はじめに

 上海交通大学医学院は、中国トップクラスの歴史と実績を有する医学高等教育機関である。

 前身は、上海第二医医学院であり、上海第二医科大学と改名の後、2005年に上海交通大学と合併し、同大学の医学院となった。

上海交通大学医学院の写真
上海交通大学医学院 同大学HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 上海交通大学医学院 
・中国語表記 上海交通大学医学院  略称 上海交大医学院 交大医学院
・英語表記 Shanghai Jiao Tong University School of Medicine 略称 SJTUSM 

(2)所管

 上海交通大学と上海市の所管となっている。

 上海交通大学は元々医学院(日本の医学部)は有していなかったが、2005年に上海第二医科大学と合併して上海交通大学医学院を設立した。

2. 本部の所在地

 上海交通大学医学院の本部は、上海市黄浦区重慶南路227号である。上海の中心地・外灘から2キロメートルほど南西に行ったところにある。戦前は、フランス租界の一部であった。

3. 沿革

 上海交通大学医学院は、中華人民共和国の建国前から上海にあった3つの欧米系の医学高等教育機関が、1952年の院系調整により合併して設立された上海第二医学院が前身であり、その後2005年に上海交通大学と合併して設立された。

(1)聖ヨハネ大学医学院

 旧上海第二医学院の前身の1つは、聖ヨハネ大学(圣约翰大学、St. John's University)の医学院である。聖ヨハネ大学は1879年に、米国聖公会上海支部により建設された聖ヨハネ書院(Saint John's College)が起源である。1892年に大学課程を追加して、1905年には聖ヨハネ大学となった。

上海交通大学医学院の前身の1つである聖ヨハネ大学 
上海交通大学医学院HPより引用

 医学院の源泉は、同じく米国聖公会が1880年に設置した上海同仁医院にある。この上海同仁医院の初代院長は、米国人のヘンリー・H・ブーン(Henry William Boone、文恒理)であり、ブーンは聖ヨハネ書院と協力して医学高等教育機関の設置を進め、1896年に聖ヨハネ大学の医科の初代主任となった。

 その後、日本軍の上海占領などで被害を受けることもあったが、第二次大戦後に再び米国聖公会の所管となり、1947年時点での附属の臨床医院は、同仁医院(現在の上海交通大学医学院附属同仁医院)、仁済医院(現在の上海交通大学医学院附属仁済医院)、宏仁医院(現在の上海交通大学附属胸科医院)の3つを数えた。

(2)震旦大学医学院

 旧上海第二医学院の2つ目の前身は、震旦大学(Aurora University)である。震旦大学は、1903年にフランスのキリスト教団体により設立された。震旦大学は、設立当初文学と科学を教える学生20名程度の小さな学校であった。

 震旦大学は、当初医学院を有していなかったが、広慈医院に臨床医院として協力を仰ぐことを前提に、1912年に医学院を設立した。
 広慈医院(广慈医院、St. Marie Hospital)は、1907年に上海市内の瑞金二路にフランス人神父の主導により開設された医院であり、現在の上海交通大学医学院附属瑞金医院である。

(3)同徳医学院

 旧上海第二医学院の3つ目の前身は、同徳医学専門学校(同德医学专门学校)である。
 1918年に、上海同済徳文医学堂の卒業生が中心となって、同徳医学専門学校を設立した。翌1919年には、上海市内の青島路に附属医院を構えた。1935年に名称を私立同徳医学院(Tong De Medical College)とした。

同徳医学院の写真
同徳医学院  上海交通大学医学院HPより引用

 なお、「上海同済徳文医学堂(Tongji German Medical College)」は、1907年にドイツ人医師エーリッヒ・パウルン(Erich Hermann Paulun、埃里希·宝隆)が設置した学校である。パウルンは、その前の1900年に、上海のドイツ人疎開に近くに医院を設置していたが、中国の医療事情を抜本的に改善するためには中国人医師の養成も急務と考え、ドイツ政府、中国政府、さらには他のドイツ人医師仲間の協力を得て、上海同済徳文医学堂を設置したのである。これは、同済大学や華中科技大学同済医学院の起源である。 

(4)上海第二医学院

 1952年の院系調整により、聖ヨハネ大学医学院、震旦大学医学院、同徳医学院が合併して上海第二医学院となった。その際、広慈医院(現在の瑞金医院)および仁済医院は、上海第二医学院の臨床病院に位置付けられた。

