概要

 大連理工大学(大连理工大学、Dalian University of Technology)は遼寧省大連市にあり、理工系を中心とし、経済、管理、人文、医学などの学部を有する総合大学である。211工程985工程双一流建設政策などによる国家重点大学でもある。

大連理工大学の写真
大連理工大学  同大学HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・中国語表記 大连理工大学   略称 大工
・日本語表記 大連理工大学  
・英語表記 Dalian University of Technology 略称 DUT 

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 大連理工大学の本部は、遼寧省(辽宁省)大連市(大连市)甘井子区隣凌工路2号にあり、メインキャンパス(主校区)と呼ばれている。

 大連市は、中国東北部遼東半島の最南端にあり、東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てて向い合い、北には広大な東北部の平野が広がっている。
 大連の名称は、日清戦争後の三国干渉を経て大連のある遼東半島先端部を租借する権利を得たロシアが名づけた「ダルニー:ロシア語で遠い」に由来する。ロシアは、ここに東清鉄道を建設してシベリア鉄道と連絡させ、港の整備を開始し、郊外の旅順に要塞を建設した。
 日露戦争で日本が勝利し、ポーツマス条約により遼東半島先端部の租借権は日本に移った。日本はロシアが進めた鉄道整備と周辺の都市整備を引き継いだが、その実施主体が南満州鉄道株式会社(満鉄)であり、ターミナルと本社が置かれたのが大連だった。

ヤマトホテルの写真
大連中山広場にある大連賓館
(満鉄が経営していた旧ヤマトホテル)

 1945年に、日ソ中立条約破棄によりソ連が対日参戦し、大連を占拠した。戦争終結後も、ソ連は大連港、旅順港、南満洲鉄道などを管理下においた。中華人民共和国が成立した2年後の1951年に、ソ連はこれらを新中国に返還した。

3. 沿革

(1)大連大学工学院

 中華人民共和国建国前の1949年4月、当時中国東北部を支配していた中国共産党により同地の経済発展や科学技術振興を目的とした総合大学である大連大学が設立された。その際、工学院も併せて設置され、これが現在の大連理工大学の直接の母体である。 

(2)大連工学院

 翌1950年に、大連大学は解散となり、同大学の工学院は独立して「大連工学院(大连工学院)」となった。

 1952年に実施された、中国の大学・学部の再編政策である院系調整により、大連工学院の多くの学科が他の大学や中国科学院の研究所に移管された。

 1960年に、大連工学院は国務院教育部直属の重点大学に認定された。 

(3)大連理工大学

  文革終了以降、大連工学院は人文系や経済、管理学などの学科を拡充した。

  1988年、大連工学院は大連理工大学に改名した。

 大連理工大学は、中国の大学重点政策の一環として、1996年に211工程に、2001年に985工程に、それぞれ選定された。さらに、2017年に開始された双一流建設政策にも選定された。

(4)医学部設置

 2022年、大連理工大学は、生物医学、基礎医学、臨床医学、薬学・医工連携研究の4つの学科よりなる医学部を設置した。 

4. 規模

(1)規模のデータ

 大連理工大学の規模について、具体的な数値で見たのが下表である。

 大連理工大学中国第1位の大学 
学部学生数25,396名(33位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数19,433名(25位)中国科学院大学 57,375名詳細データ
専任教師数2,971名(22位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算82.25億元(26位)清華大学 362.11億元詳細データ
留学生数1,242名(28位)北京大学 6,857名詳細データ

(2)キャンパス

 大連理工大学は、本部のあるメインキャンパスに加え、開発区(开发区)、盤錦(盘锦)の2つのキャンパスを有している。

(3)学部

 大連理工大学は、国務院教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、工学、理学、医学、管理学、教育学、芸術などを有する総合大学である。

(4)附属医院

  大連理工大学医学部のHPによれば、次の4つの附属医院を有している。

・大連理工大学附属中心医院(大連市中心医院)
・大連理工大学附属腫瘍医院(遼寧省腫瘍医院)
・大連理工大学附属婦人小児科医院(大連市婦人小児医療センター)
・大連理工大学附属第三人民医院(大連市第三人民医院)

5. 研究開発力

 大連理工大学は、中国の主要大学において30位前後の研究開発力を有すると考えられる。

(1)研究開発力のデータ表

 大連理工大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
 このうち、SCI論文数とはクラリベイト社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、国家自然科学基金委員会(NSFC)の面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、双一流建設政策による学科建設数は下記(3)を参照されたい。

 大連理工大学中国第1位の大学 
SCI論文数30位中国科学院大学詳細データ
Nature Index30位中国科学技術大学詳細データ
国家重点実験室数3か所(16位)清華大学 13か所詳細データ
双一流学科建設数3学科(31位)北京大学詳細データ
NSFC面上項目予算18位上海交通大学詳細データ

(2)国家重点実験室

 大連理工大学にある3か所の国家重点実験室は、次の通りである。

・海岸・近海工程国家重点実験室
・精細化工国家重点実験室
・工業装備構造分析国家重点実験室

(3)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流建設政策)を開始した。2022年に改訂された双一流建設政策による学科建設において、大連理工大学は全体で以下の3学科が選定されている。

