中国科学技術大学の概要

中国科学技術大学 
中国科学技術大学の写真

○中国科学技術大学は、世界最大の研究機関である中国科学院が設立し運営する大学である。

○安徽省合肥に本部キャンパスを有する。

○理と工が強い大学であり、単科大学に近く、規模もそれほど大きくない。米国のCALTECやMITを目指していると言われている。

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 中国科学技術大学 
・中国語表記 中国科学技术大学  略称 中国科大 科大
・英語表記 University of Science and Technology of China  USTC

(2)所管

 国務院の一部局で、中国の科学技術研究の最高峰である中国科学院の直轄大学である。
 なお中国では、大学の設置許可の権限は国務院教育部(日本の旧文部省に相当)にあるが、教育部以外に工業情報化部、中国科学院、地方政府、人民解放軍などが大学を所管している。

 中国科学院については、こちらを参照されたい。

2. 本部の所在地

 中国科学技術大学の本部は、安徽省合肥にある。

 安徽省は、中国大陸中東部の内陸側に位置し、江蘇省、浙江省、湖北省、江西省、河南省と接する。省内を長江と淮河が流れ、概して平坦である。モンスーン性気候であり、温暖で湿度が高く、四季が明確で、年間平均気温は 14 ~ 17°C、1 月の平均気温は 0 ~ 4°C、7 月の平均気温は 27 ~ 29°C である。
 安徽省の人口は約6,100万人(中国第9位)、経済規模はGDPで約6,800億ドル(中国第11位)である。古来より農業が主要な産業であったが、近年は上海などを中心とする長江デルタ経済地域にあって家電・自動車生産基地となっている。

 合肥は、安徽省の省都で同省の中央にあり、江蘇省南京から西に約100キロメートル、上海から西に約350キロメートル、北京から南に約1,000キロメートルの位置にある。人口は約960万人で、安徽省では最も多い。
 合肥の歴史は、司馬遷の史記にも記述があるほど古いが、三国志の時代に魏の曹操と呉の孫権が争った地としても有名である。
 合肥には、中国科学技術大学を所管する中国科学院の重要な研究機関の一つである合肥物質科学研究院が、少し離れた同市内に設置されている。

合肥郊外の科学島 
合肥物質科学研究院がある合肥郊外の科学島 同研究所のHPより引用

3. 沿革

(1)北京に設立

 1949年の中華人民共和国の建国時以降、科学技術に携わる人材が不足していた。そこで中国科学院は1958年5月に、ソ連科学アカデミー・ノボシビルスク支部とノボシビルスク大学との連携事例を参考として、大学設立の判断を共産党中央に仰いだところ、6月に承認が下りた。
 中国科学院は、大学名を「中国科学技術大学」とし準備作業を進め、9月に北京市西郊外玉泉路に開学した。玉泉路は紫禁城の西約10キロメートルのところにあり、現在は中国科学院傘下のもう一つの大学・中国科学院大学のキャンパスや、中国科学院高エネルギー物理研究所などがある。

 第一期生は約1,600名で、中国科学院本体の郭沫若院長が学長を兼任した。専攻分野の設置に当たっては、中国科学院傘下の研究所との連携を図りつつ、中国において充実が急がれる手薄な分野又は空白分野、とりわけ原子力や宇宙科学技術に関する学部や専攻を重点的に配置した。

(2)文革で流転したのち合肥へ

 文化大革命が始まると、1966年に学生の募集が停止され、さらに1969年には当時の指導者である林彪の指示により、北京市外へ移転することとなった。河南省南陽、安徽省安慶を転々とし、最終的に現在の安徽省合肥に落ち着いた。また所管する組織も、まず安徽省に、続いて第三機械工業部に変更となり、1973年に再び中国科学院の管轄に戻った。
 移転中、教学用の設備類はほぼすべてが廃棄され、教職員の3分の1が流出し、いくつかの専攻分野が廃止となった。中国科学院とその傘下の研究所が、直接学校の運営に当たるという長所も失われた。

(3)文革後の回復と発展

 文革終了後、大学は徐々に正常な運営に戻った。国務院は1981年に、中国科学院本体と中国科学技術大学を博士号及び修士号の授与教育機関として認可し、1982年から博士号及び修士号の授与をスタートさせた。1983年、中国大陸で初めて博士の学位が18名に授与されたとき、うち7名は中国科学技術大学出身の大学院生であった。こうして中国科学技術大学は、中国で最も重要な理系大学の一つに返り咲いた。

