概要
吉林大学 (Jilin University) は吉林省吉林市にあり、東北地方屈指の総合大学である。
2000年に実施された大学合併で、中国屈指のマンモス大学となったが、研究力はそれほど高くなっていない。
ノーベル平和賞受賞者である劉暁波の出身大学である。
1. 名称と所管
(1)名称
・日本語表記 吉林大学
・中国語表記 吉林大学 略称 吉大
・英語表記 Jilin University JLU
(2)所管
国務院教育部の直轄大学である。
2. 本部の所在地
大学の本部は、吉林省長春市にある。
吉林省は、北部を黒竜江省、西部を内モンゴル自治区、南部を遼寧省と接する。また東部はロシアと接し、南東部は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する。古くはツングース系狩猟民族が住んでおり、夫余、高句麗、渤海、契丹、金などの国や王朝が興った。明末に勢力を拡大した満洲族は、周辺諸族を統合し清朝を樹立し、中国全土を支配した。1910年の日韓併合を受け、多くの朝鮮人が国境を越え、現在の延辺朝鮮族自治州(中心都市は延吉市)に移り住んだ。
2020年現在の人口は約2,400万人で、上海市(約2,500万人)より少なく、北京市(約2,200万人)より少し多い。省内の大きな都市は、長春市、吉林市などであり、歴史的地理的な理由から朝鮮族が人口の4%、満州族がやはり4%を占めている。
2022年の省内GDPは約1.3兆元で、中国の省や直轄市での順位は26位であり、1位の広東省約12.9兆元の10分の1である。吉林省は肥沃で、中国有数の穀倉地帯であり、石炭・天然ガス・石油などの鉱物資源にも恵まれている。また、吉林省は中国の重工業生産基地であり、特に自動車工業と化学工業は中国で重要な位置を占めている。
大学のある長春(长春)市は、吉林省の省都であり、人口は約960万人(2020年)である。亜寒帯冬季少雨気候に属し、夏は暑く、冬は非常に寒さが厳しい。1月の平均気温は-14.6℃、7月の平均気温は23.3℃である。
長春市は、1932年から1945年まで満洲国の首都・新京であった。中国では、満州国を日本軍の傀儡国家と見なし、「偽満」あるいは「偽満洲国」と表記する(下記特記事項参照)。
3. 沿革
現在の吉林大学は、2000年に旧吉林大学、吉林工業大学、白求恩医科大学、長春科技大学、長春郵電学院が合併して設立された。さらに2004 年に、人民解放軍軍需大学が吉林大学に移管された。
(1)旧吉林大学
旧吉林大学は、中国共産党が1946年にハルビン市に設置した東北行政学院が母体である。その後瀋陽市に移転し、さらに1950年に東北人民大学となって吉林市に移転した。1952年の院系調整では、北京大学、清華大学、燕京大学などから教員や科学者を雇用し、総合大学に発展した。1958年に吉林大学となった。その後、東北部における総合大学として、国家の重点大学となった。
(2)吉林工業大学
吉林工業大学の前身は、1954年に設立された長春自動車・トラクター学院(长春汽车拖拉机学院)である。1958年に吉林工業大学となり、同大学も国家の重点大学となった。
(3)白求恩医科大学
白求恩医科大学は、華北の抗日戦争根拠地に1938年に設置された八路軍の衛生学校が母体である。新中国建国後、同衛生学校は所在地と学校名を変更しつつ発展し、1959年には長春市を拠点とする長春医科大学となった。
文化大革命後の1978年には、カナダ人医師のベチューン(白求恩、下記特記事項参照)の名を冠して白求恩医科大学となった。彼は、日中戦争の時代に、共産党がゲリラ戦を展開していた華北に医療支援に赴き、医事教育活動も行っていた。
2000年には、他の4つの大学と合併して新たな吉林大学の一部となったが、そこでもベチューンを冠して吉林大学白求恩医学部となっている。
(4)長春科技大学
長春科技大学の前身は、1951年に頌春に設置された東北地質専門学校である。初代の校長は、中国の著名な地質学者である李四光中国科学院副院長が兼務した。1952年の院系調整で東北地質学院となり、さらに1958年には長春地質学院となった。吉林大学に合併する直前の1996年に長春科技大学となった。
(5)長春郵電学院
長春郵電学院の前身は、1947年に黒竜江省佳木斯市に設置された東北郵電学校である。その後ハルビンを経て、1948年に吉林省長春に移動した。1953年に長春郵電学校となり、1960年に長春郵電学院となった。
(6)人民解放軍軍需大学
