上海交通大学の概要

○上海交通大学は上海市内にあり、伝統的に工学に優れた大学である。清朝末期の1896年に設立された「南洋公学」が起源であり、交通部や鉄道部が所管したことで工学系が強い大学となった。

○新中国建国後の院系調整において工学系だけの単科大学となったが、文化大革命終了後徐々に総合大学化を図り、農学院(農学部)や医学院(医学部)なども設置して総合大学となった。

○医学院は上海第二医科大学との合併により設置されたが、同医科大学は南洋公学と同時期に設置された聖ヨハネ大学医学院などを母体としており、伝統ある医学高等教育機関であった。また、上海の租界地にあった古くからの病院を附属病院に吸収している。

上海交通大学の門
現在の上海交通大学の門 百度HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 上海交通大学 
・中国語表記 上海交通大学  略称 交大 (Jiao Da)
・英語表記 Shanghai Jiao Tong University
 「交通」の中国語での意味は日本語より広く、陸海空の運輸全般と通信を含む。

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 上海交通大学の現在の本部キャンパスは、上海市閔行区(みんはんく)東川路にあり、市の中心である外灘から見て直線距離で約20キロメートル南に位置している。大学創設地は徐匯区((じょかい))崋山路にあり、外灘から南西に約4キロメートルの中心部にある。

 上海市は直轄市であり、北京市が政治・行政の中心地であるのに対し、商業・金融・工業・交通などの中心地である。長江河口南岸に位置し、北部や東部は江蘇省と西部や南部は浙江省と接する。東は東シナ海に面する。市街地は、長江の支流である黄浦江を遡ったところにある。気候区分では温暖湿潤気候に属し、年間平均気温は17℃である。緯度的には日本の鹿児島と同じであるが、冬は寒く夏は暑くて湿度が高い。

 上海市の中心部に位置する外灘((わいたん)))は、バンド(The Bund)とも呼ばれ、黄浦江西岸を走る中山東一路沿い、全長約1.1キロメートルの地域を指す。元々は、19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいて、現在も官庁と銀行が多い。近くに繁華街である南京路や観光の中心である豫園があり、黄浦江を挟んだ対岸には浦東新区の高層ビル群が連なる。
 次の写真は、バンドの一角にある和平飯店(フェアモントピースホテル)であり、その一階に租界時代の伝統を引き継ぐジャズバーがある。

 

上海市内のバンドに位置する和平飯店
上海市内のバンドに位置する和平飯店 百度のHPより引用

3. 沿革

(1)南洋公学の設立

 上海交通大学の礎は、日清戦争の敗北に危機感を抱いた清朝高官・盛宣怀の提唱で、1896年に設置された「南洋公学」である。1911年に辛亥革命が起こり、翌1912年に新政府により接収されて交通部の所管となったため、「交通部上海交通専門学校」と改名された。主な学科は、土木、電気、機械であった。

南洋公学の正門
 1896年に設立された南洋公学の校門 百度HPより引用

(2)交通大学へ発展、西部へ疎開

 辛亥革命後の政治的な混乱から数度名称が変更されるが、南京国民政府が樹立されて政治的な安定がもたらされると鉄道部に移管され、1928年に上海だけでなく唐山や北平(北京)にあった専門学校を併合して「鉄道部交通大学」となった。1937年には、所管が鉄道部から教育部に代わり「国立交通大学」となった。なお、この年には日中戦争が勃発し上海が日本軍により占領されるが、交通大学は治外法権であった上海のフランス租界内で教育・研究を継続した。

 1941年に太平洋戦争が始まり、日本軍はフランス租界も占領したため、交通大学は重慶に疎開を余儀なくされた。

(3)院系調整で工学部中心の大学へ

 1945年の日本敗戦に伴い、国立交通大学は上海に戻った。交通大学は1949年1月時点で、理学、工学、管理学の3学部を有していた。1949年5月に人民解放軍が上海を制圧し、翌6月に交通大学は共産党の管理下に置かれた。

