概要
湖南大学(Hunan University)は、湖南省長沙市にある大学であり、政府の211工程、985工程、双一流建設政策などの大学重点化政策の対象校である。同校の歴史は古く、宋代に設置された岳麓書院に遡る。

1. 名称と所管
(1)名称
・中国語表記 湖南大学 略称 湖大
・日本語表記 湖南大学
・英語表記 Hunan University 略称 HNU
(2)所管
2. 本部の所在地
湖南大学の本部は、湖南省長沙市岳麓区麓山南路麓山門にあり、南校区(南キャンパス)と呼ばれている。
湖南省は、中国大陸の中南部に位置し、北は湖北省、東は江西省、南は広東省と広西チワン族自治区、西は貴州省と重慶市に接する。洞庭湖の南に広がるため、湖南と呼ばれる。省内を長江が流れている。北部は平野、中部は丘陵地帯、南部は山岳地帯となっている。水稲生産が盛んで、中国の主要な米産地である。

長沙市は湖南省の省都であり、歴史は2,400年前にまで遡ることが出来る。秦代には既に長沙郡が設置され、前漢の時代には長沙国が成立していた。
長沙市は、建設機械と新材料を主とし、自動車、電子情報、家電製品、バイオ医薬産業などが盛んである。文化産業の発展も著しく、国内屈指の地方テレビ局である湖南テレビの影響力によって、中国の芸能人・有名人が数多く訪れる。
中華人民共和国の設立の父であり、中国共産党の最高指導者であった毛沢東は、長沙市の南西・湘潭市に生まれ、中等教育を長沙市で受けている。長沙市の師範学校卒業後、北京に赴くも再び長沙に帰り、中学校の教師となっている。この時期に毛沢東は中国共産党員となり、以後革命運動に参加していった。
3. 沿革
(1)岳麓書院
湖南大学の源流は、北宋時代の976年に、当時湖南省長沙一帯を治めていた朱洞が設立した岳麓書院(嶽麓書院)である。書院および岳麓書院については、下記の特記事項7.を参照されたい。
(2)湖南高等学堂
清朝末期の1903年に、岳麓書院は他の組織を併合の上で改編され、湖南高等学堂となった。これが湖南大学の直接の母体である。キャンパスと校舎は元の岳麓書院のものをそのまま転用した。
辛亥革命が1911年に起こり、翌1912年に新政府は湖南高等学堂の閉鎖を命じた。
(3)湖南大学開学
その後、湖南省長沙市では湖南高等学堂の再建運動が何度も起こり、1926年に湖南省の省立大学として湖南大学が設置された。
1937年に、中華民国政府は湖南大学を国立大学とすることとした。全国で16か所ある国立大学の1つであった。その時点で、湖南大学に置かれた学部は、文、法、理、工、商の5つであった。
1937年7月、日中戦争が勃発し、戦火は中国全土に広がった。1939年から1942年にかけて戦われた長沙会戦により、湖南大学は甚大な被害をこうむって閉鎖を余儀なくされた。
(4)湖南大学再建
1945年8月に日本が太平洋戦争で敗北し、中国大陸から日本軍が撤退した。湖南大学の関係者は、その直後から長沙に戻り、大学の再建に当たった。
国共内戦後の1949年8月に、長沙市が人民解放軍により解放されると、中央人民政府は12月に湖南大学を新たに設置した。その際、いくつかに分かれていた学部を再編し、文芸、社会科学、教育、財経、自然科学、工学、農学の7学部体制とした。
(5)院系調整で中南土木建築学院に
1952年新中国政府は、全国の大学の学部・学科を統合再編する政策である院系調整を実施した。
翌1953年、湖南大学は院系調整の結果、解散した。元のキャンパスには、湖南大学土木工学科を基盤として、武漢大学、中山大学、南昌大学、四川大学、雲南大学、広西大学の土木工学および建築学科を併合して、中南土木建築学院が設置された。その他の学部・学科は、武漢大学、中山大学、中南財形学院、華南工学院、湖南農学院、湖南師範学院などに編入された。
中南土木建築学院は1958年に、名称を湖南工学院と変更した。
(6)再び湖南大学に
湖南工学院は1959年に、名称を変更して湖南大学とした。
文化大革命が終了した1978年以降、湖南大学は工学系の優位を維持しつつ、理学や人文科学の学部や学科を再興し、総合大学への歩みを開始した。
2023年には、湖南省湘潭市人民政府の協力を得て、附属医院を設置した。
4. 規模
(1)規模のデータ
湖南大学の規模について、具体的な数値で見たのが下表である。
| 湖南大学 | 中国第1位の大学 | ||
| 学部学生数 | 20,000名(55位) | 鄭州大学 | 詳細データ |
| 大学院生数 | 16,000名(37位) | 中国科学院大学 57,375名 | 詳細データ |
| 専任教師数 | 2,293名(39位) | 吉林大学 6,506名 | 詳細データ |
| 総予算 | 64.17億元(33位) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
| 留学生数 | 748名(37位) | 北京大学 6,857名 | 詳細データ |
(2)キャンパス
湖南大学は、本部のある南キャンパスのほか、同じ長沙市岳麓区内に財院キャンパスを有している。
(3)学部
湖南大学は、国務院・教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、芸術、医学、農学を含めて全てを有する総合大学である。
(4)附属医院
湖南大学は次の2つの附属医院を有している。
・湖南大学附属医院
・湖南大学附属長沙医院
5. 研究開発力
(1)研究開発力のデータ表
