概要
西北工業大学(西北工业大学、Northwestern Polytechnical University)は陝西省西安市にあって、航空工学を中心とした理工系が強い大学であり、国務院の工業・情報化部傘下の国防七校(国防七子)の一校である。

1. 名称と所管
(1)名称
・中国語表記 西北工业大学 略称 西工大
・日本語表記 西北工業大学
・英語表記 Northwestern Polytechnical University 略称 NWPU
(2)所管
国務院の工業・情報化部(工业和信息化部)の直轄大学である。同部は、7.の特記事項にも記すとおり、中国全土に7校の直轄大学を有している。
2. 本部の所在地
西北工業大学の本部は陝西省西安市友誼西路127号にあり、友諠キャンパスと呼ばれている。
陝西省は中国大陸のほぼ中央に位置するが、同省の西にあるのは新疆ウイグル自治区、青海省、甘粛省、チベット自治区など人口希薄な省であり、人口が多く経済発展している沿岸部からはかなり西に寄った地である。北は内モンゴル自治区で砂漠が多く、南は四川省で高い山脈が連なる。陝西省省内には黄河が流れ、黄土高原が広がる。南部を秦嶺山脈が東西に走る。北部の冬は乾燥し寒く、夏は非常に暑い。
西安市は陝西省の省都であり、西安の古称は長安である。周代に黄河支流である渭水流域に都城が建設され、漢代に長安と命名された。唐代には大帝国の首都として世界最大の都市に成長し、シルクロードの起点とされた。しかし、宋代に大運河が通じる東の開封に政治・経済の中心が移り、そののち長安が首都に戻ることはなかった。
西安市の平野部は温暖な季節風気候であり、四季が明瞭である。緯度的には日本の鹿児島と同じであるが、冬は寒く夏は暑くて湿度が高い。1月の平均気温は0.2℃であり、7月の平均気温は27.3℃である。
西安市の中心部にあるのが鐘楼である。明の洪武帝時代に建てられた、中国最大のものである。周りはロータリーとなっている。