人民解放軍軍需大学の前身は、1904年に清朝政府により河北省保定に設置された、獣医学校の北洋馬医学堂(北洋马医学堂)である。辛亥革命後の1912年に新政府に接収され、場所も北京に移され、陸軍獣医学校となった。1931年の満州事変(九一八事変)後、同校は北京から貴州省安順に移った。
新中国建国後、陸軍獣医学校は人民解放軍に接収され、人民解放軍第二獣医学校となり、さらに1952年には、貴州省から吉林省長春に移転した。1962獣医大学となり、獣医大学となり、吉林大学と合併する直前の1999年に人民解放軍軍需大学となった。
4. 現在の指導部
(1)学長
現学長の張希は、1965年遼寧省生まれで、1982年に吉林大学化学科に入学し、同大学で博士号を取得した。博士号取得の際、吉林大学と協力関係にあったドイツのマインツ大学に一年留学している。
その後母校で教鞭を執り、1994年に吉林大学教授に就任した。2004年には清華大学に転じ、2013年に清華大学理学部長となった。2018年より母校・吉林大学学長を務めている。
専門はポリマー・分子薄膜の研究で、2007年に中国科学院院士に当選している。
(2)共産党委員会書記
共産党委員会書記の姜治瑩(姜治莹)は、1961年に吉林省に生まれ、1984年に吉林大学哲学科を卒業した。その後、母校の共産党青年団書記、長春市局長、長春市長などを経て、2020年から吉林大学の党委書記を務めている。
5. 規模
(1)規模のデータ
吉林大学は、学部学生数、大学院生数、専任教師数では中国の主要大学中でトップクラスであるが、留学生数や総予算では他の主要大学に比して少ない。具体的な数値で見たのが下表である。
吉林大学 | 中国1位の大学 | ||
学部学生数 | 41,357名(3位) | 鄭州大学 47,000名 | 詳細データ |
大学院生数 | 27,070名(5位) | 清華大学 38,850名 | 詳細データ |
留学生数 | 1,410名(17位) | 北京大学 6,857名 | 詳細データ |
専任教師数 | 6,506名(1位) | 吉林大学 | 詳細データ |
総予算 | 103.93億元(20位) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
(2)キャンパス
吉林大学は、長春市内に前衛、南岭、朝陽、新民、南湖、和平の6キャンパスと広東省珠海に研究所を有している。
(3)学部
吉林大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、芸術や農学を含めて全てを有する総合大学である。
(4)双一流学科建設
中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、吉林大学は全体で以下の6学科が選定されている。理学関係が強い大学である。
○理学系(5) 考古学、数学、物理学、化学、生物学
○工学系(1) 材料科学・工学
(5)附属医院
HPによれば、吉林大学は次の4の附属医院を有している。
・吉林大学第一医院
・吉林大学第二医院
・吉林大学中日連合・友誼医院
・吉林大学口腔医院
6. 研究開発力
吉林大学は、中国の主要大学において15位から20位前後の研究開発力を有すると考えられる。
(1)研究開発力のデータ表
吉林大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)も参照。
吉林大学 | 中国第1位の大学 | ||
SCI論文数 | 16位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
Nature Index | 19位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
国家重点実験室数 | 5か所(6位) | 清華大学 13か所 | 詳細データ |
NSFC面上項目予算 | 19位 | 上海交通大学 | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
吉林大学にある5か所の国家重点実験室は、次の通りである。
・統合光電子学
・超硬材料
・自動車シミュレーション・制御
・無機合成・調整化学
・超分子構造・材料
7. 国内および国際的な評価
中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
これで見ると吉林大学は、中国国内では主要大学の中で10位前後にあるが、国際的な評判は高くない。
