頃より天文学を学び、力学の知識を用いて次々に新しい発見を行った。円周率を計算し、2,500個の星々を記録し、月と太陽の関係も研究した。また、月は球形であり月の輝きは太陽の反射光だとし、月食の原理も理解していた。さらに月の直径も計算したとされ、太陽公転の1年を365日と1/4と算出した。このほか、世界で初めてと考えられる地震感知器も独自に作成し、これを用いて500キロメートル離れた地点の地震を感知することができたという。

(3)日本の暦にも影響を及ぼした郭守敬

 張衡の出現から1000年以上経過した中国に、もう1人の天才天文学者が現れた。郭守敬がその人であり、彼は1231年に河北省邢台市に生まれた。祖父が算術、水利学、五経に通じた学者だったことから、郭守敬も小さい頃からこれらの学問に親しんだ。1262年に元朝皇帝の世祖(クビライ)に拝謁してその才を認められ、灌漑路の修復に尽力して世祖の信頼を得た。

 元では、旧王朝が採用していた暦を修正し使用していたが、日食・月食などの天文現象と合わないため、1276年世祖は郭守敬らに対し暦の改定作業を命じた。郭守敬らは、当時の世界最先端であったアラビアの天文学を援用し、観測装置を改良して天体観測を続け、1280年に新しい暦である「授時暦」を作成して世祖に提出した。この授時暦はモンゴル帝国内外に頒布され、翌年から元朝末期まで用いられ、さらに元を倒して成立した王朝である明でも「大統暦」と名を変えたのみで利用され続けた。そして、明末に西洋天文学を利用して作成された「時憲暦」が導入されるまで364年間使用され、中国歴代最長の暦となった。

 なお日本でも江戸時代の天文学者渋沢春海は、この郭守敬が作成した授時暦を非常に優れた暦であると考え、そのうえで地球の公転軌道の円から楕円への変更や中国と日本の経度の違いに係る補正を加えて「大和暦」を作製した。これが、1684年に「貞享暦」として朝廷に採用された。補正と貞享暦採用の経緯に係るエピソードは、2010年の吉川英治文学新人賞を受賞した沖方丁著「天地明察」で取り上げられ、また同名の映画が滝田洋二郎監督作品として2012年に公開されている。

3.嫦娥計画など

(1)出遅れた宇宙科学

 現代の中国の宇宙開発は、初めに両弾一星政策による軍事技術の開発があり、それが一段落したところで実用的な通信利用や地球観測が行われ、科学的、学術的な天文探査などは遅れてスタートしている。

 宇宙科学の最初の大型プロジェクトである嫦娥計画は、中国の月探査計画であり、2003年3月に開始された。嫦娥とは、中国で月にちなむ女神のことである。嫦娥計画は、大きく探査計画、着陸計画、滞在計画の3段階に分かれる。

(2)探査計画1~月軌道周回

 嫦娥計画による第1段階の探査計画には、さらに月軌道の周回、探査機の着陸、月のサンプルリターンという3段階があり、すべて無人で行われる。2018年現在、嫦娥計画はこの探査計画で月軌道の周回の段階を終了し、探査機の着陸の段階まで進んでいる。

 2007年10月、嫦娥1号が西昌衛星発射センターから打ち上げられ、月の高度約200キロメートルのところを1年間にわたって周回し、科学的な探査を行った。嫦娥1号は、CCD立体カメラ、レーザ高度計、画像分光器、ガンマ線分光器、X線分光器、マイクロ波測定器などを搭載しており、月面の3次元映像の取得、月の表土の厚さの調査、月と地球の間の環境の調査などを調査した。

 2010年10月、嫦娥2号が西昌衛星発射センターから打ち上げられ、数回の軌道修正の後、月面から高度 18.7キロメートルのところまで接近して、虹の入り江地域を撮影した。設計は嫦娥1号とほぼ同じであるが、解像度10メートルの高解像度CCDカメラを搭載していた。撮影された画像は、次の嫦娥3号の着陸地の選定にも使用された。

(3)探査計画2~探査機着陸

 2013年12月には、嫦娥3号が打ち上げられ、12日後に嫦娥3号から着陸機が月面へ降ろされ軟着陸に成功した。これにより中国は、旧ソ連、米国に続き、月面軟着陸を成功させた3番目の国となった。

 この着陸機には、月面車「玉兎」のほか、科学観測を行う機器を搭載していた。また、約2週間も続く月の夜も活動できるように、プルトニウム電池を電力源として搭載していた。着陸機に搭載していた紫外線望遠鏡により、世界初となる月面からの天体観測も実施している。

 玉兎は、着陸翌日に着陸機内部から月面に降ろされ、活動を開始した。玉兎は、重量が約120キログラムであり、6つの車輪によって移動し、底面のレーダにより月の内部の構造変化を観測できるものであった。動力源は太陽電池であり、夜間は活動を休むことになる。活動開始後、およそ1か月後の2014年1月下旬に制御異常が公表され、関係者により修復努力がなされ通信は回復したものの自走が不可能となり、2016年8月、稼働が停止したことが公表された。

