はじめに

・金属研究所は、遼寧省瀋陽市にある中国科学院の附属研究機関である。
・設立当初は鉄鋼や冶金の研究が中心であったが、現在は先端構造材料や新機能材料などの研究開発も行っている。
・金属研究所は、規模、研究開発力、研究成果などで、中国科学院内でトップレベルとなっている。

金属研究所の写真
金属研究所  金属研究所HPより引用

1. 名称

○中国語表記:金属研究所  
○日本語表記:金属研究所
○英語表記:Institute of Metal Research  略称 IMR

2. 所在地

 金属研究所の所在地は、遼寧省瀋陽市瀋河区文化路72号である。

 瀋陽市は遼寧省の省都で、都市部人口約625万人、市全体約825万人を擁する東北地方の最大規模の都市であり、東北地方の経済・文化・交通および商業の中心地である。首都の北京と東北3省や朝鮮半島を繋ぐ要衝であり、高速道路、高速鉄道・鉄道在来線が放射線状で密集している。また、周辺に鞍山、撫順、営口などの衛星都市がある。

 17世紀初めに登場した満洲族のヌルハチは、瀋陽を本拠地として清を建国した。1644年の明朝滅亡後、第2代皇帝のホンタイジは北京に遷都した。現在でも、ホンタイジ時代に建設された瀋陽故宮が残っている。

瀋陽故宮の写真
清の瀋陽故宮

 瀋陽は、日本人にとってもなじみの深い都市である。1905年の日露戦争当時、現在の瀋陽市は奉天市と呼ばれており、両国陸軍が激突した奉天会戦の舞台となっている。その後、張作霖や張学良を代表とする奉天軍閥の拠点となったが、鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を掌握していた。

 1931年9月18日、関東軍が奉天郊外の柳条湖で南満洲鉄道(満鉄)の線路を爆破し、それを口実として東北部全土の占領を進めていった(満州事変)。発端となった事件は柳条湖事件と呼ばれ(中国では九一八事変と呼ぶ)、翌1932年には満州国建国が宣言されている。

九一八事変記念館
九一八記念館

3. 沿革

(1)創建期

 中国科学院が1949年末に北京で設立されたが、その2年後の1951年頃から中国科学院内で、遼寧省瀋陽に製鉄や冶金の技術開発を行う研究所が構想・準備された。瀋陽に製鉄技術の研究所を設置しようとしたのは、第二次世界大戦終了まで近郊の鞍山に旧満鉄の昭和製鋼所があり、その製鋼所を中国共産党がソ連から移管されたことによる。詳細は下記の特記事項参照。

 そして、1953年に金属研究所が設立され、李薰(後述)が初代の所長として周恩来首相(当時)から任命された。

 主たる研究分野は、金属物理学、冶金学、金属加工技術、鉱物加工技術、耐火物技術、金属組織学、関連化学分析であった。
 その後1957 年頃から研究分野を拡大し、高温合金、高融点金属、サーメットなどの研究を進めていった。

(2)文革期に中国科学院から分離

 1966年に開始された文化大革命は、中国科学院全体に大きな影響を及ぼしたが、金属研究所も例外ではなかった。

 1966年5月頃から紅衛兵の活動が活発化し、また中国科学院内での権力闘争により造反派が実権を握った。
 1970年になると、中国科学院革命委員会により組織改編が進められ、傘下の研究機関を地方移転させたり、地方政府と中国科学院の二重指導体制下においたり、産業部門に移管させたりした。この方針に従い、金属研究所は国務院の冶金部に所管替えとなった。

(3)中国科学院に復帰

 文化大革命は1976年末に終了し、その約1年後の1978年3月に開催された全国科学大会で、方毅副院長が「中国科学院、国務院の各部門及び重点高等教育機関は力を結集し、てこ入れが急がれる基礎科学及び新興科学技術に関する研究機関を復帰させ、強化し、さらに新設していく必要がある」と述べ、中央及び各地方、各部門の支援の下、中国科学院が文革中に地方政府などに切り離された研究機関の復帰及び新設を大規模に行うことを宣言した。