 1952年には、大学の学部再編政策である院系調整が新中国政府により実施され、理学関係の物理、化学、数学は復旦大学へ、管理学は復旦大学と華東師範大学へ、工学のうち土木建築は同済大学へなど、大幅に他校に移管された。結果として交通大学に残ったのは、工学のうち機械、電機、造船の3分野だけとなった。 

(4)大学の一部を西部へ移転、文化大革命

 1955年、大陸西部の開発発展を支える人材養成を進めるため、中央政府は交通大学に対し、西部(陝西省西安)への移転を提案した。しかし、大学の学生や教員は不便であった大陸西部への移転に反対したため、一種の妥協として大学と教員の一部(約6割)を西安に移転させ、上海に一部を残すこととなった。

 当初は上海と西安は一つの大学として運営されたが、1959年に分離し2つの大学として中央政府に認められ、それぞれの名称が上海交通大学と西安交通大学となった。

 1965年頃に開始された文化大革命期間中は、大学の教育科学研究秩序が深刻な破壊を受け、発展はほぼ停滞した。

(5)総合大学へ

 文化大革命終了後、院系調整で他校に移転させられた専門分野である数学、物理、化学、力学などの理学と管理学に係わる学科を徐々に再建していった。さらに、生命、人文、環境、薬学、法学などの学科も新設し、1999年に上海農学院を編入して農業・生物学院とした。

 大学が発展するに従って、徐匯区にあるキャンパスでは手狭となり、1985年から市の南部にある閔行区に閔行キャンパスを建設し、2006年に本部を移転した。

 2005年には、上海第二医科大学と合併を行って医学院を設立した。これにより、総合大学としての体制が整った。上海第二医科大学の歴史については、下記10.の特記事項を参照されたい。

4. 現在の指導部

(1)学長

 林忠欽(林忠钦)現学長は1957年浙江省生まれで、上海交通大学で船舶工学を専攻し、1989年に工学博士を取得した。卒業後、母校の機械工学の教師となり、2004年には同大学の副学長となった。2017年には、同大学の学長兼党委員会副書記に就任している。

(2)共産党委員会書記

 楊振斌(杨振斌)現共産党委員会書記は1963年河北省生まれで、清華大学で工業自動化学を専攻し、1989年に工学修士を取得した。1983年に共産党に入党し、2002年に清華大学共産党委員会副書記となり、2005年に国務院教育部課長、2012年に厦門大学党書記、2014年に吉林大学党書記を経て、2020年から上海交通大学の党書記に就任した。

5. 規模

(1)規模のデータ表

 いくつかの指標で、上海交通大学の規模を示したのが下表である。学部学生数、大学院生数、専任教師数は中国の他の主要大学と比較してそれほど大きくないが、留学生数と総予算では中国トップクラスとなっている。

 上海交通大学中国第1位の大学 
学部学生数17,460名(74位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数25,701名(11位)清華大学 38,783名詳細データ
留学生数2,513名(8位)北京大学 6,857名詳細データ
専任教師数3,512名(11位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算204.20億元(4位)清華大学 362.11億元詳細データ

(2)キャンパス

 全体で5つのキャンパスがあり、全て上海市内である。現本部は閔行区、発祥の地は徐匯区のキャンパスであり、それ以外では、七宝(農学院)、盧湾(医学院)、法華(経済管理学院)のキャンパスを有している。

(3)学部

 上海交通大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)のうち、哲学、経済学、法学、教育学、文学、理学、工学、農学、医学、管理学、芸術の11大分類を有しており、歴史学はない。

(4)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、上海交通大学では全体で以下の18の学科を選定されている。
○理学系(4) 数学、物理学、化学、生物学
○工学系(9) 機械工学、材料科学・工学、電子科学・技術、情報・通信工学、制御科学・工学、計算機科学・技術、土木工学、化学工学・技術、船舶・海洋工学 
○医学系(4) 基礎医学、臨床医学、口腔医学、薬学
○管理学系(1)商工管理学

(5)附属医院

 上海交通大学は、12の直属医院を有する。上海には多くの国が租界地を有していたため、そこに住む人々のための病院が設置されていたが、新中国の建国とともに国や上海市に接収され、それを上海第二医科大学が承継した。医院名の順序は医学院のHPの記載に合わせた。追加の記述がない医院は、大学自らが設置したものである。

