Institute of Physics, CAS

はじめに

・物理研究所は、北京市にある中国科学院の附属研究機関である。
・物理学の基礎研究と応用基礎研究などを行っている。
・規模、研究開発力、研究成果などで、中国科学院内でトップレベルとなっている。

物理研究所の建物の写真
中国科学院物理研究所

1. 名称

○中国語表記:物理研究所  略称 物理所
○日本語表記:物理研究所
○英語表記:Institute of Physics  略称 IOP CAS

(註)物理研究所は、国務院の科学技術部から「北京凝縮系物理国家研究センター(北京凝聚态物理国家研究中心、Beijing National Laboratory for Condensed Matter Physics)」に指定されており、これが同研究所の別名とされることがある。

2. 所在地

 研究所本部の所在地は、北京市海淀区中関村南三街8号である。近くには、中国科学院の別の付属機関である自動化研究所や、中国の主要な大学である北京大学清華大学が位置する。

3. 沿革

(1)母体は中央研究院と北平研究院の物理研究所

 辛亥革命後の混乱期を経て南京で成立した国民政府は、近代的な科学技術や学術研究の重要さを認識し、1928年に国の最高研究機関として「中央研究院」を政府直属で設立した。この中央研究院の傘下の研究所として、物理研究所が上海に設立された。

 さらに国民政府は、北平(北京の改称)地域に依拠した研究機関の設立が重要と考え、翌1929年に北平大学(北京大学の改称)の研究機構を一部統合整理して「北平研究院」を創立した。この北平研究院の下部機構として、物理研究所が北京(当時北平)に設置された。

 これら2つの研究所が、現在の物理研究所の母体である。

(2)日中戦争中は大陸西部に疎開

 1937年に盧溝橋事件が勃発し日中戦争が始まると、日本軍は北京、上海、南京などを瞬く間に占領したため、大学や研究機関は戦火を避けて西部への疎開を余儀なくされた。中央研究院は昆明、桂林、重慶等へ疎開し、北平研究院は昆明に疎開した。

 第二次世界大戦が終了して日本が敗北すると、中央研究院の物理研究所は当初上海に、その後南京に移転した。一方の北平研究院物理研究所は北京に戻った。

(3)新中国となり、中国科学院に接収

 国共内戦に勝利した中国共産党により建国された中華人民共和国は、科学技術・学術研究の重要性に鑑み、最高科学技術機関として中国科学院を建国直後の1949年10月19日に設置した。
 中国科学院が発足後に直ちに着手したのが、それまでの中国の科学技術・学術研究の遺産ともいえる中央研究院と北平研究院の施設や人員の接収である。

 中央研究院物理研究所と北平研究院物理研究所は、1950年2月に中国科学院に接収され、同年8月に中国科学院・応用物理研究所となった。初代所長は、著名な物理学者である厳済慈であった。

 1958年には、中国科学院の本部の了承を得て、中国科学院・物理研究所となった。

 1966年から1976年まで続いた文化大革命は中国科学院の研究機関や大学などに大きな影響を与えたが、物理研究所は中国科学院からの分離や地方自治体への移転などには見舞われなかった。
 ただ、物理学の研究内容の拡大に伴い、例えば半導体研究室が半導体研究所になり、音響学の研究室が声楽研究所になるなど、物理研究所からスピンオフした研究所はいくつかある。
 

4. 組織の概要

(1)研究分野

 物理研究所は、物理学の基礎研究と応用基礎研究を中心とした学際的かつ総合的な研究機関である。
 物理研究所は2017年に、国務院科学技術部から「北京凝縮系物理国家研究センター(北京凝聚态物理国家研究中心、Beijing National Laboratory for Condensed Matter Physics)」に指定されており、凝縮系物理学を中心とし、光学、原子・分子物理、プラズマ物理、ソフトマター物理、生物物理、理論・計算物理、材料科学工学を研究している。

(2)研究組織

①国家級の研究室・実験室

・超電導国家重点実験室(後述)
・表面物理国家重点実験室(後述)
・磁気国家重点実験室(後述)

②中国科学院級研究室・実験室

・光物理重点実験室
・先進材料・構造分析実験室(電子顕微鏡重点実験室)
・ナノ物理・デバイス重点実験室
・極限条件物理重点実験室
・凝縮系理論・材料計算重点実験室
・クリーンエネルギー重点実験室

③研究所級研究室・実験室(例示)

・ソフトマター実験室
・固体量子情報・計算実験室
・マイクロ・マシーン実験室

(3)研究所の幹部

 研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の付属研究所の場合には所長が最高責任者の場合が多い。

①方忠・所長

 方忠・物理研究所所長は、1970年に湖北省で生まれ、1991年に華中理工大学(現華中科技大学)物理学科で学士の学位を、1996年に同じく華中理工大学で博士の学位をそれぞれ取得した。その後、日本の旧通産省工業技術院(つくば市、現在の産業技術総合研究所)の研究者となり、さらに米国オークリッジ研究所でも研究した後、2003年に中国に戻り、北京の物理研究所の研究員となった。2017年に物理研究所の所長となり、2019年に中国科学院の院士となっている。
 専門は凝縮系物質における量子現象の計算的および理論的研究である。