 これにより、1978年に金属研究所は国務院の冶金部の管轄を離れ、中国科学院の附属研究機関に復帰した。

 その後は、従来の金属、鉄鋼、冶金などの分野をベースとしつつ、セラミックス、ナノマテリアル、カーボンなどの新素材の開発に研究分野を拡大してきている。

4. 組織の概要

(1)研究分野

 設立当初は鉄鋼・冶金産業に係わる研究開発が中心であったが、その後新素材分野に展開し、高温合金、チタン合金、特殊合金、鋼、アルミニウム合金、マグネシウム合金、金属基複合材料、セラミックス、ナノマテリアル、カーボンなどの構造材料の研究に取り組んでいる。またこれらの新機能材料分野において、材料の組成設計、構造特性評価、調製・加工、性能試験、使用挙動などに関する研究も実施している。

(2)研究組織

①国家級の研究室・実験室

・瀋陽材料科学国立研究センター(後述)
・師昌緒先進材料イノベーションセンター(後述)
・材料腐食・防護センター
・高性能均質合金国家工学研究センター
・国家金属腐食制御工学技術研究センター

②中国科学院級研究室・実験室

・中国科学院原子力材料・安全性評価重点研究室
・中国科学院高温構造材料重点研究室
・中国科学院腐食制御工学研究室

(3)研究所の幹部

 中国科学院の附属研究機関の幹部は、一般に所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記などである。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の附属研究機関の場合には所長が最高責任者の場合が多い。
 金属研究所の現在の幹部は、所長は任命されているが、党委書記は欠員となっており、党委副書記が任命されている。

①劉崗・所長

 劉崗(刘岗)・金属研究所所長は、1981年に安徽省で生まれ、2003年に吉林大学材料物理学科で学士の学位を、2005年に金属研究所で修士の学位を、2009年に金属研究所で博士の学位を、それぞれ取得した。その間2007年から1年半の間、オーストラリアのクイーンズランド大学で訪問研究生として研究した。
 2009年以降一貫して金属研究所に所属し、2018年に副所長となり、2023年から所長を務めている。42歳と極めて若い所長である。専門は高性能光触媒材料である。

②陳星秋・党委副書記兼副所長

 陳星秋(陈星秋)・党委副書記は、副所長も兼務しており、金属研究所のナンバーツゥーである。2024年2月現在、金属研究所の党委書記は空席となっている。
 陳星秋は1975年生まれで、1998年に東北大学(遼寧省瀋陽市にある大学で日本の東北大学とは違う大学)鉄鋼冶金学科で学士の学位を、2001年に東北大学で修士の学位を、2004年にオーストリアのウィーン大学で博士の学位をそれぞれ取得して、米国のオークリッジ研究所でポスドク研究を行った。2010年に金属研究所の研究員となり、2022年に副所長、2023年に党委副書記となった。日本の理化学研究所にも訪問研究員として短期間滞在している。専門分野は、材料の物性評価、新しい材料の設計である。

5. 研究所の規模

 金属研究所は、中国科学院の附属研究機関の中では大きな部類に属し、下記の指標で見てもトップクラスにある。

(1)職員数

 2021年現在の職員総数は1,589名で、中国科学院の中では第4位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,589名の内訳は、研究職員が1,115名(70%)、技術職員(中国語で工員)が405名(26%)、事務職員が69名(4%)である。

(2)予算

 2021年予算額は23億5,087万元で、中国科学院の中では第4位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。23億5,087万元の内訳は、政府の交付金が6億4,467万元(27%)、NSFCや研究プロジェクト資金が3億6,098万元(15%)、技術収入が2億3,746万元(10%)、試作品製作収入が7億1,183万元(30%)、その他が3億9,593万元(17%)となっている。

(3)研究生

2021年現在の在所研究生総数は1,063名で、中国科学院の中では第10位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,063名の内訳は、修士課程の学生が436名、博士課程の学生が627名である。

6. 研究開発力

(1)国家級実験室など

 中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの附属研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
 金属研究所は、国家研究センターの1つである「瀋陽材料科学国家研究センター」と、国家実験室に相当する「師昌緒先進材料イノベーションセンター」を有しており、以下にその概要を述べる。

①瀋陽材料科学国家研究センター

 瀋陽材料科学国家研究センター(沈阳材料科学国家研究中心、Shenyang National Laboratory for Materials Science)は、中国に現在設置されている 6つの国家研究センターの 1つである。同センターは2017年に国務院から認可され、2018 年に活動を開始している。
 この前身は、2000年に国務院より承認された「瀋陽材料科学国家実験室」である。

