はじめに
首都医科大学 (Capital Medical University) は、中華人民共和国建国後に開校した比較的新しい大学である。
23の附属病院を有するなど、中国屈指の大規模な医科大学である。
北京市内にある医学教育機関の中で、伝統を有する北京大学医学部と北京協和医学院に次ぐ位置を占める。
1. 名称と所管
(1)名称
・日本語表記 首都医科大学
・中国語表記 首都医科大学 略称 首医大 首医
・英語表記 Capital Medical University 略称 CMU
(2)所管
北京人民政府、教育部、国家衛生健康委員会の共管大学である。
2. 本部の所在地
メインキャンパスは、北京市豊台区右安門外西頭条10号(北京市丰台区右安门外西头条10号)である。
豊台区は、紫禁城や天安門広場などの北京中心部からみて、南から西南に位置する。豊台区には、北京西駅がある。また同区には、盧溝橋のある永定河が流れ、抗日戦争紀念館が建っている。
3. 沿革
首都医科大学は、中華人民共和国建国後の1960年に設立された北京第二医学院が前身であり、比較的新しい医学高等教育機関である。
中国の首都である北京市には、北京大学医学部(当時は北京医学院)や北京協和医学院(当時は中国医科大学)という伝統のある医学高等教育機関があるが、新中国建国後の医療事情からより多くの医師の養成が必要とされ、新たな機関が設立されたと想定される。
1966年に開始された文化大革命において、北京第二医学院は革命派の批判の対象となり、徹底的な破壊活動を被るとともに、教学は完全に停止した。文革の終了した後、1977年に北京第二医学院は再建され、新たな学部学生の受け入れを再開した。
1985年に校名を首都医学院とし、さらに1994年に現在の首都医科大学とした。
2001年には、北京にあった北京連合大学中医薬学院、北京医学高等専科学校、北京職工医学院を併入した。
4. 規模
(1)学生数、教職員数
学生数は、学部学生が7,311人、大学院生が7,345人、専門学校生が509人、留学生が567人で、全体数は15,732人である。
教育スタッフは、学校と附属医院全体で7,266人であり、教授は1,176人、副教授は1,889人である。
(2)学院と学科
首都医科大学は学院・研究センターとして、基礎医学院、薬学院、公衆衛生学院、看護学院、生物医学工学院、中医薬学院、医学人文学院、全科医学・継続教育学院、マルクス主義学院、国際学院、猿京医学院、脳重大疾病研究センターを有している。
また学科として、臨床医学、基礎医学、口腔医学、小児科学、予防医学、精神医学、薬学、臨床薬学、中医学、中薬学、看護学、生物医学工学、衛生法学、医学実験技術、医学検査技術、医学造影技術、衛生情報管理学、眼視光医学、衛生検査・検疫学、助産学などがある。
(3)キャンパス
上記のメインキャンパスのほか次の4つのキャンパスを有している。
○北京市順義区大東路4号
○北京市東城区和平里北街22号
○北京市東城区東四十条27号
○北京市豊台区花郷張家口路口107号
(3)附属医院等
HPによれば、次の23の附属医院と12の教学医院を有している。
○附属医院(臨床医学院)
・宣武医院(第一临床医学院)
・附属北京友谊医院(第二临床医学院)
・附属北京朝阳医院(第三临床医学院)
・附属北京同仁医院(第四临床医学院)
・附属北京天坛医院(第五临床医学院)
・附属北京安贞医院(第六临床医学院)
・附属北京积水潭医院(第七临床医学院)
・附属复兴医院(第八临床医学院)
・附属北京佑安医院(第九临床医学院)
・附属北京胸科医院(第十临床医学院)
・三博脑科医院(第十一临床医学院)
・附属北京地坛医院(第十二临床医学院)
・附属北京儿童医院(儿科医学院)
・附属北京口腔医院(口腔医学院)
・附属北京安定医院(精神卫生学院)
・附属北京妇产医院(妇产医学院)
・附属北京中医医院(中医药临床医学院)
・附属北京世纪坛医院(肿瘤医学院)
・附属北京康复医院(北京康复医学院)
・附属北京潞河医院(潞河临床医学院)
・中国康复研究中心(康复医学院)
・中日友好临床医学院
・北京市疾病预防控制中心(预防医学教学基地)
○教学医院
・丰台教学医院
・电力教学医院
・石景山教学医院
・密云教学医院
・大兴教学医院
・平谷教学医院
・良乡教学医院
・怀柔教学医院
・昌平教学医院
・延庆教学医院
・门头沟教学医院
・顺义教学医院
(4)国家的な科学研究施設
次の国家的な施設を有している。
○インターネット医療診断治療技術国家工程研究中心(互联网医疗诊治技术国家工程研究中心、宣武医院)
○心臓血管疾病国家臨床医学研究中心(心血管疾病国家临床医学研究中心、附属北京安贞医院)
○呼吸器系統疾病国家臨床医学研究中心(呼吸系統疾病国家临床医学研究中心、附属北京儿童医院)
