復旦大学の概要

○復旦大学は、清朝末期の1905年に上海市内で設立された「復旦公学」が起源である。

○中国国内のトップレベル大学として、同じ上海市内にある上海交通大学のライバル校となっている。中国の他の総合大学に比較すると、やや小規模の大学である。

○1952年の院系調整により他の大学から数学や物理学などの優れた教師を吸収し、理学系が強い大学となった。現在でも化学を中心とした理学系が強く、人文社会系の一部も高いレベルにある。

○同大学の医学部に当たる組織は、「復旦大学上海医学院」である。2000年に元の復旦大学と上海医科大学が合併して同大学医学院が設置されたが、2012年からは「上海医学院」として半独立的に運営されている。

復旦大学の正門
復旦大学の正門 百度HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 復旦大学 
・中国語表記 復旦大学  略称 復旦
・英語表記 Fudan University
 復旦は中国古典「尚書」にある「日月光華、旦復旦兮」が由来で、弛みなく向上することを目指す、という意味である。

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 復旦大学の本部は、上海市内中心部にある楊浦区に位置する邯鄲路キャンパスにある。上海市の最大の繁華街であるバンドから南に3キロメートルほどのところである。上海の場所やバンドについては、上海交通大学の記事を参照されたい。

3. 沿革

(1)復旦公学の設置

 復旦大学の起源となる「復旦公学」は1905年に、馬相伯という清国人教育家により、上海市内の役所の建物を借りて開校された。馬相伯と復旦公学の設立経緯は、下記の特記事項で述べたい。

(2)復旦大学へ

 復旦公学は、1911年の辛亥革命により一時閉鎖されたが、新政府により場所を上海市の中心部である徐家匯(徐家汇)に移して再開された。当初は大学予科的な学校だったが、1917年には「私立復旦大学」と改名し、文、理、商の3学部を設置した。1922年には、徐家汇から現在本部のある邯鄲路に移った。

 1937年に日中戦争が始まり、上海が日本軍に占領されたため、復旦大学は他の私立大学などと協力して西部重慶に移転した。1941年には国立復旦大学となった。戦後、上海に戻った際には、文、理、法、商、農の5学部を有する総合大学となっていた。

現在も残る復旦大学の旧校舎門
現在も残る旧復旦大学の正門 百度HPより引用

(3)国立上海医学院

 現在の復旦大学上海医学院は、1927年に設立された「国立第四中山大学医学院」が起源である。「国立第四中山大学」は南京が主体であり、現在の南京大学と関係が深いが、医学院は上海市内に設置された。ちなみに中山は孫文の号の一つである。1932年には「国立上海医学院」として独立した。日中戦争中は、雲南省昆明や重慶に移転していた。

現在の復旦大学上海医学院
現在の復旦大学上海医学院 同校HPより引用

(4)院系調整と文化大革命

 新中国が建国され、1952年に中央政府により院系調整が実施された。復旦大学は、法、商、農の3学部は切り離され、他の大学に移管された。理学部は、浙江大学などの学科を吸収し強化された。この結果、復旦大学は文理のリベラルアーツ中心の大学に変身した。一方、上海医学院は「上海第一医学院」と改名し、市内のいくつかの病院を吸収するとともに、浙江大学の薬学科も吸収した。

 文化大革命期間中は、大学の教育科学研究秩序が深刻な破壊を受け、発展はほぼ停滞した。

(5)上海医科大学との合併、総合大学へ

 復旦大学は、文化大革命終了後、院系調整で他校に移転させられた社会科学、人文科学、技術科学、管理学に係わる学科を徐々に再建していった。一方の上海第一医学院は1985年に、「上海医科大学」と改名した。

 2000年には、復旦大学と上海医科大学が合併し、文、理、医の三本柱による総合大学として新たな「復旦大学」がスタートした。なおこの合併については、下記の特記事項を参照されたい。

4. 現在の指導部

(1)学長

 学長の金力は1963年に上海で生まれ、1981年に復旦大学に入り、公共衛生学で学士号および修士号を取得した後、米国テキサス大学ヒューストン健康科学センターで生物医学および遺伝学で博士号を取得した。その後テキサス大学で副教授、帰国して復旦大学で教授、さらに渡米してシンシナティ大学で教授を務めた後、復旦大学へ復帰して生命科学院長、副学長などを務めた。2021年に学長に就任した。

