はじめに

 科学技術部は、中国国務院の組成部門(日本の各省に相当)の一つであり、中国の科学技術政策の企画立案を担当している。日本のかつての科学技術庁に近い組織である。

科学技術部の正門の写真
科学技術部の正門

1. 名称

○中国語:科学技术部 略称:科技部
○日本語:科学技術部
○英語:Ministry of Science and Technology 略称:MOST

2. 所在地

 北京市海淀区復興路乙15号にある。海淀区は、北京市内の中心である天安門広場から見て西に位置し、科学技術部は天安門広場の前を通る長安街を真西に6キロメートルほど行ったところにある。
 科学技術部から北に10キロメートルほど行くと、北京大学清華大学中国科学院物理研究所などのある中関村に達する。

3. 任務・業務

 科学技術部の最大の使命は、中国全体の科学技術振興を計画的に実施するための方向性を策定することである。このため、中国共産党や国の社会経済全般の計画立案に当たる国家発展・改革委員会と連携を取りつつ、科学技術やイノベーションのための五か年計画や長期的な計画の企画立案に当たっている。2021年には、第14次五か年計画が公表された。

 科学技術部のもう一つの重要な使命は、五か年計画などで設定された政策に基づき科学技術関連のプロジェクトの資金の配分を行うことである。
 文化大革命が終了した後、鄧小平最高指導者の決断により、科学技術も一律的な資金配分から意欲のある優秀な研究者に傾斜配分することとし、そのための様々な競争的な資金プロジェクトがスタートしたが、科学技術部はこの中で比較的大規模で応用研究・開発的なプロジェクトの資金配分を自ら行ってきた。
 一方、基礎研究を助成する機関として「国家自然科学基金委員会」が設置されていたが、2018年に国務院の機構改革の一環として科学技術部の外局となった。

4. 沿革

(1)科学計画委員会の設置

 新中国建国以来、優れた科学者を多数擁する中国科学院が科学技術の基本的な方向を示してきたが、1954年の国務院改革により中国科学院は政策担当機関ではなく研究実施機関と位置づけられた。

 1956年3月に国務院は科学技術政策の担当機関の不在を埋めるため、陳毅副首相を主任とする科学計画委員会(科学规划委員会)と国家技術委員会を設置し、前者に科学技術分野で最初の中長期計画である「科学技術発展遠景計画綱要(1956年~1967年)」の策定を担当させた。

(2)国家科学技術委員会

 1958年に国務院は、科学計画委員会と国家技術委員会を統合して国家科学技術委員会を設置し、聂荣臻(じょうえいしん)副首相を主任に兼務させた。これが、現在の科学技術部の前身である。

 文化大革命勃発後、国家科学技術委員会の業務はほとんど停止し、1970年には中国科学院に吸収された。

(3)文革後再び独立組織となり科学技術部に

 文革後の1977年9月に、中国科学院から国家科学技術委員会が再び分離され、方毅副首相兼中国科学院副院長(後に院長に昇格)が主任を兼務した。

 同委員会は1998年に、現在の科学技術部に名称が変更された。

5. 組織

(1)本体

 科学技術部の本体は400名弱の組織であり、部長(日本の国務大臣に相当)、副部長(副大臣に相当)4名が置かれている。現在の部長は陰和俊(阴和俊)であり、2023年10月に就任している。

(2)直属単位

 科学技術部は、政策の企画・立案と研究資金配分が中心であり、傘下にシンクタンク的な機関を除いて研究開発を実施する部門や大学などは有していない。主な機関は次の2つである。
・中国科学技術情報研究所(中国科学技术信息研究所)
・中国科学技術発展戦略研究院(中国科学技术发展战略研究院)

(3)科学技術部が管理する事業単位

 科学技術部の傘下にある組織で、科学技術の競争的資金や若手研究者育成などを行っている機関に国家自然科学基金委員会がある。この組織は元々国務院の直像事業単位であったが、2018年に科学技術部の管理する組織となった。詳しくはこちらを参照されたい。

参考資料

・科学技術部HP  http://www.most.gov.cn/