はじめに

 白春礼(Bai Chunli、1953年~)は、電子顕微鏡を専門分野とする化学者であり、中国科学院化学研究所副所長を務めたのち、2011年から第6代の中国科学院院長を務めた。

白春礼第6代院長
白春礼第6代院長 百度HPより引用

満族の出身

 白春礼(Bai Chunli)は、1953年に遼寧省丹東市で生まれており、満族出身である。

 満族は満州族とも呼ばれ、かつて清朝を興した民族である。現在は、中国大陸東北部を中心に居住し、55ある中国少数民族の一つである。
 2020年の中国の国勢調査では、満足の人口は1,042万人とされ、少数民族としてはチワン族(大陸南部に居住、人口約2,700万人)、回族(黄河流域北西部を中心に中国全土に居住、人口約1,140万人)に次ぐ。

生い立ちと教育

 白春礼の父は、小学校の教師だったこともある知識人で、漢詩の本をめくりながら詩の意味、詩人の高潔な人格や崇高な志を聞かせてくれた。小さい白春礼は、この父の影響を受けて優れた漢詩を暗唱するとともに、将来は文人となることを夢見た。

 ところが、白春礼が小学校へ入る前、道端の割れたワインボトルの破片を見ていると、その下に大きなアリが見えた。好奇心が沸いた白春礼は、その割れたボトルのガラス破片を手で持ち上げたところ、下に見えたのは普通の大きさのアリであった。再びガラス破片をアリの上にかざすと、アリは大きくなり足に生えている毛まではっきり見えた。そのことを大人に話すと、彼らは皆「拡大」されたのだと言った。子供であった白春礼には「拡大」の意味がよく分からず、結果として「拡大」に興味を持ち続けることとなった。これが、将来の顕微鏡研究につながったと述べている。

 白春礼は1966年に、小学校を卒業して地元の中学校(中高一貫校)に入った。ところが、前年末から始まっていた文化大革命は、1966年に中国全土に広がって社会・経済活動が混乱し、教育もほとんどストップしてしまった。

下放で労働に従事

 白春礼は、通常は6年かかる中学校の課程を、文革の混乱のため4年間で卒業し、若者の思想闘争や思想改造の名目で開始された下放(上山下郷運動)に志願して、大陸北部の内モンゴルにあった内モンゴル生産建設兵団(内蒙古生产建设兵团)に派遣された。

 白春礼は、この内モンゴル生産建設兵団でトラックの運転手と事務処理を任され、懸命に働いた。夜中に電話で起こされ、「病人がいる」、「急用でトラックが必要だ」と告げられることもしばしばだったが、彼は不満を口にせずトラックを走らせるのが日課になっていた。
 そのような中にあっても、暇な時間には、兄から貰った古い教科書を手に取り、薄暗い明かりの下で中学・高校の全科目を独学で勉強した。

工農兵大学生として北京大学へ

 白春礼にとって幸運だったのは、当時の指導者・毛沢東の号令で、大学への新入生受け入れが復活したことである。

 文化大革命開始直後の1966年7月、中国共産党中央委員会と国務院は、全国共通大学入試である高考の停止を通知した。このため、1966年から1969年までの4年間、中国本土の全ての高等教育機関は学生の入学を完全に停止し、高等教育は麻痺状態になった。
 その後、毛沢東が「大学は運営を継続すべきである」とし、「実務経験のある労働者および農民から新規の学生を選び、学校で数年学んだ後に生産業務に戻るべきである」と述べたことにより、各大学は1971年に新入生の登録を再開することとし、高等学校を卒業して2年以上働いた労働者、農民、兵士を「工農兵大学生」として募集することとした。新入生の選定は、中国共産党や文革の革命委員会などの推薦を主体とした。

 トラックの運転手などで骨身を惜しまずに働いていた白春礼を、仲間の兵士たちは高く評価していたため、中隊の全兵士による3回の無記名投票で選出され、その後の筆記試験などを経て工農兵大学生に選抜された。

 白春礼は1974年に、中国随一の名門大学である北京大学の化学科に入学し、4年後の1978年に無事卒業した。

中国科学院化学研究所

 白春礼は、北京大学化学科を卒業したのち、故郷の近くの吉林省にある中国科学院長春応用化学研究所に配属となった。

 白春礼は、同研究所に一年間勤務したのち、研究者としての知識・学識の不足を実感し、北京にある中国科学院化学研究所に大学院生(研究生と呼ばれる)として入所した。中国では学部教育は大学で行われるが、大学院教育は大学だけでなく他の研究機関などでも行われており、代表的な受け入れ機関は中国科学院の附属研究機関である。

