北京師範大学の概要

○北京師範大学は、北京に本部を有し教育を中心分野とする大学である。教育以外にも、社会科学や理学、環境分野など幅広い専門分野を有し、総合的な研究大学の色彩が強い。

○教育分野では、上海にある華東師範大学と共に、中国トップの大学である。

北京師範大学の写真
北京師範大学正門 百度HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 北京師範大学
・中国語表記 北京师范大学  略称  北师大
・英語表記 Beijing Normal University   BNU 

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 北京師範大学の本部は、北京市北西部に位置する海淀区にあり、北京大学、清華大学などのキャンパスや、頤和園、円明園などに近い。

3. 沿革

(1)京師大学堂師範館

 京師大学堂は、清末の戊戌の変法により1898年に設立された国家初めての高等教育機関であり、現在の北京大学の起源である。
 当初は、清朝の官吏養成学校としての色彩が強かったが、徐々に専門分野を増やしていき、1902年には、教師養成を専門分野とする師範館(师范馆)が設置された。師範館はその後、師範学堂と改称され、独立的な組織となった。

 ちなみに、「師範(师范)」とは中国古代の文献・後漢書にも登場する語句であり、師であり模範であるという意味で広く教師を指し、転じて教師を養成する学校を指す。
 日本でも戦前は、東京高等師範学校(東京教育大学を経て現在の筑波大学)、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)など、教員の養成学校は師範学校という名称を用いていた。

(2)北京高等師範学校

 辛亥革命後の1912年、師範館は北京高等師範学校となった。

 この頃(中華民国北洋政府時代)に高等師範学校となったのは、中国全土で北京高等師範学校を含めて合計6校であった。具体的には、南京高等師範学校(現在の南京大学)、武昌高等師範学校(現在の武漢大学)、広東高等師範学校(現在の中山大学)、成都高等師範学校(現在の四川大学)、瀋陽高等師範学校(現在の東北大学)で、いずれも現在に続く名門校である。

(3)国立北京師範大学

 1923年に北京師範大学となり、教師や教育管理者の育成だけでなく、語学や理学などの専門学術人材をも併せて養成する大学となった。

 1927年に南京国民政府が成立し、翌1928年に北京が北平と改名されたため、国立北平師範大学と改名した。また、その際併せて、女性教師育成のため1908年に設置された北京女子師範大学を吸収した。

(4)国立西北師範学院

 1937年に盧溝橋事変をきっかけとして日中戦争が始まり、北平(北京)が日本軍に占領された。国立北平師範大学は他の大学と共に陝西省西安に疎開し、国立西安臨時大学の一部となった。

 翌1938年には同じ陝西省漢中に移り、名称を国立西北連合大学となったが、師範の部分は独立的な組織として同大学師範学院となり、さらに1939年には国立西北師範学院として独立した。

 国立西北師範学院は、1940年に甘粛省蘭州に移転を命じられ、同市に移転した。

(5)北京師範大学

 1945年に日本が敗北し中国大陸から日本軍が撤退すると、国立西北師範学院は一部の教師・学生を蘭州に残して北平(北京)への復帰を開始し、1946年6月には国立北平師範学院として復活した。1948年には、国立北平師範大学と改名した。

 なお国立西北師範学院は、蘭州に残った教師・学生が中心となって1958年に甘粛師範大学、1981年に西北師範学院、1988年に西北師範大学と変遷し、現在も陝西省蘭州に存在している。

 国共内戦の末、1949年2月に共産党が北平に進駐し同年9月に北平が北京に改名されると、国立北平師範大学は北京師範大学となった。併せて北京大学と南開大学の教育部が、北京師範大学に統合された。

(6)院系調整により輔仁大学などを吸収

 1949年に中華人民共和国が建国され、1952年から全国で院系調整が行われた。

 北京師範大学は、輔仁大学全体と、燕京大学や中国人民大学などの教育部門を吸収し、より大きな大学に発展した。大学の敷地も輔仁大学の跡地に移った。
 ちなみに、輔仁大学は、1925年に北京で米国ベネディクト派のキリスト教徒が設立した大学予科「北京公教大学附属輔仁社」が前身であり、1927年に私立北京輔仁大学となっていた。

