山東大学の概要

○山東大学は、山東省の省都・済南市に本部がある総合大学である。

○山東省は古い歴史を有しており、経済規模も広東省、江蘇省に次ぐ規模である。

○山東大学は規模の大きな大学であり、習近平政権が進める双一流建設政策の対象大学である。

山東大学正門
山東大学 百度HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 山東大学
・中国語表記 山东大学  略称 山大
・英語表記 Shandong University  SDU 

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 大学の本部は、山東省済南(さいなん)(济南)市にある。

 山東省は北京市や天津市の北にあり、黄河の下流に位置する。省の東半分を占める山東半島は、渤海と黄海に突き出ており、大連や旅順がある遼東半島と相対している。約5000年前の大汶口文化と竜山文化はここで生まれたと言われている。春秋戦国時代には、斉や魯の国などが置かれ文化の中心であった。このため思想家の孔子・孟子・孫子などがこの地で生まれている。
 中国でも最大級の省であり、人口は約1億人(広東省に次いで第2位)、経済規模は約8.7兆元(広東省、江蘇省に次いで第3位)である。省内の大きな都市としては、(りん)()市、()(たく)市、()(ほう)市、青島市、済南市など、人口1千万人前後の都市を複数有している。

 大学本部のある済南市は、山東省の西部に位置し、山西省の省都として省内の通商、教育、政治、文化、医療の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。済南市は温帯の半湿潤大陸性気候に属し、四季がはっきりしている。春は乾燥し雨が少なく、夏は暑く雨が多く、秋はさわやかで、冬は乾燥して寒い。
 清の時代や国民政府の時代においても、済南市は経済の中心地であり、日本人を含む多くの外国人が商取引のため居住し、日本総領事館、国民学校、日本陸軍師団本部などが置かれた。日本軍の大陸侵略が激しくなると、中国軍との衝突が何度か発生した。

 大学のキャンパスの一つがある青島市は、中国有数の港湾都市であり、商工業の盛んな地である。青島市の歴史は比較的新しく、清朝末期に国防上の観点から海軍軍事施設が建設されたことが始まりである。日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは、1898年には膠州湾を99年間の租借地とし、青島市をドイツのモデル植民地として街並みや街路樹、上下水道などを整えた。文化大革命終了後の改革開放政策で、青島市は経済特区や対外経済開放区に指定され経済的に発展した。

青島市の大聖堂
青島市の大聖堂

3. 沿革

 現在の山東大学は2000年に、元々の山東大学、山東医科大学、山東工業大学の三校が合併してできた大学であり、これら三校はそれぞれ別の沿革を刻んできた。

(1)山東大学堂、国立青島大学、国立山東大学

 2000年の合併前の山東大学の前身は、1901年済南市に設置された官立山東大学堂である。

 設立当初は学生が約300名、中国人と西洋人の教師が約50名であった。古典、歴史、社会科学、自然科学、外国語などを教えた。その後、山東高等学堂、山東高等学校などと改称したが、辛亥革命後に法政、工業、農業、商業、鉱業、医科の6つの専門学校に分割された。

 1926年に6つの専門学校が合併し、文、法、工、農、医の5つの学部を持つ省立山東大学となった。1928年の日本軍山東出兵の混乱から同大学は閉鎖された。その後南京の国民政府は、同大学の再開と私立青島大学との合併準備を進め、1930年に青島市に国立青島大学を開校した。1932年に国立山東大学と改称した。

 1937年に日中戦争が始まり、国立山東大学は青島市から安徽省安慶に疎開し、さらに四川省万県に移転した。四川省に移転したところで、国民政府から国立中央大学(現在の南京大学)への編入を命じられ、国立山東大学は無くなった。

(2)戦後の再建と共産党が設立した華東大学との合併

 第二次世界対戦終了後の1946年に、国民政府の承認を得て国立山東大学が青島市で再建された。1949年には青島市は共産党により解放され、国立山東大学にも共産党が進駐した。

 これとは別に、中国共産党は1945年に、江蘇省と安徽省の国境地域にある新埔に華中建設大学を開校させた。さらに同年、共産党が支配する山東人民政府も、山東省内の臨沂に臨沂山東大学を設立し、イデオロギーおよび政治教育を行った。1948年に共産党中央委員会は、華中建設大学と臨沂山東大学を合併させて華東大学とし、済南市にキャンパスを置いた。1950年に華東大学は、共産党により解放された青島市に移転した。