 同センターは、世界最高水準の総合材料研究を目指し、ナノメタルや新ナノ機能材料、特殊鋼・軽金属、ナノカーボン材料、量子材料、バイオベースの環境調和材料などを研究分野としている。

 2021年現在で、正規研究員が332名、客員研究員が58名、研究生としてポスドク55名、博士学生397名、修士学生330名である。この様に、国家研究センターは、他国の1研究所並みの人員を擁している。
 同センターの研究組織としては、材料設計・計算研究部、先進高鉄材料研究部、材料動力学研究部、軽金属材料研究部、材料構造・欠陥研究部、セラミック・複合材料研究部、材料力学・作動研究部、先進炭素材料研究部、ナノ金属材料研究部など、15の研究部・分部分部が設置されている。

瀋陽材料科学国家研究センターの写真
瀋陽材料科学国家研究センター 金属研究所HPより引用

②師昌緒先進材料イノベーションセンター

 師昌緒先進材料イノベーションセンター(师昌绪先进材料创新中心)は、中国科学院本部と国家国防科技工業局の支援を受けて、国防関係を中心としたハイテク・先端材料工学の研究開発を進めるため、2019年に金属研究所内に設置された。

 同センター内には、高温構造材料研究部、軽量高強度材料研究部、特殊合金研究部、材料調製・加工研究部、材料表面工学研究部、材料利用研究部、フロンティア材料研究部の7研究部が設置されている。

 なおこのセンターの名称の一部になっている師昌緒(师昌绪)は、長い間金属研究所で活躍し、第2代所長も務めた研究者であり、後述する。

(2)NSFC面上項目獲得額

 国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。金属研究所のNSFCの獲得資金額は、2021年1,687万元(件数は28件)であり、中国科学院の中では第15位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

7. 研究成果

 金属研究所における研究成果を見ると、中国科学院の附属研究機関では上位にあるものの、いわゆるトップクラスではない。具体的な指標で見ると、下記の通りである。

(1)Nature Index

 科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022によれば、金属研究所は中国科学院内第15位であり、論文数で23.04となっている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
 この金属研究所の論文数は、中国の主要大学のそれと比べると高くない。中国の主要大学のNature Indexによるランキングは、こちらを参照されたい。

(2)SCI論文

 上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究機関ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究機関ごとの比較一覧はない。

 ただ、研究機関によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているか発表している。金属研究所もその一つであり、2021年に合計1,175 件のSCI論文を発表し、そのうち18件がScience、Nature、JACSなどの一流誌に掲載された。
 なお、1年間で1,175 件という数字を中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが、年間でSCI論文を約10,000件前後発表している(主要大学のSCI論文数比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、それほど大きなものではない。

(3)特許出願数

 金属研究所の2021年特許出願数は477件で、中国科学院内で第10位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

(4)成果の移転収入

 2021年の金属研究所の研究成果の移転収入は280.56億元であり、中国科学院内で第3位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

(5)両院院士数

 中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年2月時点で金属研究所に所属する両院の院士は7名であり、中国科学院内で第16位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

○中国科学院院士(5名):叶恒强、李依依、卢柯(後述)、成会明、李殿中。
○中国工程院院士(2名):柯伟、韩恩厚。

8. 特記事項

(1)中国有数の製鉄所~鞍山鉄鋼公司

 上記3.の沿革でも述べたが、製鉄や冶金を研究する機関を遼寧省瀋陽に設置した理由であるが、これは瀋陽の近郊で南西約100Km離れたところにある鞍山の製鉄所の存在が大きい。

 日露戦争で日本が勝利し、1905年のポーツマス条約により遼東半島先端部の租借権は日本に移った。日本は満鉄を中心として、鉄道整備と周辺の都市整備を引き継いだ。1909年満鉄地質調査所が鞍山で大きな鉄鋼鉱床を発見し、1918年その鉄鉱石を利用して満鉄鞍山製鉄所を設置した。1933年には昭和製鋼所となり、この地方随一の大製鉄所となっていった。日本国内の製鉄生産の主力であった八幡製鉄所に比肩しうるほどの生産力を誇っていた。

