百人計画の開始(1994年)

 百人計画は、中国科学院により1994年から開始された、外国に就労していた科学技術人材の帰国奨励政策で、海亀政策の開始であった。

政策策定経緯 

 1993年に制定された科学技術進歩法の第六章第43条に、国は外国に就労していた科学技術人材が帰国して近代化建設に参加し奉仕することを奨励する旨の規定が設けられた。
 この規定を念頭に中国科学院は、新たな世紀にわたり活躍する中堅人材やリーダーを育成するため、1994年に「百人計画:百人计划」を開始した。

 当時、中国科学院の研究者の平均年齢は55歳に達していたが、文革の後遺症があって一流の研究リーダー、国際知名度のある若手研究者などが、ほとんどいなかった。一方、1980年代初め頃から海外に出ていた中国の最初の留学生たちは、現地で学位を取得し、研究業績を積んでいた。
 このような背景を受けて、海外のハイレベル若手研究者を呼び戻し世代交代を目指したのが百人計画である。中国では海外から帰国して研究者や起業家として活躍する人材を俗に「海亀(回帰)」と呼ぶことに由来し、海外人材招致政策を通称「海亀」政策として呼んでいる。百人計画は、中国最初の海亀政策である。

百人計画の具体的な内容

 当初の目標は、20世紀末までの約5年間で百名前後の海外ハイレベル人材を呼び戻し、中国科学院の各研究所にプロジェクトリーダーとして就任させることであった。このため、百人計画という名前が付けられた。

 百人計画の採択者には、一人あたり約2百万元(約3千万円)という海外と比べても劣らない研究スタートアップ資金を用意した。海外の多くの中国人研究者は、国の発展のため奉仕したいという真摯な気持ちから、この百人計画を歓迎した。

 その結果、1997年までの4年間で予想を上回る約800人の申請者が集まり、146人の若手研究者が百人計画の採択者となった。1998年からは、中央政府も資金出資を行うこととなり、百人計画は中国科学院だけでなく大学を含めた中国全体の人材招致政策となった。規模が拡大した百人計画は、人材招致政策の優れたモデルとなり、海外人材呼び戻しブームの起点となった。また、国内人材の招致もあわせて行われるようになった。

百人計画の特徴

 百人計画には、次の3つの大きな特徴がある。

・申請と審査プロセスおよびその結果は全て公表され、透明性、公平性が高かった。
・百人計画の審査と評価が単に論文、特許の数だけではなく、研究の内容、質と将来性を含む総合評価により採択された。
・個人だけではなく研究チームごとの招致を重視し、その結果中国科学院の30以上の研究チームが百人計画によって招致され、大きな研究成果がもたらされた。

 百人計画は、2016年までに約2500名のトップレベル研究者の招致に成功し、当初の百人の予定を大幅に超えた。採択者の平均年齢(採択時)は37歳で、約9割は海外帰国者となり、当時の中国科学院の高齢化問題の解消という目標も達成できた。また現在100以上ある中国科学院の傘下の研究所のトップは、ほとんど百人計画による研究者となっている。

参考資料

・百度HP 『百人计划