概要
ハルビン工業大学 (哈尔滨工业大学、Harbin Institute of Technology) は、黒竜江省ハルビン市にある大学である。
ハルビン市はロシアとの国境に近く、また日本による満州国設立もあり、ロシアと日本の影響を大きく受けた。
ハルビン工業大学は、国防関係部局が所管する大学(国防七子)の一つであり、中国の国防経費の大幅な増額を受け、潤沢な資金で研究開発を実施している。
1. 名称と所管
(1)名称
・日本語表記 ハルビン工業大学
・中国語表記 哈尔滨工业大学 略称 哈工大
・英語表記 Harbin Institute of Technology 略称 HIT
(2)所管
国務院工業・情報化部(工业和信息化部)の直轄大学である。10.の特記事項にも記すとおり、同部は中国全土に7校の直轄大学を有している。
2. 本部の所在地
大学の本部は、黒竜江省ハルビン市にある。
黒竜江省は中国の北東端にあり、吉林省の北、内モンゴル自治区の東に位置する。同省の北部は、黒竜江(アムール川)をはさんでロシアと国境を接している。
先秦の時代から歴史書に現れており、隋唐時代には靺鞨、金代には女真と称し、清代になって満洲となった。清朝初期にロシア帝国の東進を受けネルチンスク条約が結ばれたが、清朝末期にアイグン条約により黒竜江が両国の境界線となり、さらに北京条約でネルチンスク条約は廃棄され、現在の国境線が確定した。1933年に日本の傀儡政権である満州国が成立すると、同省は同国に編入されたが、1945年の日本敗戦に伴い満州国は解体され、国共内戦を経て現在に至っている。
省内の人口は約3,100万人(2021年)で、中国第15位である。GDPは約1.6兆元(2022年)で、中国第25位である。省内の大きな都市としては、ハルビン(哈尔滨)市、チチハル(齐齐哈尔)市、牡丹江市などがある。中国の重要な農業地域であり、良質な黒豆(黒大豆)、大豆、小豆が生産されている。
大学のあるハルビン市は、黒竜江省の省都であり、同省の南でロシアとの国境線の反対側に位置する。人口は約950万人(2020年)であり、産業としては重電、航空機製造、薬品工業、自動車産業などがある。
気候は、夏と冬の温度差が非常に大きい大陸性気候である。1月の平均気温は−18.6℃、乾燥していて降雪はほとんどない。一方、夏は暑く7月の平均気温は22.8℃、年間降水量のほとんどが6月から9月で占められる。
発展の契機となったのは、1898年に開始されたロシア帝国による東清鉄道の建設である。その後、交通の要衝としてロシア風の建造物が次々と建設され、ハルビンの市街地が形成された。1905年9月のポーツマス条約により、日本がロシアから東清鉄道と南部鉄道線の経営権を取得し、ハルビンに日本領事館が設置された。その後、辛亥革命やロシア革命を経て、ハルビンの行政権は中国側に渡ったが、1933年の満州国設立後は日本の影響下にあり、戦後になって新中国による支配が確立した。
写真は、ハルビン市内にある聖ソフィア大聖堂である。1907年に、帝政ロシア兵士の軍用教会として設置され、その後増築を経て、今に残る大聖堂が1932年に完成した。赤レンガの外壁と玉ねぎに似た緑の丸屋根の同教会は、東アジアで最も大きなロシア正教の教会で、典型的なビザンチン建築である。
3. 沿革
(1)ハルビン中ロ工業学校
ハルビン工業大学の前身は、1920年に設立された「ハルビン中ロ工業学校(哈尔滨中俄工业学校)」である。ロシアを意味する中国語は俄罗斯であり、オロスと発音する。当時、張作霖率いる奉天軍閥が東清鉄道を運営しており、同校は鉄道技術者の養成機関として設立され、授業はすべてロシア語で行われた。開設時の学科は、土木工学科と機械電気工学科であった。
1922年には「ハルビン中ロ工業大学校(中俄工业大学校)となり、さらに1928年には「ハルビン工業大学(哈尔滨工业大学)」となって、政治・法学部と商学部を設置した。同大学は中華民国とソ連の共同管理であった。
(2)日本の支配で国立ハルビン工業大学に
1931年の満州事変(九一八事変)を経て1932年に満州国が設立されると、ハルビン工業大学は日本に接収され、日本語で授業が行われるようになった。1936年に「国立ハルビン高等工業学校(国立哈尔滨高等工业学校)」に改称され、さらに1938年に「ハルビン工業大学(哈尔滨工业大学)」に戻った。
第二次世界大戦後、ハルビン工業大学は中ソ共同管理に戻り、鉄道技術者の養成を主とし、授業はロシア語で行われた。さらに同大学は、新中国建国後の1950年に中国の管理する大学となり、当時の親ソ路線の下、ソ連の工業技術を摂取する大学とされた。
1952年には、中国全土の大学で学部学科の調整政策である院系調整が実施されたが、ハルビン工業大学は単科大学に近い大学であり、またロシアの高等教育方式を実践していることもあって、ほとんど影響を受けなかった。
しかし1959年、国防科学技術と国家経済建設に特化するため、同大学から「ハルビン建築工程学院(哈尔滨建筑工程学院)」と「東北重機械学院(东北重型机械学院)」が分離独立した。ハルビン建築工程学院はその後再びハルビン工業大学と合併したが、東北重機械学院は現在河北省秦皇島にある「燕山大学」となっている。