湖南大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
このうち、SCI論文数とはクラリベイト社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、国家自然科学基金委員会(NSFC)の面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、双一流建設政策による学科建設数は下記(3)を参照されたい。
| 湖南大学 | 中国第1位の大学 | ||
| SCI論文数 | 45位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
| Nature Index | 24位 | 中国科学技術大学 | 詳細データ |
| 国家重点実験室数 | 2か所(23位) | 清華大学 13か所 | 詳細データ |
| 双一流学科建設数 | 3学科(31位) | 北京大学 | 詳細データ |
| NSFC面上項目予算 | 37位 | 上海交通大学 | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
上記の表での中国国内各大学比較の際に、湖南大学にあった2か所の国家重点実験室は、次の通りであった。
・化学生物センシング・計量学国家重点実験室(化学生物传感与计量学国家重点实验室)
・自動車車体先端設計製造国家重点実験室(汽车车身先进设计制造国家重点实验室)
その後中国の各大学では、政府の方針に従って国家重点実験室を再編して全国重点実験室に移行する流れとなっており、湖南大学においては上記2つの国家重点実験室は全国重点実験室に改組され、さらに追加で4つの全国重点実験室が設置されている(他組織との共同設置を含む)。
・化学・生物センシング全国重点実験室(化学生物传感全国重点实验室)
・完成車先進設計製造技術全国重点実験室(整车先进设计制造技术全国重点实验室)
・電力高効率高品質変換全国重点実験室(电能高效高质转化全国重点实验室)
・橋梁工学安全・耐震性全国重点実験室(桥梁工程安全与韧性全国重点实验室)
・効率半導体・集積技術全国重点実験室(功率半导体与集成技术全国重点实验室)
・洋上風力発電設備・風力エネルギー高効率利用全国重点実験室(海上风力发电装备与风能高效利用全国重点实验室)
・硬質合金全国重点実験室(硬质合金全国重点实验室)
(3)双一流学科建設
中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流建設政策)を開始した。2022年に改訂された双一流建設政策による学科建設において、湖南大学は以下の3学科が選定されている。
○理学系(1) 化学
○工学系(2) 機械工学、電気工学
(4)NSFC面上項目予算獲得
日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で湖南大学は中国全体で37位である。
6. 国内および国際的な評価
中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では軟科と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
これで見ると湖南大学は、中国国内ランキングや国際ランキングで主要大学中30位前後の位置にある。
| 湖南大学 | 中国第1位の大学 | ||
| 軟科ランキング | 29位 | 清華大学 | 詳細データ |
| 校友会ランキング | 32位 | 北京大学 | 詳細データ |
| QSランキング | 世界448位 中国26位 | 北京大学 | 詳細データ |
| THEランキング | 世界301-350位 中国25位 | 清華大学 | 詳細データ |
| 校友会傑出人材 | 39位 | 北京大学 | 詳細データ |
7. 特記事項
(1)書院について
書院(书院)とは、中国を中心とした東アジア(大陸、台湾、朝鮮、ベトナムなど)において発展した学習塾であり、民間の私塾が中心であったが、時代によっては国が関与した例もあった。
中国では唐代の725年、朝廷の建物内に経典や古書を収集して校定する組織として書院が置かれたのがはじめであるとされる。その後、民間に移されたり、政府の管理下に置かれたり、政府に弾圧されたりなどの歴史を経て、清朝末期の科挙の廃止とともに書院も廃止され、その後近代的な大学などの高等教育機関に変化していった。
一方日本では、学習塾としての書院は発展せず、室町時代に寺院内で経典の講義を行うための書斎や講義室を意味する形で「書院」が導入され、その後書院を中心とする建築様式として書院建築が発展した。
(2)岳麓書院
湖南大学の源流とされる岳麓書院(嶽麓書院)は、北宋時代の976年に、当時湖南省長沙一帯を治めていた朱洞が設立した。その後戦乱などで何度も破壊され学業が中断したが、明代に著名な儒学者・王陽明が講義するなどして発展し、清代にも康熙帝や乾隆帝の庇護を受けた。辛亥革命直前の1903年に清朝政府により廃止され、湖南高等学堂となった。
現在も岳麓書院の建物は残されており、湖南大学の管理下に置かれている。
中国では、白鹿洞書院(江西省廬山、940年設置)、応天府書院(河南省商丘、940年頃設置)、嵩陽書院(河南省登封、950年頃設置)とともに、宋代の四大書院と呼ばれている。

参考資料
・湖南大学HP https://www.hnu.edu.cn/
・百度HP 湖南大学
・百度HP 岳麓书院