②李明・党委書記兼副所長

 李明・党委書記は、副所長も兼務しており、物理研究所のナンバーツゥーである。李明は、1967年に生まれ、1989年に華中理工大学物理学科で学士の学位を、1992年に吉林大学で修士の学位を、1998年にドイツ・ヴュルツブルク大学で博士の学位を、それぞれ取得し、イリノイ大学シカゴ校でポスドク研究を行った後、2001年に帰国して、物理研究所の研究員となった。2009年にはソフトマター実験室の主任となり、現在は党委書記兼副所長となっている。専門分野は、単分子生物物理、膜生物物理である。

5. 研究所の規模

(1)職員数

 2021年現在の職員総数は509名である。中国科学院の附属研究機関の職員総数のランキングはこちらであるが、物理研究所はランク外である。509名の内訳は、研究職員が445名(87%)、技術職員(中国語で工員)が14名(3%)、事務職員が50名(10%)である。

(2)予算

 2021年予算額は11億1,361万元で、中国科学院の中では第21位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。11億1,361万元の内訳は、政府の交付金が6億4,674万元(58%)、NSFCや研究プロジェクト資金が3億9,919万元(36%)、技術収入が1,347万元(1%)、その他が5,421万元(5%)となっている。

(3)研究生

2021年現在の在所研究生総数は1,084名で、中国科学院の中では第8位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,084名の内訳は、修士課程の学生が366名、博士課程の学生が718名である。

6. 研究開発力

(1)国家級実験室など

 中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

 名称のところでも述べたが、国務院の科学技術部は物理研究所を、「北京凝縮系物理国家研究センター(北京凝聚态物理国家研究中心、Beijing National Laboratory for Condensed Matter Physics)」に指定している。他の国家研究センターの場合、例えば金属研究所の瀋陽材料科学国家研究センターの場合同センターは金属研究所の一組織となっている。ところが、物理研究所の場合にはHPで得られる情報では、北京凝縮系物理国家研究センターが物理研究所の下部機構という形をとっておらず、筆者の推定では同研究所の別名と考えられる。

 物理研究所は、下記の3つの国家重点実験室を有している。

超電導国家重点実験室(超导国家重点实验室):1987年に国の認可を受け、1991年から研究を行っている。国内の超電導研究の重要な拠点であり、また国際学術協力・交流の重要な窓口としての業務も担っている。この実験室では、新しい超電導体の探査、高温超電導のメカニズムと関連物理学の研究、薄膜の作製、超電導薄膜デバイスの応用研究などを行っている。

表面物理国家重点実験室(表面物理国家重点实验室):1984年に国の認可を受け、1987年から研究を行っている。この実験室は、材料の表面と界面を主な研究対象とし、高精度原子スケールの実験手段や理論的手法を用いて、材料の作成、物性特性評価、機能制御、ナノサイエンスなどの研究を行っている。

磁気国家重点実験室(磁学国家重点实验室):1990年に国の承認を受け、1995年から研究を行っている。この実験室は、磁性物理学の基礎研究や希土類遷移族金属間化合物・酸化物などの磁気特性を分析し、新材料および新しい人工構造材料の磁気物理学を研究している。

(2)大型研究開発施設

 中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。

 物理研究所は、この大型共用施設・共用実験施設として「総合極限条件実験施設(综合极端条件实验装置)」を設置・運営している。総合極限条件実験施設は、超高圧、超低温、強磁場、超高速光場などの極限条件を付与しうる世界最先端の施設であり、これらの極限条件下で材料合成、物性評価、量子状態制御などを研究するものである。設置場所は物理研究所の本部のある北京市内の中関村ではなく、郊外の懐柔区である。

総合極限条件実験施設の施設
総合極限条件実験施設  中国科学院HPより引用

(3)NSFC面上項目獲得額

 国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。物理研究所のNSFCの獲得資金額は、2021年2,764万元(件数は44件)であり、中国科学院の中では第4位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

7. 研究成果

 物理研究所の本領は基礎研究にあるため、論文等の成果は大きいが、特許や成果の移転収入は他の研究機関と比較して小さい。

(1)Nature Index

 科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022によれば、物理研究所は中国科学院内第2位であり、論文数で115.71となっている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
 なお、このNature Index に関して、例えば中国大学トップの中国科学院大学は論文数で530.20であり、第2位の中国科学技術大学は502.50である。従って、物理研究所のNature Indexは、中国科学院内の附属研究機関では第2位と高いが、中国の主要大学のそれと比べると高くない。中国の主要大学のNature Indexによるランキングは、こちらを参照されたい。