 ○理学系(1) 力学
 ○工学系(2) 機械工学、化学工学・技術

(4)NSFC面上項目予算獲得

 日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で大連理工大学は中国全体で18位である。

6. 国内および国際的な評価

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では軟科と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。
 これで見ると大連理工大学は、中国の主要大学の中で25位から30位前後にある。

 大連理工大学中国第1位の大学 
軟科ランキング28位清華大学詳細データ
校友会ランキング27位北京大学詳細データ
QSランキング世界448位  中国26位北京大学詳細データ
THEランキング世界401-500位 中国30位清華大学詳細データ
校友会傑出人材24位北京大学詳細データ

 7. 特記事項

(1)卓越大学連盟

 大連理工大学は2010年に、北京理工大学東南大学重慶大学同済大学ハルビン工業大学華南理工大学天津大学西北工業大学の8大学とともに、「卓越人材育成協力枠組協定(卓越人才培养合作框架协议)」に署名し、協力を行っており、これを「卓越大学連盟(卓越大学联盟)、Excellence 9(E9)」と呼んでいる。
 中国にはこれとは別に、北京大学清華大学など中国トップレベルの大学が参加する別の協力枠組みである「九校連盟(九校联盟)、China 9(C9)」がある。

(2)中国東北部の主要大学

 中国東北部は、かつて日本の傀儡政権である満州国が置かれた地であり、第二次大戦後は中華人民共和国の東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)が置かれた。

 本HPで取り上げる予定の中国主要大学・準主要大学(合計46校)のうち、中国東北部に位置する大学は、ハルビン工業大学吉林大学、大連理工大学(本記事)、東北大学(今後掲載予定)である。

 中国東北部のその他の有力大学として、ハルビン工業大学と同様に黒竜江省ハルビン市にあるハルビン工程大学(哈尔滨工程大学)について、以下に簡単に紹介する。

ハルビン工程大学の写真
ハルビン工程大学  同大学HPより引用

 ハルビン工程大学は、1953年に設置された人民解放軍軍事工程学院が前身である。

 文化大革命が開始されると、同学院と文革革命派との抗争を経て大部分の教職員は湖南省長沙市へ移転し、ハルビン市には海軍関連の学科のみが留まった。また教育研究活動はほどんと停止した。
 文革が終了すると、湖南省長沙市へ移動した教職員を中心に国防科技大学が設立され、ハルビンに残った教職員らによりハルビン船舶工程学院が設置された。これが現在のハルビン工程学院の直接の母体である。

 現在のハルビン工程学院は、国務院工業・情報化部の所管大学であり、いわゆる国防七校(国防七子)の一校となっている。211工程985工程の指定校ではあったが、双一流建設政策による重点校にはなっていない。

(3)向坊東大元総長

 2002年に亡くなられた向坊隆元東京大学総長は、戦前の満州大連の出身である。向坊先生は、1917年に満鉄職員の子息として大連に生まれ、旧制中学校3年生(16歳)までおられた。
 向坊先生は、生まれ故郷の大連について「大連は三方を海に囲まれ、そう高くはないが山もあり、アカシアやポプラで代表される並木の整った美しい街であった(文藝春秋第56巻11号「私の大連」より引用)」と記されている。
 向坊先生は東大総長の時代の1979年に、中国科学院の招待で大連(当時は旅大市)を約40年ぶりに訪問された。以降亡くなる直前まで大連にある大学や研究所を度々訪問されて、学生や若手研究者と交流されていた。大連理工大学も、向坊先生が頻繁に訪問された場所の一つであり、1985年に同大学の名誉教授に就かれている。また1988年には、同大学に「向坊奨学金」を設け、延べで約450名の優秀な学生の支援をされている。

 本HPの筆者である林は、東大工学部原子力工学科の卒論と修士課程時代に向坊研に所属し、向坊先生の薫陶を受けた。また、卒業して科学技術庁へ入ってからも、原子力委員長代理となられた向坊先生にお仕えした。さらに長男の隆一君は、林と同い年で共に原子力研究開発に携わったが、残念ながら若くして亡くなった。

向坊先生原研視察

  上記の写真は、向坊先生が原子力委員長代理の時代である1988年2月に、茨城県東海村の日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)を視察された際のものである。林は当時、原子力委員会の事務局である原子力局原子力調査室長であり、向坊先生に随行した。中央が向坊先生であり、右隣の伊原原研理事長(当時、元科学技術庁事務次官)の右隣りが林である。

 林が中国に関心を持ち、中国の科学技術を追いかけているのは、向坊先生に薫陶を受けたことが理由の一つと考えている。

参考資料

・大連理工大学HP  https://www.dlut.edu.cn/
・大連理工大学医学部HP https://med.dlut.edu.cn/index.htm
・ハルビン工程大学HP http://www.hrbeu.edu.cn/
・向坊隆 「学長の平日と休日」1982年 東京大学出版会 https://www.utp.or.jp/book/b298344.html