・附属瑞金医院 1907年にフランス宣教師により設置された「広慈医院」が前身。
・附属仁済(仁济)医院 1844年に英国宣教師や華僑により設置。
・附属新華(新华)医院
・附属第九人民医院 1920年に米国のキリスト教徒により設置された「伯特利医院」が前身。
・附属第一人民医院 1863年にカソリック教会により設置された「公済医院」が前身。
・附属第六人民医院 1904年に西洋人治療のために上海市が設置。
・附属胸科医院
・附属上海児童医学センター(上海儿童医学中心) 1998年に上海市と米国世界健康基金会(Project HOPE)が前身。
・附属児童(儿童)医院 1937年に地元の篤志家により設置された「上海难童医院」が前身。
・附属国際平和婦人幼児保健院(国际和平妇幼保健院)レーニン平和賞を受賞した宋慶齢(孫文の妻)の寄付により1952年に設置。
・附属精神衛生センター(精神卫生中心) 1935年に地元の篤志家により設置された「上海普慈疗养院」が前身。
・附属同仁医院 1866年に米国宣教師により設置された「同仁医局的诊所」が前身。

6. 研究開発力

 上海交通大学は、伝統的に強い工学に加え、理学、医学系で秀でた大学である。内燃機関、中国語タイプライター、原子力潜水艦、人工衛星などで、中国で初めての開発を進めた。以下に、具体的な指標で見たい。

(1)研究開発力のデータ表

 上海交通大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、NSFCの面上予算獲得は下記(3)を参照。

 上海交通大学中国第1位の大学 
SCI論文数4位中国科学院大学詳細データ
Nature Index8位中国科学院大学詳細データ
国家重点実験室数7か所(4位)清華大学詳細データ
NSFC面上項目予算1位詳細データ

(2)国家重点実験室

 上海交通大学には、以下の7か所の国家重点実験室がある。これで見ても、工学系(4)やライフサイエンス系(3)が強い。
・海洋工学
・機械システム・振動
・金属基複合材料
・地域光通信ネットワーク・新型光通信システム
・がん及び関連遺伝子
・医学遺伝子組み換え
・微生物代謝

(3)NSFC面上項目予算獲得

 日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で上海交通大学は中国全体で1位である。
 個別の分野での順位で10位以内として、数理(数学、物理、天文学、力学)で3位、工学・材料科学で3位、管理科学で7位、情報科学で2位、医学で1位となっている。

7. 国内および国際的な評価

(1)国内および国際的な評価のデータ表

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
 これで見ると上海交通大学は、北京大学や清華大学に次ぎ、浙江大学などと競っている有力大学である。

 上海交通大学中国第1位の大学 
教育部ランキング4位清華大学詳細データ
校友会ランキング3位北京大学詳細データ
QSランキング世界46位  中国5位北京大学 世界12位詳細データ
THEランキング世界84位 中国5位北京大学と清華大学 世界16位詳細データ
校友会傑出人材16位北京大学詳細データ

(2)九校連盟

 2009年10月に上海交通大学は、他の北京大学、清華大学、浙江大学、復旦大学、南京大学、中国科学技術大学、ハルビン工業大学、西安交通大学の8校とともに、相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。これは「九校連盟」と呼ばれ、中国版の「アイビーリーグ」とされている。

8. 国際性

(1)他国の大学等との協力

 少し古いが、2015 年時点で世界の 100 か所余りの大学と教師や学生交換などの協力関係を構築している。具体的には、ロンドン大学,ノッティンガム大学(英国)、ハーバード大学,ペンシルベニア大学,マサチューセッツ工科大学(米国)、シンガポール国立大学,南洋理工大学(シンガポール)などである。

 日本の大学では、浜松医科大学、北海道大学、大阪大学、東北大学、東京大学、東京工業大学、宮崎大学、横浜国立大学、九州大学、名古屋大学、明治大学、千葉大学、山口大学、神户大学、早稲田大学、昭和女子大学、中央大学と協力協定を結んでいる。