 1985年には、名称を上海第二医科大学に変更した。

(5)上海交通大学医学院

 上海交通大学は元々医学院(医学部)は有していなかったが、中国の有力大学が総合大学化していく中で、医学院の設置を目指した。上海交通大学は2005年に上海第二医科大学と合併し、上海第二医科大学は上海交通大学医学院となった。
 なお旧上海第二医科大学は、旧上海交通大学と同等の伝統を有していたことや、キャンパスが別にあることなどから、上海交通大学医学院は上海交通大学本体とは実質的に独立して運営されている。

4. 規模

(1)学科、学生数

 上海交通大学医学院における学部生(本科)の学科は、臨床医学、口腔医学(歯科学)、児科学(小児科学)、生物医学科学、予防医学、医学検査技術、看護学、食品衛生・栄養学の8つである。本科生の数は、3,580名である。

 上海交通大学医学院の大学院は、基礎医学、臨床医学、口腔医学、生物学、薬学、公衆衛生・予防医学、看護学・中西医結合臨床の8つである。大学院生の数は、6,724名である。

(2)教職員

 上海交通大学医学院のHPによれば、2023年現在で、附属医院などのスタッフを合わせた教職員全体で41,636名に達する。

(3)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。
 2022年に改訂された双一流学科建設において、上海交通大学は全体で18学科が選定されており、このうち医学院に関係する学科として次の4学科が選定されている。
○基礎医学
○臨床医学
○口腔医学
○薬学 上海交通大学薬学院との共同運営学科

(4)附属医院等

 上海交通大学医学院のHPによれば、同医学院の附属医院は次の13医院である。

○附属瑞金医院 1907年にフランス宣教師により設置された「広慈医院」が前身。特記事項参照
○附属仁済(仁济)医院 1844年に英国宣教師や華僑により設置。特記事項参照
○附属新華(新华)医院
○附属第九人民医院 1920年に米国のキリスト教徒により設置された「伯特利医院」が前身。
○附属第一人民医院 1863年にカソリック教会により設置された「公済医院」が前身。
○附属第六人民医院 1904年に西洋人治療のために上海市が設置。
○附属胸科医院
○附属上海児童医学センター(上海儿童医学中心) 1998年に上海市と米国世界健康基金会(Project HOPE)が前身。
○附属児童(儿童)医院 1937年に地元の篤志家により設置された「上海难童医院」が前身。
○附属国際平和婦人幼児保健院(国际和平妇幼保健院)レーニン平和賞を受賞した宋慶齢(孫文の妻)の寄付により1952年に設置。
○附属精神衛生センター(精神卫生中心) 1935年に地元の篤志家により設置された「上海普慈疗养院」が前身。
○附属同仁医院 1866年に米国宣教師により設置された「同仁医局的诊所」が前身。
○附属松江医院 

(5)国家重点実験室など

国家重点実験室:次の2つの国家重点実験室を有する。
・がん及び関連遺伝子国家重点実験室(癌基因及相关基因国家重点实验室)
・医学遺伝子組み換え国家重点実験室(医学基因组学国家重点实验室)

国家工程研究中心:次の国家工程研究中心を有する。
・組織工学国家工程研究中心(组织工程国家工程研究中心)

国家臨床医学研究中心:次の研究中心を有する。
・代謝性疾病(附属瑞金医院)
・口腔疾病(附属第九人民医院)
・眼科・耳鼻咽喉疾病(附属第一人民医院) 

5. 特記事項

(1)王振義(王振义)

 上海交通大学医学院の著名な関係者として真っ先に上げなければならないのは、王振義(王振义、Zhenyi Wang)であろう。

国家最高科学技術賞受賞写真
王振義(左)の国家最高科学技術賞受賞 百度HPより引用

 王振義は、1924年に上海の裕福な家庭に生まれた。家は、大きな庭がある3階建てだった。上海市内のフランス租界にあった学校などに通い、1942年に震旦大学医学院に入学した。1948年に同大学を卒業して医師となり、同大学の臨床医院である広慈医院(現在の瑞金医院)に勤務した。