(3)文革時の試練
1966年に始まった文化大革命は、ハルビン工業大学にも大きな影響を与えた。
1970年には、ハルビン工業大学の一部の人員と大部分の教育資源が西部の重慶に移動し、「重慶工業大学」が設立された。一方、ハルビンに残った人員と教育資源は、同じ地域の黒龍江工学院およびハルビン電工学院と合併し、新たなハルビン工業大学となった。
1974年に、重慶工業大学はハルビンに戻り、再度ハルビン工業大学、黒龍江工学院およびハルビン電工学院となった。この重慶への一部移転と回帰によりハルビン工業大学は大きなダメージを受けた。
(4)文革後の発展
文化大革命が終結した1977年、ハルビン工業大学は中国の他の主要大学と同様、学生募集を再開した。1984年には全国15大学の重点建設大学に指定され、1996年には211工程の対象大学に指定された。これらを通してハルビン工業大学は現在の中国東北部最高学府の一つとしての地位を不動のものとした。
2000年には、1959年に分離されたハルビン建築工程学院と合併した。
4. 現在の指導部
(1)学長
現学長の韓傑才(韩杰才)は、1966年四川省生まれで、1988年にハルビン工業大学で材料科学の博士号を取得した。母校で教鞭を執り、1995年に教授に就任した。その後、英国ノッティンガム大学で訪問研究を行った後、2007年にハルビン工業大学副学長となり、2021年に同大学学長に就任した。専門は、超高温複合材料および薄膜材料の研究で、2015年に中国科学院院士に当選している。
(2)共産党委員会書記
共産党委員会書記の熊四皓は、1969年江西省省に生まれ、清華大学現代応用物理学科を卒業し学士号を取得している。工業・情報化部通信保障局副局長などを経て、2015年にハルビン工業大学の党委副書記となり、2019年から同大学の党委書記を務めている。
5. 規模
(1)規模のデータ
ハルビン工業大学は、学生数や大学院生数では中国の主要大学中で中規模であるが、教師数や総予算は中国上位に位置している。これは、国防関係の予算増を受けてのものと考えられる。具体的な数値で見たのが下表である。総予算額が規模に比して大きいのは、国防七子の一員であることが大きい。
中山大学 | 中国1位の大学 | ||
学部学生数 | 30,977名(18位) | 鄭州大学 47,000名 | 詳細データ |
大学院生数 | 23,913名(14位) | 清華大学 38,850名 | 詳細データ |
留学生数 | 1,686名(14位) | 北京大学 6,857名 | 詳細データ |
専任教師数 | 4,110名(6位) | 吉林大学 6,506名 | 詳細データ |
総予算 | 144.18億元(7位) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
(2)キャンパス
ハルビン工業大学は、ハルビン市内に本部を含めてほとんどの学部があるキャンパスを有し、それ以外に山東省威海市と広東省深圳市にそれぞれ小さなキャンパスを有している。
(3)学部
ハルビン工業大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)において、工学、理学が中心であり、それ以外の大分類として哲学、経済、法学、文学を有している。工学系では航空宇宙、電子情報、機械電気、材料工学・科学、化学工学などで多くの学科を有している。
(4)双一流学科建設
中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、ハルビン工業大学は全体で以下の8学科が選定されている。圧倒的に工学系が多い。
○理学系(1) 力学
○工学系(7) 機械工学、材料科学・工学、制御科学・工学、計算機科学・技術、土木工学、航空宇宙科学・技術、環境科学・工学
6. 研究開発力
ハルビン工業大学は、中国の主要大学において15位前後の研究開発力を有すると考えられる。
(1)研究開発力のデータ表
ハルビン工業大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)も参照。
ハルビン工業大学 | 中国第1位の大学 | ||
SCI論文数 | 17位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
Nature Index | 32位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
国家重点実験室数 | 3か所(16位) | 清華大学 13か所 | 詳細データ |
NSFC面上項目予算 | 16位 | 上海交通大学 | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
ハルビン工業大学にある3か所の国家重点実験室は、次の通りである。