(2)SCI論文

 上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。

 ただ、研究所によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているかを発表している。
 物理研究所もその一つであり、同研究所HPによれば、2011 年から2020 年までに合計4,453件のSCI論文を発表し、135,701回引用されている。また、2020年の年間SCI論文数は495件である。
 なお、10年間で4,453 件という数字を中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが同じ期間で、SCI論文を約100,000件前後発表している(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、それほど大きなものではない。

(3)特許出願数

 2021年の物理研究所の特許出願数は155件である。中国科学院内の附属研究機関のランキングはこちらであるが、物理研究所はランク外となっている。

(4)成果の移転収入

 2021年の物理研究所の研究成果の移転収入は公表されていない。中国科学院内の付属機関のランキングはこちらであるが、物理研究所はランク外である。

(5)両院院士数

 中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年2月時点で物理研究所に所属する両院の院士は15名であり、中国科学院内で第2位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

○中国科学院院士(14名):方忠、高鸿钧、金奎娟、沈保根、汪卫华、王鼎盛、王恩哥、王玉鹏、向涛、杨国桢、于渌、张殿琳、张杰(後述)、赵忠贤。
○中国工程院院士(1名):陈立泉

8. 特記事項

(1)厳済慈(严济慈)初代所長

 物理研究所は、これまで多くの著名な物理学者を擁してきたが、過去の重要な科学者として厳済慈(严济慈、1901年~1996年)を挙げたい。

 詳しい略歴はこちらを参照していただきたいが、厳済慈はソルボンヌ大学へ留学し、帰国後の1931年に現在の物理研究所の母体の一つである北平研究院物理研究所の所長となった。日中戦争の際は、同研究所の雲南省への疎開を指揮し、日本の敗戦後に北京に戻る指揮も執った。新中国が建国となり、中国科学院に応用物理研究所が設置されると、厳済慈はこの初代所長となった。これが、現在の物理研究所である。

物理学者・厳済慈
物理研究所初代所長の厳済慈 百度HPより引用

(2)現在在籍する優れた研究者

 物理研究所に関わりの深い優れた研究者2名を紹介する。

① 趙忠賢(Zhongxian Zhao)

 一人目は、趙忠賢(赵忠贤)である。詳しい略歴はこちらを参照していただきたいが、趙忠賢は1941年に生まれ、中国の超電導研究を牽引してきた科学者である。中国の最高栄誉である国家最高科学技術賞や、国家自然科学賞一等賞など数々の栄誉に輝いている。現在も物理研究所に所属し、超電導国家重点実験室の学術委員会顧問として活動を行っている。

趙忠賢の写真
趙忠賢・物理研究所研究員 百度HPより引用

② 張傑(Jie Zhang、张杰)

 二人目は、張傑(张杰)上海交通大学元学長、中国科学院元副院長である。張傑は1958年に生まれ、ドイツや英国に留学の後、物理研究所の研究員となった。強磁場物理学やレーザー核融合の研究で成果を挙げ、2021年の未来科学大賞物質科学賞を受賞している。今後、このHPの国内で評価の高い科学者の一人として取り上げる予定である。

張傑物理研究所研究員の写真
張傑・上海交通大学元学長 百度HPより引用

(3)中国科学院内における他の物理学関連研究機関

 物理学は、数学、化学、生物学などと並び基礎科学の根幹をなす研究分野である。

 このため下記の通り、中国科学院の傘下の研究機関名に「物理」が入っているものや、「物理」が入っていないが物理学に深く関係している研究所が多い。黒字のゴシック体となっているのは、このHPで取り上げる予定の研究機関である。青字のゴシック体は既に取り上げた機関である。

○機関名に「物理」が入っている機関
物理研究所
・理論物理研究所(理论物理研究所)
高エネルギー物理研究所(高能物理研究所)
地質・地球物理研究所(地质与地球物理研究所)
・大気物理研究所(大气物理研究所)
生物物理研究所
・工程・熱物理研究所(工程热物理研究所)
大連化学物理研究所(大连化学物理研究所)
長春光学精密機械・物理研究所(长春光学精密机械与物理研究所)
・上海技術物理研究所(上海技术物理研究所)
・上海応用物理研究所(上海应用物理研究所)
・近代物理研究所
・蘭州化学物理研究所(兰州化学物理研究所)

○機関名に「物理」が入っていないが、物理学に深く関係する機関
・力学研究所
・声学研究所
国家天文台
・国家ナノテク科学センター(国家纳米科学中心)
自動化研究所(自动化研究所)
・瀋陽自動化研究所(沈阳自动化研究所)
・上海天文台
・紫金山天文台
・福建物質構造研究所(福建物质结构研究所) 
合肥物質科学研究院(合肥物质科学研究院)

参考資料

・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編
・中国科学院物理研究所HP https://iop.cas.cn/
・超导国家重点实验室HP https://nlsc.iphy.ac.cn/
・表面物理国家重点实验室HP https://surface.iphy.ac.cn/
・磁学国家重点实验室HP https://maglab.iphy.ac.cn/