(7)文化大革命での閉塞後、教育系を中心とする総合研究大学へ

 1966年に文化大革命が始まると、北京師範大学も大きな影響を受け、大学として閉塞状況に追い込まれた。ただ幸にも、閉校を命ぜられたりすることはなく、嵐の過ぎ去るのを待つといった状態であった。

 1976年末に四人組が逮捕されて文革が終了すると、北京師範大学の教育・研究活動も徐々に回復していった。とりわけ、改革開放を受けて、従来の教師育成を中心とした教育大学的な色彩をベースとしつつも、科学技術・学術研究なども重視する総合研究大学を目指すこととなった。

 現在、教育系の大学としては、上海の華東師範大学と共に中国トップクラスであり、さらにシャオドン・ワン(王暁東)北京生命科学研究所所長のように、ノーベル賞受賞を目指すような卒業生も現れてきている。

4. 現在の指導部

(1)学長

 現学長の馬駿(马骏)は1969年生まれで、1990年に武漢大学で学士(法学)を、1995年に中国人民大学で修士(法学)を、2002年に米国オクラホマ大学で博士(行政学)を、それぞれ取得している。
 米国から帰国後、広東省広州市にある中山大学に勤務し、2014年から中山大学で副学長を務め、2022年に北京師範大学の学長に転じた。
 主な研究領域は、公共予算・財政管理である。

(2)共産党委員会書記

 共産党委員会書記の程建平は1964年生まれで、1986年に清華大学物理学科を卒業し、同大学の教員となった。1991年に清華大学で修士号を取得している。
 2006年に清華大学党委員会副書記および規律検査委員会書記、2009年に清華大学副学長に任命された。そして2016年に北京師範大学に転じ、同大学の共産党委員会書記に任命された。
 専門は原子力工学である。

5. 規模

(1)規模のデータ

 北京師範大学の規模を、具体的な数値で見たのが下表である。
 北京師範大学は教育関係が中心であるが、教育だけでなく理学などの専門分野も併せて発展してきた経緯があり、単科大学ではなくかなり大きな規模となっている。

 北京師範大学中国1位の大学 
学部学生数11,995名(104位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数14,151名(46位)清華大学 38,850名詳細データ
留学生数958名(19位)北京大学 6,857名詳細データ
専任教師数3,313名(38位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算98.97億元(21位)清華大学 362.11億元詳細データ

(2)キャンパス

 北京師範大学は、北京市内海淀区にある本部の他、西城区と昌平区にキャンパスを有しており、また広東省の珠海に新しいキャンパスを造成中である。

(3)学部

 北京師範大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、農学、医学を除いた10学部に関係する学科を有している。ただ、理工系学部はそれほど充実したものではなく、専門分野で拾うと数学、物理学、化学、システム科学、天文学、環境学、生命科学、人工知能、原子力科学・技術となっている。

(4)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、北京師範大学は全体で以下の12学科が選定されている。

 これで見ると、北京師範大学は人文社会科学と理学で高いレベルにあることが分かる。
  ○人文社会科学系(6) 哲学、教育学、心理学、中国文学、外国文学、中国史 
  ○理学・工学系(5) 数学、地理学、システム科学、生態学、環境科学・工学
  ○その他(1) 演劇・映像学

6. 研究開発力 

(1)研究開発力のデータ表

 北京師範大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
 このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)も参照。

 北京師範大学は、北京大学などのトップクラスの総合大学ではないが、理工系の分野でも活躍していることが分かる。

 北京師範大学中国第1位の大学 
SCI論文数中国科学院大学詳細データ
Nature Index30位中国科学院大学詳細データ
国家重点実験室数4か所(9位)清華大学 13か所詳細データ
NSFC面上項目予算34位上海交通大学詳細データ

(2)国家重点実験室

 北京師範大学にある4か所の国家重点実験室は、次の通りである。
  ・環境シミュレーション及び汚染コントロール
  ・リモートセンシング科学
  ・認知神経科学及び学習
  ・地表過程及び資源生態

7. 国内および国際的な評価

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。

 この結果を見る限り、北京師範大学は他の国内主要総合大学に伍していると考えられる。

 中国農業大学中国第一位の大学 
教育部ランキング22位清華大学詳細データ
校友会ランキング10位北京大学詳細データ
QSランキング世界262位 中国12位北京大学 世界12位詳細データ
THEランキング世界251-300位 中国11位北京大学、清華大学 世界16位詳細データ
校友会傑出人材17位北京大学詳細データ