 1951年、国立山東大学と華東大学は合併し、新たな山東大学となった。この時点で山東大学は、文、理、工、農、医の5学部体制であった。 

(3)院系調整

 1952年から全国で院系調整が行われ、山東大学はいくつかの学部、学科を失うこととなった。主なものを下記に記す。
○ 政治学は済南に移され、山東政治学校となった。現在、中国共産党の山東省党委員会の党学校となっている。
○ 芸術学部演劇科は上海に移され、現在の上海戯劇学院となった。
○ 芸術学部の音楽科と美術科は無錫に移され、現在の華東芸術学院と南京芸術学院となった。
○土木工学科は、他の大学の学部と合併して青島理工大学となった。
○機械科および電気科は済南に移され、後に山東工業大学となった。
○農学部の農学、園芸学、植物病害虫学の 3 つの学科は済南に移され、現在の山東農業大学となった。
○医学部は 1956 年に独立し、青島医科大学となった。

(4)済南市への移転と文革での試練

 山東大学は1958年に、山東省政府により青島市から済南市に移転を命じられた。一部の学科を残して、大部分の学科と本部は済南市に移転した。

 1966年に文化大革命が始まると、山東大学の活動全般が麻痺した。大学内の革命派が横暴を極め、大学名を魯迅大学に変更した。1970年には名称が山東大学に一旦戻ったが、今度は大学が三分割されてしまった。1973年に中央政府の周恩来国務総理がその状況を知って、元の山東大学に戻すよう指示した。

 文革が終了すると、山東大学は院系調整で失われた学科の再設置・拡充に努め、徐々に総合大学としての体制を強化していった。

(5)山東医科大学

 現在の山東大学の源流の一つである山東医科大学も、いくつかの大学が合併して出来たものである。

 最も古いものは、斉魯大学医学院である。斉魯大学は、1902年に米国、英国、カナダのキリスト教団体が協力して設立された。斉魯大学の開校後、山東省内の4か所にあった西洋医学の教育施設を統合し、斉魯大学医学院として医学教育を施すこととした。1917年には、済南市に新たなキャンパスが建設され、医学教育は全て済南市に移った。

 二つ目は、山東省立医学院である。1932年に済南市に設立された山東省立医学専門学校が前身であり、共産党の済南開放後の1948年に、後述する華東白求恩医学院に吸収合併された。

 三つ目は、華東白求恩医学院であり、日中戦争中の1944年に共産党の軍隊第四軍軍医学校として、設立された。抗日戦争の必要性に応えるため、1944 年に人民解放軍の承認を得て第 4 陸軍軍医学校が安徽省で設立され、山東省に移転した。戦後に華東白求恩医学院と改名した。1948年に済南市に移り、山東省立医学院を吸収した。1950年に山東医学院と改名した。

 1952年の院系調整において、外国系の大学であった斉魯大学は廃止となり、同大学の医学院は山東医学院と合併して新たな山東医学院となり、旧斉魯大学医学院の敷地が新たな山東医学院のキャンパスとなった。1985年には、山東医科大学と改称した。

(6)山東工業大学

 山東大学の三つ目の母体は、山東工業大学である。山東省人民政府は1949年夏に、山東省内の6つの工学系専門学校を統合して済南市を中心とする山東工業専門学校を設立した。新中国建国後の1951年に、同専門学校は山東工学院に改称となった。

 その後、徐々に学科を増加させていき、文革後の1983年には、山東工業大学と改称した。

(7)新たな山東大学へ 

 2000年には、山東大学、山東医科大学、山東理工大学が合併し、新しい山東大学が誕生した中山医科大学は、中山大学中山医学院として再スタートすることとなった。なお山東医科大学は、それまでの沿革に鑑み、山東大学斉魯医学院となった。

新山東大学の合併大会
三大学の合併(2000年)山東大学HPより引用

4. 現在の指導部

(1)学長

 現学長の李術才(李术才)は、1965 年河北省生まれで、1996 年に中国科学院武漢地質科学研究所を卒業し、工学博士号を取得した。2001 年に山東大学の教授となり、地盤工学センターの所長を務めた。2022年より山東大学学長を務めている。2019年11月には中国工程院の院士に選出されている。専門は土木・水利工学である。

(2)共産党委員会書記

 共産党委員会書記の郭新立は、1960 年河北省生まれである。上海交通大学企業管理学科を卒業し、国務院教育部(日本の旧文部省)で勤務した後、2014年に上海交通大学の共産党委員会常務副書記となり、2017年に山東大学共産党委員会の書記に就任した。

5. 規模

(1)規模のデータ

 山東大学はいわゆるマンモス大学であり、学部学生数、留学生数、専任教師数は中国トップクラスに位置している。ただ、学部学生数に比して大学院生数はそれほど多くなく、また総予算も小さい。具体的な数値で見たのが下表である。

 山東大学中国1位の大学 
学部学生数42,286名(2位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数26,818名(8位)清華大学 38,850名詳細データ
留学生数3,791名(4位)北京大学 6,857名詳細データ
専任教師数4,600名(2位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算130.65億元(11位)清華大学 362.11億元詳細データ