・先進溶接・接続
・都市水資源・水環境
・ロボット技術・システム
7. 国内および国際的な評価
中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
これで見るとハルビン工業大学は、中国国内の主要大学の中で10位から15位程度にある大学と言える。
ハルビン工業大学 | 中国第一位の大学 | ||
教育部ランキング | 13位 | 清華大学 | 詳細データ |
校友会ランキング | 15位 | 北京大学 | 詳細データ |
QSランキング | 世界217位 中国10位 | 北京大学 世界12位 | 詳細データ |
THEランキング | 世界501-600位 中国25位 | 北京大学、清華大学 世界16位 | 詳細データ |
校友会傑出人材 | 10位 | 北京大学 | 詳細データ |
8. 国際性
(1)他国の大学等との協力
ハルビン工業大学のHPによれば、2020 年 5 月現在、カーネギーメロン大学、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校、カリフォルニア大学アーバイン校、ラトガース大学、アーヘン工科大学、ミュンヘン工科大学、ダブリン国立大学、デンマーク工科大学、マドリッド工科大学、ミラノ工科大学を含む45 の国と地域の 435の大学と協力関係を築いている。
(2)ロシアとの協力
ハルビン工業大学は、その設立経緯からロシアと強い協力関係を有している。ハルビン工科大学は、中国とロシアの 29 の有力大学と協力して中国とロシアの工学大学同盟(「ASRTU:Association of Sino-Russian Technical Universities」と呼ばれる) を設立することを主導した。このASRTUでは、ロボットイノベーションとディスプレイのコンペティション、大学生小型衛星ユース スタディキャンプなどの活動を行っている。この協力には、両国から 5万人を超える若者が参加している。
9. 特記事項
(1)国防七子
国防七子とは、国務院の工業・情報化部が所管する七つの大学を指し、国防七校とも呼ばれている。七つの大学は、ハルビン工業大学のほか、北京航空航天大学、北京理工大学、ハルビン工程大学、西北工業大学(陝西省西安市)、南京航空航天大学、南京理工大学である。
国防七子を所管する工業・情報化部(工业和信息化部、Ministry of Industry and Information Technology)は、2008年の国務院機構改革で設立されたが、産業政策全般、ハイテク産業育成政策、情報通信政策などを担当している。
工業・情報化部の管理する独立局に部局に、国家国防科技工業局(State Administration of Science, Technology and Industry for National Defense:SASTIND)があり、原子力、航空、宇宙、通常兵器、船舶、電子などの国防先端技術産業を所管しており、また「中国航天科技集団有限公司」、「中国航天科工集団有限公司」のほか、「中国航空工業集団有限公司」、「中国船舶重工集団有限公司」、「中国核工業集団有限公司」、「中国兵器工業集団有限公司」、「中国電子子科技集団有限公司」などの巨大な国営企業を傘下に有している。国防七子の各大学は、この国家国防科技工業局と密接な関係を有している。
(2)宇宙関係での実績
ハルビン工業大学は、宇宙開発でこれまでに大きな成果を挙げてきている。具体的には、宇宙開発に関するロボット工学、小型衛星、宇宙関連機器製造、新素材などの研究開発である。中国の宇宙船である神舟シリーズや中国独自の宇宙ステーション・天宮、月探査計画・嫦娥などでも貢献をしている。
ハルビン工業大学の著名な卒業生に、中国初の人工衛星「東方紅1号」の開発にも参加し、その後の数々の衛星開発や初期の嫦娥計画を指導し、「宇宙の総帥(航天总师)」と呼ばれている孫家棟がいる。孫家棟は、1947年にハルビン工業大学の予科に入学しロシア語の習得に努めた後、本科の自動車学科に入学している。
(3)日本との関係
ハルビンは、日本との関係が深い都市である。満州国設立から第二次世界対戦終了まで実質的に日本が支配していたことから、日本人が多く住み、ハルビン工業大学でも日本語で授業が行われた。満州国設立前の1909年に、朝鮮の安重根が日本初代内閣総理大臣である伊藤博文を暗殺したのも、ハルビン駅のホームであった。
参考資料
・哈尔滨工业大学HP http://www.hit.edu.cn/
・百度HP 哈尔滨工业大学 https://baike.baidu.com/item/%E5%93%88%E5%B0%94%E6%BB%A8%E5%B7%A5%E4%B8%9A%E5%A4%A7%E5%AD%A6?fromModule=lemma_search-box
・工业和信息化部HP https://www.miit.gov.cn/
・国家国防科技工业局HP http://www.sastind.gov.cn/