3. 沿革
西北工業大学は、 1957年10月に西北工学院と西安航空学院が合併して西安に設立された。同校のHPにある下図の歴史を有している。

(1)国立西北工学院
国立西北工学院の1つ目の源は国立北洋工学院である。国立北洋工学院は、清朝末期の1895年に天津に設立された天津西学学堂を源としており、現在の天津大学の源でもある。天津西学学堂は翌1896年に北洋大学堂となった。その後北洋大学堂は、義和団事変や辛亥革命を経て、1913年に国立北洋大学となり、さらに法科が北京大学に移り、1929年に工科中心の国立北洋工学院となった。1937年に盧溝橋事件を契機として日中戦争が勃発し、天津が日本軍に占領されたため、国立北洋工学院は西安に疎開した。
2つ目の源である私立焦作工学院は、英国が1909年に河南省焦作市に設置した焦作路鉱学堂を源としており、1931年に焦作工学院となった。焦作工学院も日中戦争の戦火を避けて、河南省から陝西省に疎開した。
3つ目の源である北平大学は、中華民国時代の1928年に、現在の北京市(当時は北平市)周辺の複数の高等教育機関を統合してできた大学である。北平大学も日中戦争の戦火を避けて、北平市から陝西省に疎開した。
4つ目の源である国立東北大学は、1923年に東北地方奉天(現在の遼寧省)に設置された。1931年に満州事変が起こり、東北部に日本の傀儡政権である満州国が成立すると東北大学は、北平市に移転した。さらに、盧溝橋事件後、東北大学は、北平市から陝西省に疎開した。
これらの4校は他の大学とともに、1937年に国立西安臨時大学を設立し、翌1938年3月には国立西北連合大学となった。ところが、同年7月にこの国立西北連合大学は分裂し、その際上記4校の工学院を中心に国立西北工学院が設立され、陝西省西安から同省漢中市に移転した。
日本が1945年に第二次世界大戦に敗北し、日本軍は中国大陸から撤退したため、国立西北工学院を構成していた旧北洋工学院、旧焦作工学院、旧東北大学工学院は、それぞれ天津、北京、遼寧省瀋陽に復帰し、天津大学、中国鉱業大学、東北大学になった。その中で、旧北平大学工学院を中心に陝西省に残留する教官や学生もいて、国立西北工学院は第二次世界大戦後も引き続き教育研究業務を続行した。
中華人民共和国が建国されると、国立西北工学院は西北工学院と名称を変更した。1952年の院系調整では、西北工学院はほとんど影響を受けなかった。
(2)西安航空学院
西安航空学院は、新中国建国後の1952年に実施された院系調整により設立された華東航空学院が前身である。華東航空学院は、交通大学(現在の上海交通大学、西安交通大学)、浙江大学、南京大学の航空工学科を統合して、江蘇省南京市に設立された。
華東航空学院は、1956年に陝西省西安市に移転し、名称を西安航空学院とした。
(3)西北工業大学の設立と発展
西北工業大学は、1957年10月に上記(1)西北工学院と(2)西安航空学院が合併し、陝西省西安市に設立された。
西北工業大学は1960年に、国務院によって国家重点大学に指定された。
1967年に開始された文化大革命では、西北工業大学も大学入試(高考)の中断などの混乱を免れることはできなかった。
文革終了後、西北工業大学は西北地区の重点大学としての地位を維持しつつ、発展していくことになる。1996年には大学重点政策211工程の対象大学となり、2001年にはやはり大学重点政策の985工程の対象大学となった。
2017年に開始された双一流建設政策において、西北工業大学は一流大学建設A類の対象大学となった。
4. 規模
(1)規模のデータ
西北工業大学の規模について、具体的な数値で見たのが下表である。
| 西北工業大学 | 中国第1位の大学 | ||
| 学部学生数 | 16,000名(83位) | 鄭州大学 47,000名 | 詳細データ |
| 大学院生数 | 18,021名(30位) | 中国科学院大学 57,375名 | 詳細データ |
| 専任教師数 | 4,300名(6位相当) | 吉林大学 6,506名 | 詳細データ |
| 総予算 | 105.99億元(19位) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
| 留学生数 | 1,300名(27位) | 北京大学 6,857名 | 詳細データ |
(2)キャンパス
西北工業大学は、本部のある友諠キャンパスに加え、西安市内の長安区に長安キャンパスを有している。
(3)学部
西北工業大学は、国務院・教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、工学、理学、管理学、経済学、文学、法学などを有する総合大学である。農学、芸術などの分野を有しておらず、理工系が強い大学である。医学については医学研究院を有しているが、いわゆる医師養成を行う医学部ではない。
(4)提携医院
西北工業大学は医学研究院を有しており、次の2つの医院と研究のため提携している。
・西安市人民医院(西安市第四医院)
・陝西省人民医院
5. 研究開発力
(1)研究開発力のデータ表
西北工業大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
このうち、SCI論文数とはクラリベイト社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、国家自然科学基金委員会(NSFC)の面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、双一流建設政策による学科建設数は下記(3)を参照されたい。
| 西北工業大学 | 中国第1位の大学 | ||
| SCI論文数 | 26位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
| Nature Index | 37位 | 中国科学技術大学 | 詳細データ |
| 国家重点実験室数 | 1か所(43位) | 清華大学 13か所 | 詳細データ |
| 双一流学科建設数 | 3学科(31位) | 北京大学 | 詳細データ |
| NSFC面上項目予算 | 33位 | 上海交通大学 | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
西北工業大学にある1か所の国家重点実験室は、次の通りである。
・凝固技術国家重点实验室
(3)双一流学科建設
中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流建設政策)を開始した。2022年に改訂された双一流建設政策による学科建設において、西北工業大学は全体で以下の3学科が選定されている。
〇工学系(3) 機械工学、材料科学・工学、制御科学・工学、航空宇宙科学・技術
(4)NSFC面上項目予算獲得
日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で西北工業大学は中国全体で33位である。
6. 国内および国際的な評価
中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では軟科と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
| 西北工業大学 | 中国第1位の大学 | ||
| 軟科ランキング | 21位 | 清華大学 | 詳細データ |
| 校友会ランキング | 23位 | 北京大学 | 詳細データ |
| QSランキング | 世界547位 中国37位 | 北京大学 | 詳細データ |
| THEランキング | 世界251-300位 中国20位 | 清華大学 | 詳細データ |
| 校友会傑出人材 | 30位 | 北京大学 | 詳細データ |
7. 特記事項
(1)国防七校(国防七子)
国防七校とは、国務院の工業・情報化部が所管する七つの大学を指し、国防七子とも呼ばれている。七つの大学は、西北工業大学のほか、ハルビン工業大学、北京航空航天大学、北京理工大学、ハルビン工程大学、、南京航空航天大学、南京理工大学である。
国防七校を所管する工業・情報化部(工业和信息化部、Ministry of Industry and Information Technology)は、2008年の国務院機構改革で設立されたが、産業政策全般、ハイテク産業育成政策、情報通信政策などを担当している。
工業・情報化部の管理する独立局に部局に、国家国防科技工業局(State Administration of Science, Technology and Industry for National Defense:SASTIND)があり、原子力、航空、宇宙、通常兵器、船舶、電子などの国防先端技術産業に係る政策を主導している。
また「中国航天科技集団有限公司」、「中国航天科工集団有限公司」のほか、「中国航空工業集団有限公司」、「中国船舶重工集団有限公司」、「中国核工業集団有限公司」、「中国兵器工業集団有限公司」、「中国電子子科技集団有限公司」などの巨大な国営企業と緊密な関係にある。
国防七校の各大学は、この国家国防科技工業局と関係が深い。
(2)卓越大学連盟
西北工業大学は2010年に、天津大学、同済大学、北京理工大学、大連理工大学、東南大学、ハルビン工業大学、華南理工大学、重慶大学の8大学とともに、「卓越人材育成協力枠組協定(卓越人才培养合作框架协议)」に署名し、協力を行っており、これを「卓越大学連盟(卓越大学联盟)、Excellence 9(E9)」と呼んでいる。
中国にはこれとは別に、北京大学や清華大学など中国トップレベルの大学が参加する別の協力枠組みである「九校連盟(九校联盟)、China 9(C9)」がある。
(3)著名な卒業生~師昌緒
師昌緒(师昌绪)は、西北工学院(現在の西北工業大学)の著名な卒業生の一人である。師昌緒は、1918年に河北省に生まれ、1940年に西北工学院の鉱山・冶金学科に入学した。米国などに留学した後、中国科学院の金属研究所で航空機用の耐熱合金、新型高性能合金等の開発を行い、国家最高科学技術賞を受賞した。

参考資料
・西北工業大学HP https://www.nwpu.edu.cn/
・百度HP 师昌绪