○消化器系統疾病国家臨床医学研究中心(消化系統疾病国家临床医学研究中心、附属北京友谊医院)
○老人病国家臨床医学研究中心(老年疾病国家临床医学研究中心、宣武医院)
5. 特記事項
(1)饒毅・現首都医科大学学長
現在、首都医科大学の学長を務めるのは、饒毅(饶毅、Yi Rao)である。
饒毅は、1962年に大陸南部に位置する江西省南昌市に生まれ、文化大革命終了語の1978年に江西医学院(現在の南昌大学江西医学院)に入学し、同校を1983年に卒業した。引き続き上海第一医学院(現在の復旦大学上海医学院)の修士課程に入学し、同校を1985年に卒業した。
饒毅は1985年に、米国のカリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学し、生物化学と分子生物学を専攻して1991年に博士の学位を取得した。
その後、ハーバード大学のポスドク、セントルイスのワシントン大学教員、ノースウェスタン大学教授などを経て、2007年に中国に帰国して北京大学生命科学学院の院長に就任した。2019年から首都医科大学の学長を務めている。
饒毅は、帰国後の2010年9月に、友人で清華大学教授であった施一公との連名でサイエンス誌に記事を投稿し、中国の科学研究費配分制度と科学研究文化を批判した。
同記事で両氏は、中国の大型の研究開発プロジェクトでは、学識経験や研究能力の優劣ではなく関連機関の職員と学閥的な科学者が決定権を有していて人脈優先となっており、海外留学から帰国したばかりの若い学者の多くは精力を人脈作りのために投入せざるを得ず、研究、学生指導、学会参加に専念できなくなっていると指摘した。
そして、研究費の配分制度に存在している問題を認識し、中国の新しい創造力を有効に発揮できるよう改善すべきと呼びかけた。
この記事は中国国内のネットなどで広く伝えられ、多大な反響を呼んだ。
翌2011年12月、この記事が遠因と思われる事件が発生した。2011年の中国科学院の院士選考で、前評判の高かった饒毅と施一公がいずれも選出されなかったのである。
饒毅は直ぐにブログをネットに投稿し、「中国科学院は院士の選考において、学術レベル、年齢、科学的貢献ではなく、一部の人々に頭を下げる時間の長さを重視しており、今後は院士に当選することを考えない」と述べた。饒毅は現在も中国科学院院士に選出されていない。
もう一方の当事者の施一公は沈黙を保ったが、一部のメディアは中国科学院の見解として施一公が選出されなかったのは彼が米国国籍を有しているからであると伝えた。施一公は、同年米国国籍を放棄して、中国国籍に復活した。施一公は、次の中国科学院院士の選出時期であった2013年に、院士に選出された。
(2)レベルの高い附属医院
首都医科大学は、既に述べたように23の附属医院を有している。これら23か所の附属医院のうち、復旦大学の医院管理研究所が公表しているランキングで100位以内に入っている医院は、次の通り7か所である。
附属北京天壇医院(第31位)、附属北京同仁医院(第37位)、附属北京小児科医院(附属北京儿童医院、第38位)、宣武医院(第40位)、附属北京安貞医院(第59位)、附属北京友誼医院(第76位)、附属北京朝陽医院(第77位)。
このうち3つの医院を簡単に紹介する。
① 附属北京天壇医院(第31位)
北京天壇医院(北京天坛医院)は、脳神経外科を中心とした医院として、1956年に北京市豊台区で開業した。同医院の病床数は2019年現在、1,650床、職員数は3,210人である。
② 附属北京同仁医院(第37位)
北京同仁医院は、1886年に開業し、眼科および耳鼻咽喉科を中心とした医院である。同医院は二つの病棟を有し、職員は3600人を超えている。現在研修生は400人であり、博士導師が73人、修士導師が202人である。
③ 宣武医院(第40位)
首都医科大学宣武医院は、1958年に設立され、神経科学と老人病医療に重点を置いた医院である。老人病国家臨床医学研究中心を有し、上級専門職員数は700人に上る。
参考資料
・首都医科大学HP https://www.ccmu.edu.cn/
・Science HP China's Research Culture https://www.science.org/doi/10.1126/science.1196916
・中国医院及专科声誉排行榜 https://rank.cn-healthcare.com/fudan/national-general
・首都医科大学附属北京天壇医院HP https://www.bjtth.org/
・北京同仁医院のHP https://www.trhos.com/Html/Mobile/Home.html
・首都医科大学宣武医院HP https://www.xwhosp.com.cn/