 王振義は、1960 年に上海交通大学医学院の前身である上海第二医学院で教鞭を取り、1984 年から 1988 年まで、同院の学長を務めた。
 王振義の専門は、病理生理学、特に血液学である。彼の研究成果は急性前骨髄球性白血病(APML)患者の生存期間の改善につながっている。この成果により、1995年に中国工程院院士に当選し、さらには2011年に国家最高科学技術賞(日本の文化勲章に相当)を受賞、2020年には未来科学大賞生命科学賞を受賞している。
 現在99歳であるが、まだ存命である。

(2)陳竺(陈竺)

 陳竺(陈竺、ZhuChen)も上海交通大学医学院の関係者として著名である。

 陳竺は1953年に江蘇省に生まれ、1981年に上海第二医学院(現在の上海交通大学医学院)で修士号を取得の後フランスに留学し、1989年パリ第7大学で博士号を取得した。上海第二医学院での恩師は、上記の王振義であった。
 その後1990年に上海に帰国し、瑞金医院の医師となり、2000年10月から中国科学院副院長を務めていた。専門は血液学、分子生物学で、臨床経験も持つ。

 日本との関係も深く、上記の写真は東京大学と中国科学院の協力プロジェクト発足式のものである。

陳竺博士と筆者の写真
陳竺博士と筆者の写真     陳竺博士(右)と筆者


 陳竺は2013年に衛生部長を退任したのち、中国共産党以外で認められている党派の一つである農工民主党主席として、中国の国会に当たる全国人民代表大会の常務委員会で14名いる副委員長を務めている。
 また、2015年からは中国の赤十字組織である「中国紅十字会」の会長でもある。

(3)レベルの高い附属医院

 上海交通大学医学院の前身である上海第二医学院は、多くの医学院が合体して出来たため、傘下に多くの著名な医院を抱えていた。すでに上記4.(4)で述べたとおり、上海交通大学医学院は現在13の附属医院を有している。

 これら13か所の附属医院は、復旦大学の医院管理研究所が公表しているランキングで100位以内に入っている医院は、次の通り9か所である。
 上海交通大学医学院附属瑞金医院(4位)、上海交通大学医学院附属仁济医院(16位)、上海交通大学医学院附属第九人民医院(22位)、上海市第六人民医院(28位)、上海交通大学医学院附属新华医院(44位)、上海市第一人民医院(82位)、上海交通大学医学院附属上海儿童医学中心(83位)、上海交通大学医学院附属胸科医院(87位)、上海市精神卫生中心(92位)である。

このうち3つの医院を簡単に紹介する。

① 附属瑞金医院

 瑞金医院は、フランスのキリスト教宣教師により1907年に設立された広慈医院が前身で、優れた臨床評価と学術評価を有している。より詳しくはこちらを参照されたい。

瑞金医院の写真
附属瑞金医院 京客网HPより引用

② 附属仁済(仁济)医院

 仁済医院の母体は、1844年に英国人宣教師と華僑により設置された「中国医館」である。1840年に始まったアヘン戦争は、1942年に英国の勝利となり、清は南京条約を結んで賠償金を支払うとともに、上海を自由貿易港として開港した。仁済医院は、英国のキリスト教宣教の拠点として設立されたものであり、その後租界地に組み込まれていった。
 1860年代に仁済医院と改名した。その後も英国人などからの寄付もあって徐々に総合医院に発展したが、1941年の太平洋戦争開始により日本軍に占領された。
 1952年に設置された上海第二医学院の臨床医院の位置づけに変更された。現在は、上海交通大学医学院の臨床医院となっている。
 復旦大学医院ランキングによると、仁済医院は全国で16位にある。

③ 附属第九人民医院

 附属第九人民医院の母体は、1920年に米国人キリスト教徒らによって上海に設立された「伯特利医院」である。
 1952年に上海人民政府に接収されて上海市第九人民医院となった。さらに、1964年に上海第二医学院の臨床医院となり、上海医学院附属第九人民医院となった。その後、上海第二医科大学と上海交通大学の合併により、上海交通大学医学院附属第九人民医院となった。
 復旦大学医院ランキングによると、第九人民医院は全国で22位にある。

参考資料

・上海交通大学医学院HP https://www.shsmu.edu.cn/index.htm
・上海交通大学HP https://china-science.com/jiaotong-univ/
・中国医院及专科声誉排行榜 https://rank.cn-healthcare.com/fudan/national-general