吉林大学 | 中国第一位の大学 | ||
教育部ランキング | 9位 | 清華大学 | 詳細データ |
校友会ランキング | 10位 | 北京大学 | 詳細データ |
QSランキング | 世界497位 中国27位 | 北京大学 世界12位 | 詳細データ |
THEランキング | 世界1001-1200位 中国73位 | 北京大学、清華大学 世界16位 | 詳細データ |
校友会傑出人材 | 7位 | 北京大学 | 詳細データ |
8. 国際性
(1)他国の大学等との協力
吉林大学のHPによれば、2022年現在、世界の有名大学との協力ネットワークを充実させており、40の国と地域の302の大学と科学研究機関と協力関係を築いている。
(2)日本との協力
日本では、佛教大学、一橋大学、九州大学、筑波大学、岡山大学、中央大学、同志社大学、関西学院大学、西南学院大学、千葉工業大学、久留米大学、長崎外国語大学、法政大学などと交流関係にある。
9. 特記事項
(1)「偽満州国」と「九一八事変」
吉林大学のある長春市は、1932年から1945年まで満洲国の首都・新京であった。中国では、満州国を日本軍の傀儡国家と見なしており、「偽満」あるいは「偽満洲国」と呼ぶ。
満州国建国の発端となったのは、1931年に満州の奉天(現在の遼寧省瀋陽市)近郊の柳条湖で日本の関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した「柳条湖事件」である。関東軍はこれを中国軍による犯行とし、満洲における軍事侵略と占領の口実にして、翌1932年に清朝の廃帝溥儀を皇帝として満州国を設立した。中国側はこの事件を「九一八事変」と呼び、国辱的な事件としてその地に博物館を設置している。
(2)ノーマン・ベチューン(白求恩)
ノーマン・ベチューン(Henry Norman Bethune、白求恩)は、1890年にカナダで生まれ、1916年にトロント大学医学部を卒業して外科医となった。その後自らも結核を罹患しつつ外科医として他の患者の治療に当たり、多くの医学論文を執筆するとともに、今日も使われる肋骨用の剪刀を開発した。
1935年に国際学会出席のためソ連のレニングラードに赴き、そこで社会主義により結核がコントロールされていることに感銘を受け、帰国後にカナダ共産党に入党した。
日中戦争勃発後の1938年、カナダ共産党が中国共産党を支援していたことから、ベチューンは当時の中国共産党の本拠地・延安に渡った。当初は戦線での医療支援を行っていたが、中国全体の医療レベルの底上げの必要性を痛感し、医学教育にも注力するようになった。しかし、手術中に左手中指を切り、傷口から細菌に感染して敗血症に罹り、1939年に死亡した。
(3)劉暁波
ノーベル平和賞受賞者の劉暁波(刘晓波)は、吉林大学中国語学部出身である。
劉は、1955年に吉林省長春市に生まれた。父親は知識人であり、東北師範大学の教師であった。文化大革命が勃発すると、劉は両親と共に内モンゴル自治区に約5年間下放された。文革終了後の1977年に吉林大学に入学し、1982年に卒業して北京師範大学の大学院に進んだ。1984年に修士号を取得し、同校の教師となった。
その後天安門事件などへの関与から、逮捕されたり強制労働の罪を受けた。2008年、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の起草者の一人となり、中国当局に身柄を拘束され、2009年に懲役11年の判決が下され、錦州監獄で服役した。
2010年に、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者(平和賞)となったが、釈放されることはなかった。劉は、2017年に末期の肝臓癌と診断され、家族による治療のための仮出所が許可された。同年7月、劉は家族に看取られ、肝臓癌による多臓器不全のため死去した。享年は61歳であった。
参考資料
・吉林大学HP https://www.jlu.edu.cn/
・吉林大学白求恩医学部HP https://jdyxb.jlu.edu.cn/
・Henry Norman Bethune NIHのHP https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5075949/
・劉暁波 ノーベル賞HP https://www.nobelprize.org/prizes/peace/2010/xiaobo/facts/