知識人の迫害(1966年~1976年)

 知識人の迫害は、文化大革命の全期間を通じて行われた。文革は既成の権威打破を強調しており、教育や科学技術で高いレベルにある知識人そのものが批判の対象となり、反革命派として迫害された。

知識人の迫害~中国科学院での実例

 知識人の迫害ぶりを、中国の最高研究機関である中国科学院を例として見たい。

 1968年7月、中国科学院に置かれた革命委員会は、「階級隊列の純潔化」を全面的に展開すると宣言した。

 この純潔化運動の中で、多くの中国科学院幹部が取り調べを受け、不法に監禁されたり、残酷な迫害を受けたり、拷問で自白を強要されたりした。
 中国科学院の公式資料によると、当時中国科学院の北京地区における職員の総数は9,279名で、このうち取り調べを受けた人は全体の9.5%に当たる881名に上り、さらに革命に対して敵対的性質があると判定されたのは102名で、北京地区の総職員数の1.1%、取り調べ対象者の11.5%に上った。

 1968年末までに、北京地区の中国科学院本部の幹部7名も全て「打倒の対象」となり、局長クラス71名および課長クラス192名のうち、それぞれ59名(83%)、99名(52%)が「打倒」又は「重点的取り調べ」の対象となった。

 文革の十年間、中国科学院の職員全体のうち家財を没収された家庭は1,909戸、迫害を受けて死亡した人は229名に上った。

参考資料

・中国科学院HP  http://www.cas.cn/
・李暁華編『中国科学院六十年(1949-2009)』科学出版社 2009年    
・百度HP 『无产阶级文化大革命