8. 特記事項

(1)二人のノーベル賞受賞者

 北京師範大学の卒業生に二人のノーベル賞受賞者がいる。

 一人目は、2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波である。劉暁波は吉林大学の項でも取り上げた。

 劉暁波(刘晓波)は、1955年に中国東北部の吉林省長春市に生まれた。地元の吉林大学で中国文学を学んだ後、1982年に北京師範大学大学院に入学した。1984年に北京師範大学より修士の学位を取得した後、同校で教職に就いた。さらに1988年には、やはり北京師範大学から博士の学位を取得した。

 その後劉暁波は、米国コロンビア大学などで客員研究員を務めていたが、1989年の民主化運動の報を聞いて帰国し、天安門事件に関わった。事件後に「反革命罪」で投獄された。
 1991年の釈放後も民主化を呼びかけ、更に2度の投獄や強制労働を受けた。
 2008年、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の主な起草者となり、再び中国当局に身柄を拘束され、懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決を受けて、遼寧省錦州市の錦州監獄で服役した。

 2010年にノーベル平和賞を受賞し、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となった。劉暁波は錦州監獄に服役中であった。

 2017年に劉暁波は末期の肝臓癌と診断され、仮出所が許可され、監獄から当局の厳重な隔離措置の下に病院に移された。同年7月劉暁波は、妻・劉霞ら家族に看取られ、肝臓癌による多臓器不全のため61歳で死去した。

劉暁波
劉暁波 百度HPより引用

二人目は、2012年にノーベル文学賞を受賞した莫言である。

 莫言(ペンネーム、本名は管謨業)は、1955年に山東省高密市で農民の子として生まれた。ペンネームの莫言は、「言う莫(なか)れ:言葉を慎め」との意味である。

 幼少期は、毛沢東による大躍進政策(1958~61年)の時期と重なり、彼自身も飢餓に苦められた。文化大革命が始まると、学校生活が無くなり農村で放牧などの強制労働に従事した。

 文革末期の1976年に、人民解放軍に入隊した。この時期に小説を書き始め、人民解放軍の中にある芸術学院文学部に入って1986年に卒業した。さらに、人民解放軍に在籍のまま北京師範大学の大学院に入り、1991年に同大学から修士の学位を取得した。

 莫言がこの時期に、故郷を舞台に抗日戦争を描いた『红高粱』は、張芸謀(チャン・イーモウ)監督によって映画化され(邦題『紅いコーリャン』)、1988年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。

 莫言は、2012年にノーベル文学賞を受賞した。中国系の作家では高行健が2000年に同賞を受賞しているが、受賞当時はフランス国籍であったため、莫言は中国籍の作家として初めての同賞受賞者となった。

北京師範大学の卒業生莫言の写真
莫言 百度HPより引用

(2)もう一つの有力師範大学・華東師範大学

 教育関係の分野を主体とする中国の大学として、今回取り上げた北京師範大学と並び称される大学として華東師範大学がある。

 華東師範大学 (华东师范大学、East China Normal University) は、中華人民共和国成立後の1951年に大夏大学と光華大学が合併して設立した大学である。

 本部は上海市の普陀区中山北路にあり、閔行区にもキャンパスを有している。

 北京師範大学と同様に、教育をベースとしつつ、社会科学、人文科学、自然科学、管理科学の各分野の専門分野の研究者を育成する総合研究型大学である。

北京師範大学と並び称される華東師範大学の写真
華東師範大学の正門 百度HPより引用

参考資料 

・北京師範大学HP http://www.cau.edu.cn/
・百度HP 刘晓波 https://baike.baidu.com/item/%E5%88%98%E6%99%93%E6%B3%A2/14900221?fr=ge_ala
・百度HP 莫言 https://baike.baidu.com/link?url=j6lTDRZIgzR7Txd4eNluCW6eLi_QpHdrzLSxWGun2OxuODXHTOYV-CWIfUGXKPjVmnHKIbpbhm2pLf6B_lgHRD4arALChNYbRhH1VjWO5Za
・華東師範大学HP https://www.ecnu.edu.cn/