(2)中欧国際工商学院

 中国政府はEUのEFMD(欧州管理発展基金)と共同で、中欧国際工商学院(China Europe International Business School、CEIBS)を建設し、これを1994年から上海交通大学が運営している。本部は上海の浦東新区にあるが、それ以外に北京、深圳、ジュネーブ(スイス)、アクラ(ガーナ)にあり、ビジネススクールとして国際的にも高い評価を得ている。

ミンシン・ペイが設計した学院の建物
ミンシン・ペイが設計した学院の建物 中欧国際工商学院HPより引用

(3)ミシガン大学との共同学院

 上海交通大学は、米国州立大学の雄であるミシガン大学と共同学院(上海交通大学密西根学院、UM-SJTU JOINT INSTITUTE)を、上海交通大学本部がある閔行区のキャンパスに2006年より開設している。写真は現在の校舎である。

交大密西根学院の建物
交大密西根学院の建物 同学院のHPより引用

 中国人を中心に学部生を受け入れ、米国のミシガン大学の協力を得てトップレベルの教育を行い、卒業生の大部分を米国等の主要大学に大学院生として送り込む。ミシガン大学のほか、南カリフォルニア大学、カーネギーメロン大学、コロンビア大学などが多い。この学院自身も大学院を有している。 

9. 特記事項

(1)著名なOB 銭学森と江沢民

 宇宙開発、ロケット開発の父と呼ばれる銭学森は、上海交通大学の出身である。銭学森は、1911年に上海で生まれ、1934年に国立交通大学電機系を卒業した。その後、米国に留学の後1955年に帰国し、核兵器・ミサイルなどの軍事プログラムを指揮した。銭学森は、中国において国民的な英雄として科学に疎い人にもよく知られている。

 天安門事件後の混乱期を経て中国の経済発展に貢献した政治家・江沢民も、この大学の出身である。江沢民は、1926年に江蘇省揚州市に生まれ、1947年に国立交通大学電機系を卒業している。1989年の天安門事件後に趙紫陽の後任として党総書記に就任し、2002年までその地位にあった。

(2)上海租界

 上海は、香港の様な完全な植民地ではなかったが、欧米列強や日本の侵略を受けて実質的な植民地に近い租界が、第二次世界大戦終了まで存在した。元々は、アヘン戦争敗北後の1942年に締結された南京条約に端を発するものであったが、その後、英国、米国などによる共同租界と、フランス租界に発展した。

 租界は、中国民衆に対しては大きな厄災ではあったものの、列強が優れた建築物を建造したり、新しい文化を持ち込んだりして華やかな都市を構成した。また、近代的な高等教育機関や、医療教育、医療施設などを併せて持ち込んだ。 

(3)上海第二医科大学の歴史

 上海第二医科大学は、聖ヨハネ大学医学院、震旦大学医学院、同徳医学院の3医学院が、1952年の院系調整で合併して成立した大学である。当初は上海第二医学院と称したが、1985年に上海第二医科大学と改名した。
 聖ヨハネ大学は米国のキリスト教団体により設立され、同大学の医学院は同仁医院の院長であったH. W. Booneにより1896年に創設された。震旦大学はフランスのキリスト教団体により設立され、同大学の医学院は宣教師により設置された「広慈医院(現在の瑞金医院)」の教育機関として、1912年に設立された。同徳医学院は、ドイツ人医師団体により1918年に設立された。
 この様に、上海第二医科大学の前身は全て欧米由来の教育機関であり、欧米人が多く住んだ租界を有する上海の特殊性が反映している。
 なお、上海交通大学との合併後も、合併前の同大学と同等の伝統を有していたことや、キャンパスが別にあることなどから、実質的に本体とは独立して運営されている。

参考資料

・上海交通大学HP  https://www.sjtu.edu.cn/
・上海交通大学医学院HP https://www.shsmu.edu.cn/
・百度HP
・中国版Wiki
・交大密西根学院HP https://www.ji.sjtu.edu.cn/cn/
・JST/APRCの調査報告書『中国の主要大学・研究機関概況 2022』