 また、科学技術の英才教育を行う「少年班」も文革後に設置された。少年班については下記の特記事項を参照されたい。

 その後、大学院の規模を徐々に大きくするとともに、物理学関連の研究インフラを拡大充実させ、現在では物理学を中心とした理工系の大学として、中国国内で引き続き重要な地位を占めている。

4. 現在の指導部

(1)学長

 現学長の包信和は、1959年江蘇省生まれで、復旦大学化学科で理学博士号を取得した後、1989年にドイツ・マックスプランク協会の研究員となった。1995年に帰国し、中国科学院の大連化学物理研究所の研究員となり、その後、同研究所所長、中国科学院瀋陽分院長、復旦大学常務副学長を歴任した後、2017年7月から中国科学技術大学学長に就任している。専門は、エネルギーの高効率化に関する触媒化学である。

(2)共産党委員会書記

 共産党委員会書記の舒歌群は、1964年に浙江省に生まれ、浙江大学と天津大学で学び、博士号を取得の後、天津大学の教授に就任した。天津大学で副学長や党副書記などを歴任した後、2018年から中国科学技術大学の党書記を務めている。専門は内燃機関の設計や廃熱エネルギー変換などである。

5. 規模

(1)規模のデータ表

 いくつかの指標で、中国科学技術大学の規模を示したのが下表である。学部学生数、大学院生数、留学生数、専任教員数は中国の他の主要大学と比較して大きくないが、総予算では10位以内となっている。

 中国科学技術大学中国第1位の大学 
学部学生数7,676名(121位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数17,682名(29位)清華大学 38,783名詳細データ
留学生数832名(20位)北京大学 6,857名詳細データ
専任教師数3,155名(18位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算133.85億元(9位)清華大学 362.11億元詳細データ

(2)キャンパス

 中国科学技術大学は、合肥市の中心部に、東、西、南、北、中央の5つの区画を有するが、距離的に近く比較的まとまっている。

(3)学部

 中国科学技術大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)のうち、法学、文学、歴史学、理学、工学、医学、管理学の大分類を有しているが、哲学、経済学、教育学、農学、芸術の大分類はない。このうち法学はマルクス主義、文学は英語とマスコミ学、歴史は考古学のみである。医学は2017年に設立されており新しい。
 したがって、理と工が中心の大学と言える。

(4)双一流学科建設

 2022年に改訂された双一流学科建設において、中国科学技術大学は全体で以下の11学科が選定されている。理学系と工学系に優れていることが分かる。
○理学系(6) 数学、物理学、化学、天文学、地球物理学、生物学 
○工学系(4) 材料科学・工学、計算機科学・工学、核科学・技術、安全科学・工学
○その他(1) 科学技術史

6. 研究開発力

 中国科学技術大学は、理学、工学に秀でた大学である。具体的な指標で見たい。

(1)研究開発力のデータ表

 中国科学技術大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、NSFCの面上予算獲得は下記(3)を参照。
 小さな大学ではあるものの、論文などでは中国トップクラスとなっている。

 中国科学技術大学中国第1位の大学 
SCI論文数9位中国科学院大学詳細データ
Nature Index2位中国科学院大学詳細データ
国家重点実験室数2か所(23位)清華大学詳細データ
NSFC面上項目予算20位上海交通大学詳細データ

(2)国家重点実験室

 中国科学技術大学には、以下の2か所の国家重点実験室がある。
・火災科学重点実験室
・核検出・核電子工学国家重点実験室 (中国科学院高エネルギー物理研究所と共同)

 なお中国科学技術大学には、国家重点実験室の格上で全国に4か所しかない国家実験室として、国家放射光実験室を設置運営している。

(3)NSFC面上項目予算獲得

 国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算の獲得額は、2019年で中国科学技術大学は中国全体で20位である。個別の分野での順位で10位以内として、数理科学(数学、物理など)で1位、化学科学で9位となっている。

7. 国内および国際的な評価

(1)国内および国際的な評価のデータ表

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
 これで見ると中国科学技術大学は、国内で10位以内に入り、国際的にも評価が高い大学である。