 中国は嫦娥3号に続き、着陸機と月面車を搭載した嫦娥4号を打ち上げる計画を現在進めている。嫦娥4号では、月の裏側、つまり地球から直接見ることができないところに着陸機を下ろし、月面車により探査を行う計画である。2018年5月には、月の裏側での嫦娥4号の活動をサポートするためデータ中継通信衛星「鵲橋」を打ち上げ、所定の軌道に無事投入している。嫦娥4号の打ち上げは、2018年末を予定している。

(4)探査計画3~サンプルリターン

 探査計画の第3段階として、採取した月面のサンプルを地球に持ち帰るサンプルリターンに向けた嫦娥計画が、現在進められている。

 サンプルリターンに向けた準備段階として、地球周回軌道より遠くからカプセルを大気圏に再突入させ地上で回収する作業の確認のため、2014年10月試験機である嫦娥5号T1を打ち上げた。嫦娥5号T1は、月に向かい月の裏側を経由して地上に帰還する軌道に投入された。9日後に、嫦娥5号T1から切り離されたカプセルは大気圏に再突入し、無事に内モンゴル自治区で回収された。

 近い将来、嫦娥5号が打ち上げられ、月面への軟着陸を行って、月面のサンプルを採取し地球に持ち帰ることになる。

(5)着陸計画、滞在計画

 嫦娥計画は遠大な構想であり、第1段階の探査計画が終了した後、着陸計画と滞在計画が予定されている。これらは有人による計画であり、着陸計画は宇宙飛行士を月面に送り、各種実験を行うもので、滞在計画は着陸計画の成果を踏まえて、月面に基地を建設し、宇宙飛行士を長期間滞在させることを想定している。

 月に人間を着陸させた国は、アポロ計画による米国しかなく、成功すれば世界で2番目の国となる。しかし、そのためには例えばより巨大な打ち上げロケットの開発等、クリアすべき課題が多い。

(6)月探査以外の科学衛星

 嫦娥計画以外の科学衛星としては、中国とESAとの協力による「双星」計画がある。双星は、中国が初めて打ち上げた地球磁場観測衛星であり、赤道衛星TC-1と極衛星TC-2の2つの人工衛星から成る。それぞれ2003年と2004年に打ち上げられ、地球の磁気圏尾部の観測や、磁極で起こる物理プロセスとオーロラ発生の解明などを行った。

 最近では、「悟空」という愛称を有する暗物質粒子探測衛星(Dark Matter Particle Explorer:DAMPE)があり、2015年12月に酒泉衛星発射センターから打ち上げられている。この悟空は、高エネルギーのガンマ線、電子線、宇宙線などを測定し、ダークマターを探査する予定である。

4.国際的な比較(2019年時点で)

 以下の記述は、2019年の時点でのものである。したがって、2023年現在では少し変化していると想定されるが、参考としてそのまま掲載する。

 JST報告書では、太陽系探査、天文・宇宙物理観測、地球周辺空間観測・太陽風・太陽観測の3つの要素で、宇宙科学を評価している。

太陽系探査として、月、小惑星・彗星、火星と衛星系、金星、水星、木星と衛星系、土星と衛星系、天王星・海王星、太陽系外縁天体の探査がある。米国が圧倒的で、他国に唯一後れているのは金星探査であり、旧ソ連が1970年にヴェネラ7号などで着陸に成功しているのに対し、米国は成功していない。欧州、ロシア、日本が太陽系探査で続いているが、木星以降については米国の独壇場で、これらの国と米国とではかなりの距離がある。中国は、現在のところ嫦娥による月探査のみとなっている。

天文・宇宙物理観測は、ガンマ線・X線・紫外線・可視光・赤外線・電波・宇宙線など観測する波長・粒子によって大別される。米国がすべてで先行しており、欧州、日本が続いている。日本は、X線観測で世界的な成果をこれまでも出してきている。ロシアは、電波観測のみに実績がある。中国は、2015年の評価の時点では中国は対象の衛星を打ち上げていないため低い評価となっている。

 地球周辺空間観測・太陽風・太陽観測でも米国が圧倒的であり、日本、ロシア、欧州はそれぞれ実施していない観測があり、観測機打ち上げも少ない。中国はESAと共同で「双星」計画を進め、2003年と2004年に衛星を打ち上げて地球磁場観測を実施したが、それ以外の観測実績はない。

 これらの評価をまとめたのが次表である。米国が圧倒的であり、かなり離れて欧州と日本が続いている。ロシアは旧ソ連時代に米国と宇宙競争を行った実績があるものの、現在の宇宙科学の水準は高くない。

中国は、すでに述べたように軍事目的の宇宙開発が先行し、その後民生用や有人宇宙開発が進められたが、宇宙科学へのリソース投入は、2000年代に入ってからである。したがって現在までの実績が圧倒的に不足しており、ロシアにも追いついていない。ただし、ダークマターを探査するため「悟空」を打ち上げたり、嫦娥計画を中心とした月探査計画を精力的に進めたりしていることもあり、今後国内の科学コミュニティが成熟してくると、もう少し日本や欧州に接近してくると想定される。

表 宇宙科学 評価結果(2015年版)

評価項目満点中国米国ロシア欧州日本
太陽系探査20419.5997.5
天文・宇宙物理観測200200.515.510
地球周辺空間観測 ・太陽風・太陽観測2022043.54.5
合計60859.513.52822
(出典)『世界の宇宙技術力比較(2015年度)』を基に作成