「863計画(国家ハイテク研究発展計画)」(1986年)

 863計画は、21 世紀初頭にハイテク分野で世界レベルに追いつくことを目指して開始された、プロジェクト主体の研究開発計画である。

863計画の制定経緯

 1980年代に入り、欧米諸国や日本では、新しい科学技術イノベーションによる科学技術と経済の急速な発展を実現させる政策が相次いで発表された。具体的には、1983年に米国のスターウォーズ計画、1985年に欧州のEUREKAプロメテウス計画(The EUREKA Prometheus Project)、1985年に日本の「科学技術政策大綱」などのハイテク政策が、次々と発表された。

 これらの欧米および日本のハイテク政策の刺激を受けて、1986年3月に中国科学院学部委員(現在の院士)の王大珩王淦昌、楊嘉墀、陳芳允の4名が連名で、鄧小平ら中国共産党幹部に対し「海外の戦略的ハイテク技術に対するキャッチアップに関する提言書」を提出した。この提言書は、「海外のハイテク技術競争の波は決して無視することができず、国情に合わせて適切な目標を選び、積極的にキャッチアップ研究を行い、できる限り何らかの面で他をリードする成果を出さなくてはならない。そうして初めて、海外の科学界と対等な交流ができる。これを実現するためには、長年かけて養成してきたハイテク人材をとりわけ大切にし、軽々しく離散させたり、分野変更をさせたりしてはならない」とした。

863計画を提言した王大珩
863計画を提言した一人・王大珩 
百度HPより引用

 この提言を受けて鄧小平は、直後の2日後に中国共産党中央委員会および国務院に対して「この提言に関して早急に決断すべき」と指示した。国務院は、関連機関から124名の専門家を集め、12のワーキンググループでハイテク研究発展に関する議論を行い、5か月後の同年8月に「国家ハイテク研究発展綱要」をまとめた。同綱要は、その2か月後の10月に中国共産党中央政治局拡大会議で決定された。

 863計画は、政策提案から可決されるまでたった7か月間という迅速な意思決定であり、研究者の提言が共産党トップを動かして策定されたとの特徴を持ち、中国が欧米の科学技術へキャッチアップするためのスタート・ポイントであった。学部委員4名の提案と鄧小平の指示は、いずれも1986年3月に行われたため、863計画と略称される。863計画の正式な名称は「国家ハイテク研究発展計画:国家高技术研究发展计划」である。

具体的な内容と成果

 21 世紀初頭に世界レベルに追いつくための科学技術基盤整備を行うことを目指し、重点領域として、バイオ技術、宇宙技術、ICT技術、レーザー技術、自動化技術、エネルギー技術、新素材の7つが指定された。1996 年には、海洋技術も対象分野に追加された。

 8つの重点領域において、中国と先進国間のギャップが縮まってきた。
 顕著な成果の一例として、自動化技術領域において技術の橋渡しを担う国家CIMSエンジニアリングセンターを清華大学に設置し、機械、電子、航空などの産業、50以上の工場へ技術移転を行い、製造コストの低下と製造期間の短縮に大きく貢献した。
 また、深海6000メートル以下にまで潜水が可能な深海ロボットの開発を完成した。ICT技術においては、スーパーコンピュータの製造技術が開発された。音声合成技術をコア技術とするiFLYTEK社も、863計画による研究開発および技術移転で上場企業となっている。
 さらに863計画では、最先端技術領域のハイレベル技術者を育成に貢献している。例えば、AI領域については、863計画がきっかけで人工知能関連の学科が各大学で設置され、現在に至るAI技術者の大量輩出に至った。

 現在は、競争的資金配分に関する改革の一環として、2016年に他の制度と統合され、国家重点研究開発計画となっている。

参考資料

・科学技術部HP 『国家高技术研究发展计划(863计划)
・百度HP『国家高技术研究发展计划(863计划)