概要
天津大学(Tianjin University)は、1895年に設立された天津西学学堂を源としている。
その後、何度かの学部再編を受けて、工学中心の大学となったが、近年人文系学部や医学部などを設置して、総合大学化を目指している。
天津市内の大学としては、南開大学と並んで中国の主要大学の一角を形成している。

1. 名称と所管
(1)名称
・中国語表記 天津大学 略称 天大
・中国語表記 天津大学
・英語表記 Tianjin University 略称 TJU
(2)所管
国務院教育部の直轄大学である。
2. 本部の所在地
大学の本部は、天津市南開区衛津路92号である。
天津市は、北京市、上海市、重慶市ととともに中国に4つある直轄市の1つである。北京から見て約100キロメートル南東に位置し、中国の新幹線である高鉄で30分程度と近い。東に渤海湾を、北に燕山を望む。
天津は、韻や周の時代から人が住むところであったが、隋の煬帝が大運河を建設した際、南方と北方の交差する場所となり、以降その水運で栄えた。
天津の人口は、2024年末で約1,364万人であり、中国では第27位である。
日本から海路で北京に向かう場合、天津港が玄関口であったので、日本にもなじみが深い。例えば、天津甘栗は天津の北にある燕山などの華北地方の栗を砂糖で煮て焼いた栗であり、天津港から日本を含む外国に出荷されたので、天津の名がついている。

3. 沿革
(1)北洋大学堂
天津大学の前身は、1895年に清の光緒帝が書面で設立を許可した天津西学学堂である。この時期は、中国のいくつかの地域で高等教育機関が設置された時期であった(下記7.の特記事項参照)。天津西学学堂は、翌1896年に北洋大学堂と改名した。