(2)共産党委員会書記

 共産党委員会の書記を務めるのは、焦揚(焦扬)という女性である。焦揚は1957年に山東省に生まれ、復旦大学マスコミ専攻を卒業し、シンガポールの南洋理工大学ビジネススクールでMBAを取得している。上海市の要職を歴任した後、2016年から復旦大学の党書記を務めている。

5. 規模

(1)規模のデータ表

 いくつかの指標で、復旦大学の規模を示したのが下表である。学部学生数、大学院生数、専任教師数は中国の他の主要大学と比較してそれほど大きくないが、留学生数と総予算では中国トップクラスとなっている。

 復旦大学中国第1位の大学 
学部学生数13,991名(94位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数22,232名(16位)清華大学 38,783名詳細データ
留学生数2,513名(8位)北京大学 6,857名詳細データ
専任教師数3,139名(20位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算171.55億元(6位)清華大学 362.11億元詳細データ

(2)キャンパス

 復旦大学は上海市内に、本部のある邯鄲路キャンパスのほか、上海医学院のある楓林キャンパス、江湾キャンパス、張江キャンパスを有している。

(3)学部

 復旦大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)のうち、哲学、経済学、法学、教育学、文学、歴史学、理学、工学、医学、管理学、芸術の大分類を有しており、農学はない。

(4)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、復旦大学では全体で以下の20学科を選定されている。これまで取り上げてきた大学に比較して、工学系がそれほど強くなく、人文社会系、理学系、医学系に優れていることが分かる。
○人文社会系(7) 哲学、応用経済学、政治学、マルクス主義理論、中国語文学、外国語文学、中国史
○理学系(5) 数学、物理学、化学、生物学、生態学
○工学系(3) 材料科学・工学、環境科学・工学、集積回路科学・工学 
○医学系(5) 基礎医学、臨床医学、公共衛生・予防医学、中国医学・西洋医学結合、薬学

(5)附属医院

 復旦大学上海医学院のHPによれば、2022年現在、下記の12の付属医院を運営している。
 中山医院、華山医院、腫瘍医院、産婦人科医院、小児科医院、眼科・耳鼻喉科医院、金山医院、上海市第五人民医院、上海市公共衛生臨床センター、華東医院、浦東医院、静安区中心医院(崋山医院静安分院)

 さらに同HPによれば、準備中も含めて次の6医院と協力関係にある。
 閔行医院、重粒子線医院、青浦区中心医院、徐匯医院、精神衛生センター(準備中)、歯科医院(準備中)

6. 研究開発力

 大学は、人文社会科学、理学、医学で秀でた大学である。具体的な指標で見たい。

(1)研究開発力のデータ表

 復旦大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、NSFCの面上予算獲得は下記(3)を参照。
 復旦大学は、北京大学や清華大学に次ぎ、浙江大学、上海交通大学などと競っている有力大学である。

 復旦大学中国第1位の大学 
SCI論文数6位中国科学院大学詳細データ
Nature Index7位中国科学院大学詳細データ
国家重点実験室数5か所(4位)清華大学詳細データ
NSFC面上項目予算4位上海交通大学詳細データ

(2)国家重点実験室

 大学には、以下の5か所の国家重点実験室がある。
・応用表面物理学
・専用集積回路・システム
・遺伝子工学
・医学神経生物学
・ポリマー分子工学

(3)NSFC面上項目予算獲得

 日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で復旦大学は中国全体で4位である。個別の分野での順位で10位以内として、化学科学で3位、工学・材料科学で2位、管理科学で2位、医学で3位となっている。

7. 国内および国際的な評価

(1)国内および国際的な評価のデータ表

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
 これで見ると復旦大学は、北京大学や清華大学に次ぎ、浙江大学、上海交通大学などと競っている有力大学である。

 復旦大学中国第1位の大学 
教育部ランキング6位清華大学詳細データ
校友会ランキング7位北京大学詳細データ
QSランキング世界34位  中国3位北京大学 世界12位詳細データ
THEランキング世界60位 中国3位北京大学と清華大学 世界16位詳細データ
校友会傑出人材4位北京大学詳細データ