 中国科学技術大学中国第1位の大学 
教育部ランキング10位清華大学詳細データ
校友会ランキング9位北京大学詳細データ
QSランキング世界94位  中国6位北京大学 世界12位詳細データ
THEランキング世界88位 中国6位北京大学と清華大学 世界16位詳細データ
校友会傑出人材8位北京大学詳細データ

(2)九校連盟

 2009年10月に中国科学技術大学は、他の北京大学、清華大学、浙江大学、上海交通大学、復旦大学、南京大学、ハルビン工業大学、西安交通大学の8校とともに、相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。これは「九校連盟」と呼ばれ、中国版の「アイビーリーグ」とされている。

8. 国際性

(1)他国の大学等との協力

 米国メリーランド大学と1980年に最初の国際協力提携を結んで以来、現在までに20余りの国と地域の60か所の大学や研究機関と協力関係を築いている。

(2)日本との協力

 日本の大学では、東北大学、筑波大学、九州大学、信州大学などと協力関係にある。

9.特記事項

(1)設立時の豪華な教授陣  

 中国科学技術大学は中国科学院の期待と希望を担って設置された大学であり、また設置場所も北京であったため、中国科学院の誇る著名な科学者・研究者が同大学の教授陣として、学生を指導した。例えば、物理学の銭学森厳済慈趙九章、数学の華羅庚などである。

(2)苦難の時期に対応~厳済慈

 これらの教授陣で、中国科学技術大学の発展に最も功績があったのは、厳済慈(严济慈)である。厳済慈は1901年に浙江省で生まれ、パリのソルボンヌ大学で博士号を取得して1931年に帰国した。新中国建国後、中国科学院の幹部として中国科学技術大学の創設準備に携わり、1961年には郭沫若学長の下で副学長となった。1966年に開始された文革により、中国科学技術大学は北京を出て地方を流転し、所管も何度か変わったが、厳済慈がこの危機的な時期に失脚状態にあった郭沫若に代わって対応に当たった。文革終了後の1980年に第2代学長に就任した。

物理学者・厳済慈
苦難の時期に対応した物理学者・厳済慈 百度HPより引用

(3)量子通信と量子コンピュータで活躍~潘建偉

 現在、中国科学技術大学の名声を高めている物理学者に潘建偉(潘建伟)がいる。潘建偉は1970年浙江省に生まれ、中国科学技術大学から学士号、修士号を取得した後オーストリアに留学し、アントン・ツァイリンガー(Anton Zeilinger)教授の指導を受けた。博士号を取得した後2001年に帰国し、母校の教授に31歳の若さで就任した。2015年からは副学長を務めている。

 潘建偉は、恩師ツァイリンガー博士などと協力して、量子通信や量子コンピュータの研究で数々の業績を挙げている。中でも、人工衛星「墨子」を用いて地上と宇宙を結んで量子通信実験を世界で初めて成功させたことにより、中国国内でノーベル賞受賞の期待が高まった。
 2022年10月、ノーベル賞委員会は、量子もつれ研究に関し、ツァイリンガー教授、フランスのアラン・アスペ博士、米国のジョン・クラウザー博士の3名のノーベル物理学賞受賞を発表した。したがって、残念ながら潘建偉の受賞はならなかったが、今後の量子通信や量子コンピュータの実用化が進展すれば、受賞の可能性はまだ残っていると考えられる。

潘建偉の写真
量子科学で存在感を発揮する潘建偉 百度HPより引用

(4)青少年の科学エリート教育

 中国科学技術大学には、15歳以下の子供に徹底した理工系の天才教育を行う「少年班」がある。文革終了後の1978年に設置された。子供達は少年班に入る際、通常の大学入試と同じ問題を受験し、さらに面接で知識力や理解力を徹底的にチェックされる。入学後2年間は基礎科目として数学、物理、コンピュータだけを徹底して学ぶ。4年生になると、ハイテク関連の研究所や企業に派遣され、そこで勉強や研究に没頭する。卒業生は、国内や海外の大学の研究者、欧米との合弁会社の経営者などとして活躍している。

参考資料 

・中国科学技術大学HP  https://www.ustc.edu.cn/index.htm
・中国科学院HP https://www.cas.cn/
・百度HP
・中国版Wiki
・ノーベル賞HP 2022年物理学賞受賞者アントン・ツァイリンガー