北洋大学堂は、一等学堂(本科)、二等学堂(予科)からなり、本科では工学全般、鉱業学、機械工学、法学を教え、1897年には鉄道学が追加された。
(2)義和団事件、辛亥革命
宗教秘密結社義和団は、1900年に「扶清滅洋」をスローガンとして決起し、排外運動を展開して外国公使館などを包囲する事件を起こした。これを清朝の最高権力者であった西太后が支持して、欧米列強や日本に宣戦布告したため、清国軍と英、仏、露、米、日本など8か国連合軍の戦いとなった。
天津とその海の玄関口である大沽砲台が清朝と8か国連合軍との戦いの激戦地となり、清国軍は破れて天津が連合軍に占領されてしまった。連合軍は、北洋大学堂の校舎を占領し設備などを破壊したため、同学堂は閉鎖に追い込まれた。
その後、袁世凱などの助力を得て、北洋大学堂は1903年に教学を再開した。
1911年に辛亥革命が起こり清が滅亡すると、北洋大学堂は新政府教育部の管轄となり、1913年に国立北洋大学と改名した。
1920年には新政府による学部再編が行われ、法科が北京大学に移ったため、国立北洋大学は工科中心の大学となった。
1929年には、国立北洋工学院となった。
(3)日中戦争により西部へ疎開
1937年7月、盧溝橋事件を契機に日中戦争が勃発し、3週間後に天津は日本軍に占領されてしまった。
国立北洋工学院は、大陸西部の陝西省西安に疎開し、北京にあった北平大学、北平師範大学(現在の北京師範大学)などとともに国立西安臨時大学を設立した。翌1938年3月には、国立西北連合大学と改名した。
同年7月に、この国立西北連合大学は4つの大学に分離し、元の国立北洋工学院は北平大学工学院や東北大学工学院などとともに国立西北工学院となり、陝西省漢中市城固に移動した。
1945年に日本が第二次世界大戦に敗北し、日本軍が大陸から撤退すると、国立西北工学院の一部となっていた旧北洋工学院は天津に戻り、翌1946年に北洋大学として再建した。
(4)院系調整で工学の単科大学に
1951年に、北洋大学は同じ天津市にあった河北工学院と合併し、校名を天津大学と改めた。
1952年に、全国で院系調整が行われ、天津大学は大きな影響を受けた。主な変更点には次のとおりである。
・南開大学工学院、津沽大学工学院は天津大学に移管。
・北京大学、清華大学、燕京大学、唐山鉄道学院の化学工学科は天津大学に移管。
・天津大学の数学科、物理学科は南開大学に移管、地質学科は北京地質学院(現在の北京地質大学)に移管。
・天津大学の冶金学科、鉱業学科、航空学科、水利学科、土木学科、繊維工学科などは、他の大学に移管。
1958年には、一旦合併した河北工学院が再び独立した。現在の河北工業大学である。
(5)文革終了後、総合大学復帰へ
天津大学は、他の大学と同様に文化大革命で大きな被害を受けた。文革が終了すると、天津大学は総合大学へ大きく発展していくことになる。
1979年に、学科を調整して理学と工学の融合学科を設置するとともに、基礎理論教育を強化した。1983年に、人文社会科学系を設置した。2012年に、生命科学学院を設置した。
2018年には、天津市内の天津市海河医院、天津市儿童医院、天津市环湖医院、天津市胸科医院、天津市中西医结合医院の5病院と協力し、天津大学の医学院を設置した。
4. 規模
(1)規模のデータ
天津大学は、総合大学としてそれなりの規模を有している。具体的な数値で見たのが下表である。
天津大学 | 中国第1位の大学 | ||
学部学生数 | 19,337名(59位) | 鄭州大学 47,000名 | 詳細データ |
大学院生数 | 18,821名(26位) | 中国科学院大学 57,375名 | 詳細データ |
専任教師数 | 3,147名(19位) | 吉林大学 6,506名 | 詳細データ |
総予算 | 84.55億元(25位) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
留学生数 | 2,002名(17位) | 北京大学 6,857名 | 詳細データ |
(2)キャンパス
天津大学は、本部のある衛津路キャンパスに加え、天津市津南区雅観路に北洋園キャンパスを有している。
(3)学部
天津大学は、工学に重点を有する総合大学であり、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、工学、理学、管理学、哲学、文学、法学、教育学、医学を有しているが、歴史学、農学、芸術は有していない。
(4)附属医院
天津大学医学院のHPによれば、7つの附属医院と4つの医学センターを有している。
〇附属医院
・天津大学中心医院
・天津大学天津医院
・天津大学小児医院(天津大学儿童医院)
・天津大学呼吸器科医院(天津大学胸科医院)
・天津大学泰達医院(天津大学泰达医院)
・天津大学泰達国際心臓血管病医院(天津大学泰达国际心血管病医院)
・天津大学津南医院
〇医学センター
・天津大学脳科医学センター(天津大学脑系科医学中心)
・天津大学中西医結合医学センター(天津大学中西医结合医学中心)
・天津大学融合医学センター(天津大学融合医学中心)
・天津大学精神医学センター(天津大学精神医学中心)
5. 研究開発力
天津大学は、中国の主要大学において15位から20位前後の研究開発力を有すると考えられる。
(1)研究開発力のデータ表
大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、双一流学科建設数は下記(3)を参照されたい。
天津大学 | 中国第1位の大学 | ||
SCI論文数 | 19位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
Nature Index | 22位 | 中国科学技術大学 | 詳細データ |
国家重点実験室数 | 4か所(9位) | 清華大学 13か所 | 詳細データ |
双一流学科建設数 | 5学科(23位) | 北京大学 | 詳細データ |
NSFC面上項目予算 | 15位 | 上海交通大学 | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
天津大学にある4か所の国家重点実験室は、次の通りである。
・内燃機燃焼学国家重点実験室
・精密測定試験技術及び機器国家重点実験室
・化学工学連合国家重点実験室
・水利工学及び安全国家重点実験室
(3)双一流学科建設
中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、天津大学は全体で以下の5学科が選定されている。
○理学系(1) 化学
○工学系(3) 材料科学・工学、動力工学・工程熱物理、化学工学・技術
○管理学系(1) 管理科学・工学
(4)NSFC面上項目予算獲得
日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で大学は中国全体で15位である。
6. 国内および国際的な評価
中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
これで見ると大学は、中国国内では主要大学の中で20位前後にあるが、国際的な評判は10位前後とより高い。
天津大学 | 中国第1位の大学 | ||
軟科ランキング | 20位 | 清華大学 | 詳細データ |
校友会ランキング | 22位 | 北京大学 | 詳細データ |
QSランキング | 世界269位 中国11位 | 北京大学 | 詳細データ |
THEランキング | 世界201-250位 中国14位 | 清華大学 | 詳細データ |
校友会傑出人材 | 21位 | 北京大学 | 詳細データ |
7. 特記事項
(1)卓越大学連盟
天津大学は2010年に、同済大学、北京理工大学、大連理工大学、東南大学、ハルビン工業大学、華南理工大学、西北工業大学、重慶大学の8大学とともに、「卓越人材育成協力枠組協定(卓越人才培养合作框架协议)」に署名し、協力を行っており、これを「卓越大学連盟(卓越大学联盟)、Excellence 9(E9)」と呼んでいる。
中国にはこれとは別に、北京大学や清華大学など中国トップレベルの大学が参加する別の協力枠組みである「九校連盟(九校联盟)、China 9(C9)」がある。
(2)先駆的な高等教育機関
1894年から1895年の日清戦争での敗北を受けて、清朝政府は巨額の賠償支払いを日本に約束させられるとともに、中国大陸では西欧列強による一部植民地化が進展した。この状況を深く憂えた清の光緒帝は、康有為、梁啓超らの政治改革運動を支持し、1898年4月に戊戌の変法を開始した。戊戌の変法は時の実力者西太后のクーデターにより挫折したが、後に北京大学となる京師大学堂の設立だけは、戊戌の変法の遺産として残った。
これと前後して、現在の有力大学の前身が相次いで設立されている。西欧の軍事的な圧力に遭遇して、長い間続いた官吏選抜のための科挙による人材育成システムでは難局に対応できないとの見方が全国に拡がったからであろう。
具体的には、自強学堂(現武漢大学、1893年)、四川中西学堂(現四川大学、1896年)、南洋公学(現上海交通大学および西安交通大学、1896年)、求是書院(現浙江大学、1897年)、三江師範学堂(現南京大学、1902年)、復旦公学(現復旦大学、1905年)等である。
天津大学の前身である天津北洋西学学堂は1895年の創建であり、これらの動きの中でも最も早い時期であった。
参考資料
・天津大学HP https://www.tju.edu.cn/
・天津大学医学院HP https://mstu.tju.edu.cn/