(2)九校連盟

 2009年10月に復旦大学は、他の北京大学、清華大学、浙江大学、上海交通大学、南京大学、中国科学技術大学、ハルビン工業大学、西安交通大学の8校とともに、相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。これは「九校連盟」と呼ばれ、中国版の「アイビーリーグ」とされている。

8. 国際性

(1)他国の大学等との協力

 復旦大学は改革開放以来国際交流を拡大し、多くの国と地域の高等教育機関および科学研究機関と協力関係を確立している。具体例を挙げると、英国ダラム大学との経営学博士 ( DBA ) プログラム、 米国ワシントン大学とのMBAプログラム、香港大学とのMBAプログラム、ノルウェー・ビジネススクールとのMBA 教育プログラムなどである。
 なお、現在ハンガリーのブダペストに新たなキャンパス建設を計画中であるが、これは特記事項で取り上げる。

(2)日本との協力

 日本の大学との協力も盛んであり、一橋大学、慶応義塾大学、國學院大學、成城大学、長野大学、関西大学、関西学院大学、松山大学、九州大学、長崎大学などが協定を締結している。

9. 特記事項

(1)復旦公学設立の経緯

 復旦公学を創設したのは、清朝末期の官僚で教育者でもあった馬相伯(马相伯)である。馬相伯は、1840年江蘇省生まれで、清の高官・李鴻章の幕僚となって外交官として活躍し、日本の長崎や横浜にも滞在した人物である。
 その後教育者に転じた馬相伯は1903年に、フランスのキリスト教団体の協力を得て上海市内の徐家匯にあった旧天文台の建物を間借りして「震旦公学」を設置し、その校長となった。「震旦」は、中国語で「夜明け」または「朝日」を意味している。
 ところが、この学校の運営方針を巡ってフランス本国の団体との間で意見の相違があり、同団体の強権的な対応に反発した学生が大挙して退学した。そこで馬相伯は自らも校長を辞任し、これらの学生や一部教師とともに新たに「復旦公学」を設置したのである。

 「震旦公学」のその後であるが、キリスト教団体のてこ入れにより、同公学の教育は継続した。1909年には、聖マリア病院(現在の上海交通大学医学院附属瑞金医院)を併設し、医学院も設けられた。1930年に震旦大学に改名された。
 新中国建国後の1952年に院系調整が行われ、外国の影響下にある大学は他の大学との合併を余儀なくされた。このうち震旦大学医学院は聖ヨハネ大学医学院、同徳医学院と合併し上海第二医学院となり、現在は上海交通大学医学院となっている。 

(2)上海医科大学との合併

 復旦大学は2000年に上海医科大学との合併を行い、総合大学化を目指して両校の一体化を強く進めた。ところが、一体化の措置が性急なものであったこともあり、旧上海医科大学の教員や学生から強い不満が出され、また辞職する有力研究者なども出て、研究や臨床業績が停滞した。そこで2012年には、大学直属の医学院ではなく「上海医学院」として半独立的な組織を設置することにより、医学教育研究を独立的に運用することとしたものである。

 同じ上海市内の上海交通大学も上海第二医科大学と合併して医学院となっているが、こちらは合併当初から比較的緩い形での統合で、医学関係の教育研究業務の独立性を尊重したため、このようなことは起こらなかったと言われている。

(3)ブダペストへの進出

 復旦大学はハンガリー政府との合意に基づき、首都ブダペストに新たなキャンパスを建設する計画を進めている。建設予定地はドナウ川沿いの工場跡地で、欧州初のキャンパスとして2024年までに開設する計画である。建設費はハンガリーの高等教育予算1年分を上回る推計15億ユーロ(約2,000億円)に達し、うち13億ユーロ(約1,700億円)は中国の融資と言われている。建設を担当する業者は、中国の建設会社に決定している。
 この計画は、オルバン政権が掲げる「東方開放政策」の一環であるが、EUやNATOの域内に中国を招き入れる「トロイの木馬」であるとの関係者の批判もあり、成り行きが注目される。

参考資料

・復旦大学HP  https://www.fudan.edu.cn/
・復旦大学上海医学院HP https://shmc.fudan.edu.cn/