 1945年に日本が敗戦となり、ソ連がこの地方全体を占領し、昭和製鋼所もソ連軍の占領するところとなった。ソ連軍は中国側に引き渡すことを検討したが、当時の国共内戦の影響を受けてソ連は製鉄所の設備を解体してソ連に持ち帰り、1946年に撤退した。
 この製鉄所の支配と再稼働が軍事的・経済的に重要と考えた中国共産党と国民党とは互いに譲らず、最終的に共産党が完全支配を達成したのが1948年10月であった。
 こういったことから、戦前の稼働時にあった設備の7割から8割が接収・破壊されてしまい、中国共産党がここに鞍山製鉄公司を設置し、製鉄所の操業を再開させたのは約1年後の1949年7月のことであった。

 そして、1949年10月に新中国が建国され、中国科学院が設置されると、この鞍山製鉄公司を技術的にサポートする研究機関の設置が急務となり、金属研究所の設立につながったのである。

 なお、鞍山製鉄公司はその後鞍山鉄鋼集団有限公司と名称を変更して現在も存在し、中国の製鉄産業では、上海の宝山鉄鋼所が日本の技術援助を得て1985年に操業するまで、中国国内の最大の生産量を誇っていた。 

(2)李薫(李薰)

 李薫(李薰)は金属研究所の初代所長である。

金属研究所初代所長の李薰の写真
金属研究所初代所長・李薰 百度HPより引用

 李薫は1913年湖南省生まれで、1936年に湖南大学冶金学科を卒業した。1937年に英国シェフィールド大学の冶金学科に留学し、1940年に同大学よりPhDを、1950年に冶金学の博士の学位を取得している。

 新中国建国後の1950年に帰国し、当時中国科学院近代物理研究所長であった銭三強の強い要請で、中国科学院内に冶金研究所を設置する準備を進め、1953年に初代の金属研究所所長となった。1955年に中国科学院院士となり、1980年まで30年近くにわたって所長を務めたのち、1983年に死去している。

 専門は、鋼鉄の品質と常温加工性の研究であり、鋼鉄中の不純物である水素濃度の研究を行っている。第二次大戦中の英国での研究は、英国の鉄鋼軍事産業の発展に貢献したといわれている。

(3)師昌緒(师昌绪)

 第2代所長の師昌緒(师昌绪、Changxu Shi)も、著名な冶金学者である。

 師昌緒は1918年に河北省に生まれ、1945年に陝西省にあった国立西北工学院(現在の西北工業大学)を卒業している。その後鞍山鉄鋼公司に勤務の後、1948年米国ミズーリ大学に留学、1952年にノートルダム大学で博士の学位を取得し、MITの著名な金属学者Morris Cohen教授の下で研究を行った。

 1955年に帰国し、金属研究所に配属された。師昌緒は鞍山に赴き、金属研究所の現場部隊長として技術指導に当たった。1980年には、金属研究所の第2代所長に任命されるとともに、中国科学院の院士に当選した。1986年に所長を退き名誉所長となり、1994年に中国工程院の院士にも当選した。

 2010年には国家最高科学技術賞(日本の文化勲章に相当)を受賞したが、2014年に逝去している。

師昌緒の-国家最高科学技術賞受賞写真
国家最高を受賞したを受賞した師昌緒(左) 中国青年報より引用

 専門は民生航空機用の高温合金、新型高性能合金等の開発である。既に記述したように、金属研究所の先進材料研究における重要な拠点である「師昌緒先進材料イノベーションセンター」に、彼の名が冠されている。

(4)盧柯(卢柯)

 第6代所長の盧柯も優れた科学者の一人であり、現在は所内に設けられた瀋陽材料科学国家研究センターの主任を務めている。

盧柯の写真
盧柯  百度HPより引用

 盧柯は、1965年に河南省に生まれ、華東工学院(現在の南京理工大学)で学士を、中国科学院金属研究所で修士と博士を、それぞれ取得し、1990年に金属研究所の研究員となった。その後約2年半ドイツのマックス・プランク金属研究所の客員研究官を務めた。2001年には35歳で金属研究所の所長となった。2018年からは新設の瀋陽材料科学国家研究センターの主任を務めている。

 なお盧柯は、2020年に未来科学大賞物質科学賞を受賞しており、このHP内の「国内で評価の高い研究者」の一人として紹介する予定である。 

参考資料

・中国科学院金属研究所HP http://www.imr.cas.cn/ 
・沈阳材料科学国家研究中心HP https://www.synl.ac.cn/index.asp
・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編