(2)キャンパス

 山東大学は、山東省内の済南市、青島市、威海市の3つの市内にキャンパスを有している。このうち済南市には、中心、千仏山、趵突泉、洪家楼、軟件園、興隆山という、合計6つのサブキャンパスがある。中心には、文系、理学部系の学部と大学本部があり、趵突泉には斉魯医学院がある。

(3)学部

 山東大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、全ての大分類を有する総合大学である。

(4)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、山東大学は全体で以下の4学科が選定されている。
  ○人文系(1) 中国語言文学
  ○理学系(2) 数学、化学
  ○医学系(1) 臨床医学

 これまでに取り上げた他の有力大学と比較すると少ない。最も多い北京大学の41学科は別格としても、一桁であるのは、華中科技大学の9学科、四川大学の6学科の2校のみである。

(5)附属医院

 HPによれば、山東大学斉魯医学院は次の4つの附属医院を有している。この附属医院の数も他の有力大学に比して少ない。
  ・山東大学斉魯医院
  ・山東大学第二医院
  ・山東大学口腔医院
  ・山東大学附属生殖医院

6. 研究開発力

 山東大学は、中国の主要大学において15位前後の研究開発力を有すると考えられる。

(1)研究開発力のデータ表

 山東大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
 このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)も参照。

 山東大学中国第1位の大学 
SCI論文数14位中国科学院大学詳細データ
Nature Index15位中国科学院大学詳細データ
国家重点実験室数2か所(23位)清華大学 13か所詳細データ
NSFC面上項目予算9位上海交通大学詳細データ

(2)国家重点実験室

 山東大学にある2か所の国家重点実験室は、次の通りである。
  ・結晶材料
  ・微生物技術

7. 国内および国際的な評価

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
 これで見ると山東大学は、中国国内の主要大学の中で20位程度にある総合大学と言える。

 山東大学中国第一位の大学 
教育部ランキング20位清華大学詳細データ
校友会ランキング20位北京大学詳細データ
QSランキング世界396位 中国19位北京大学 世界12位詳細データ
THEランキング世界801-1000位 中国49位北京大学、清華大学 世界16位詳細データ
校友会傑出人材14位北京大学詳細データ

8. 国際性

(1)他国の大学等との協力 

 山東大学は、中国で最も早く国際交流活動を行った大学の 1 つであり、現在では、メリーランド大学、シカゴ大学など、数十の国と地域の 100 を超える大学と緊密な協力と交流関係を築いている。 その中には、米国イェール大学、ドイツ・ブレーメン大学、英国マンチェスター大学、オーストラリア・シドニー大学、シンガポール国立大学、南洋工科大学などの世界的に有名な大学が含まれている。

 威海キャンパスでは、オーストラリアのロイヤル・メルボルン工科大学と機械設計、製造、自動化の学部教育プログラムを、オーストラリア国立大学とコンピューター サイエンスの学部教育プログラムを、それぞれ共同組織している。また、斉魯キャンパスの軟件サブキャンパスでは、カナダ国家教育交流センターと協力し、工学の高等教育プロジェクトを実施している。

(2)日本との協力

 HPによれば、日本では長崎大学、早稲田大学、熊本大学、信州大学、神戸大学、山口大学、日本大学、立命館大学、九州工業大学、九州大学、京都大学、金沢大学、横浜国立大学、和歌山県立医科大学、和歌山大学、広島女学院大学、広島大学、富山大学、法政大学、東洋大学、東京大学、大東文化大学、島根大学と交流関係にある。

(3)山東大学澳国立連合理学院

 山東大学とオーストラリア国立大学は共同で、威海キャンパスに連合理学院を組織している。同学院は、数学・応用数学、応用物理学、応用化学、生物科学の4つの学部専攻を有しており、オーストラリア国立大学の教育モデル、カリキュラムシステム、および教育資源を導入し、国際的な視野を持ち、革新的な精神と実用性を備えた人材の育成に当たっている。

9. 特記事項

(1)マンモス大学となったが、研究力は他の主要大学に比して弱い

 2000年に3つの大学が統合して、新たな山東大学となり、中国国内でも有数のマンモス大学となった。しかし、規模に比較して、研究力や国内外の評判は、これまでに取り上げた主力大学に比較してそれほど高くない。論文数、Nature Index、双一流建設学科数、国内外の評価などでは、15位から20位前後にある。

(2)関係する著名な研究者

 山東大学関係での著名な科学者としては、次のような人たちがいる。

○童第周 生物学者 詳しくはこちらを参照。
○王淦昌 物理学者 詳しくはこちらを参照。

参考資料

・山東大学HP https://www.sysu.edu.cn/
・山東大学斉魯医学院HP https://zssom.sysu.edu.cn/zh-hans
・山东大学澳国立联合理学院HP https://science.anu.edu.au/shandongdaxueaoguolilianhelixueyuan
・百度HP https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E5%AD%A6/5672?fr=aladdin