文革期の科学技術概要

文革期の科学技術の特徴は、物理的な破壊と混乱や知識人に対する迫害である。この爪痕は文革が終了して50年近く経過した現在も残っている。

破壊と混乱、知識人の迫害

 文革時代には、物理的な破壊や迫害もさることながら、知的活動自体が悪であり知識人は排除すべき対象とされた。知識人として、学校の教師など身近な存在から大学の教授や国の研究機関の幹部研究員まで、幅広い層が批判の対象となった。
 また、大学の共通試験である高考が廃止されたことも大きな影響をもたらした。このことは大学だけではなく国の研究機関などにおいても新規の採用を困難にしていった。

 ただ、周恩来首相らの庇護により両弾一星を中心とした軍事技術開発は影響が少なく、核兵器の開発やミサイル・人工衛星の開発は比較的順調に進んだ。しかし、文革が進むに従いこれらの軍事技術開発にも文革の魔の手が及び、やはり停滞していった。

 林彪クーデターが失敗した後、鄧小平が副首相として復権し、科学技術や教育の立て直しを進めようとしたが、文革の主流派であった四人組との対立から、本格的な文革からの回復は四人組の逮捕と鄧小平の再復活まで進まなかった。

 科学技術と教育の活動は、この十年間ほとんどストップしていたと考えてよい。文革が終了して40年以上が経過しているが、いまだに大学や政府研究機関などに文革の負の財産が残っていることを念頭に置く必要がある。

科学技術の成果

 暗黒の文革時代ではあったが、科学技術の成果はそれなりに達成されている。

 まず前の時代からのプロジェクトである両弾一星であるが、文革前の1964年の原爆実験成功に続き、1967年6月には新疆ウイグル自治区のロプノールで初の水爆実験に成功した。そして1970年4月、中国初の人工衛星「東方紅一号」が打ち上げられた。これにより、原水爆とミサイルの両弾、人工衛星の一星が達成された。以降、この成果を活かして原子力発電や宇宙開発などの民生用のプロジェクトが進められていった。

 学術面でも成果が挙げられた。1971年に中医研究院女性研究者の屠呦呦とようようは、ヨモギの一種「黄花蒿」からマラリアの特効薬となる「アルテミシニン」を抽出し、この発見が後にノーベル賞の受賞につながった。
 農学者袁隆平は、1964年にハイブリッド米の研究に着手し、1973年に優良品種「南優2号」を開発した。
 同じ1973年に数学者陳景潤は、ゴールドバッハ予想の一つである「十分大きな全ての偶数は、素数と高々二つの素数の積であるような数との和で表される」ことを、世界で初めて証明した。