化学研究所の写真
中国科学院・化学研究所 同研究所のHPより引用

 白春礼は、化学研究所で博士学位を取得して1985年に渡米し、カリフォルニア工科大学やNASAのジェット推進研究所でポスドク研究員となり、真空走査トンネル顕微鏡(STM)の研究を行った。
 1987年に再び化学研究所に戻りSTM実験室の主任となっている。
 さらに1991年から約1年半にわたり、日本の東北大学金属材料研究所の客員研究員を勤めた。

中国科学院院長に就任

 白春礼は、日本から帰国後の1992年に、39歳という若さで化学研究所の副所長となった。

 さらに1996年には中国科学院副院長に昇格した。1997年には中国科学院の院士に当選し、2004年には中国科学院全体のナンバーツゥである常務副院長に昇格した。そして2011年には、路甬祥第5代院長の後を継いで中国科学院の院長に就任した。

 白春礼が、院長に就任後にまず注力したのが、人材の育成である。中国が、科学技術分野で米国等の先進国に伍していくためには人材の育成が不可欠であり、その際中国科学院がその先頭に立って努力すべきであると主張した。とりわけ、研究の持続的発展を軸として健全な人材システム構築が重要であり、そのシステムの上に立って研究者の絶えざる流動性を促進すべきであるとした。

 白春礼は、習近平国家主席の強調するイノベーション(創新)を重要視し、現在世界は百年に一度と言われる大変革期であり、その中で中国が国家として発展していくためには、科学技術イノベーションがかってないほど重要となっていて、中国科学院はその先頭に立ってイノベーション活動を推進すべきであると主張した。

 白春礼は、2020年に中国科学院の院長を退任した。現在は、中国科学院大学中国科学技術大学両校の名誉学長となっている。

歴代の中国科学院院長

 中国の科学技術界において、中国科学院の占める比重は大きい。ここで、簡単に歴代院長を紹介する。

(1)郭沫若(初代、在任:1950年~1978年) 

 初代院長の郭沫若(Moeuo Guo、1892年~1978年)は、四川省楽山に生まれ、1914年に日本へ留学し、第六高等学校を経て、九州帝国大学医学部を卒業した。九州帝国大学在学中から文学活動に励み、いくつかの詩集を発表している。中華人民共和国建国後に、政務院副総理兼務の形で中国科学院院長に就いた。郭沫若は、日本に若くして留学したことや日本人女性と結婚するなど、日本との関係が深い。

郭沫若のアイキャッチ写真
郭沫若

(2)方毅(第2代、在任:1979年~1981年)

 第二代院長の方毅(Fang Yi、1916年~1997年)は、福建省厦門市に生まれ、軍人・政治家として活躍した人物であり、科学者・研究者としての経歴はない。
 新中国建国後、1949年に福建省副主席、1952年に上海市副市長、1953年に政務院財政部副部長を歴任した。

 文化大革命終了後の1977年1月、方毅は中国共産党中央の意向に従い中国科学院副院長に就任し、文革の混乱の修復に当たった。1979年に院長に就任したが、在任期間は短く1981年に院長を退任している。

方毅2代院長
方毅2代院長 百度HPより引用

(3)盧嘉錫(第3代、在任:1981年~1987年)

 盧嘉錫(卢嘉锡、Lu Jiaxi、1915年~2001年)は、福建省厦門市に生まれ、1934年に厦門大学化学科を卒業し、英国や米国に留学して博士学位を取得した。1945年に帰国し、厦門大学化学科教授となった。1960年に中国科学院福建物質構造研究所所長となり、1981年に第3代中国科学院の院長に就任した。

盧嘉錫第3代院長
盧嘉錫第3代院長 百度HPより引用

(4)周光召(第4代、在任:1987年~1997年) 

 周光召(Zhou Guangzhao、1929年~2024年)は、湖南省長沙市に生まれ、1951年に清華大学物理学科、1954年に北京大学大学院理論物理専攻を卒業した。1957年に旧ソ連のドゥブナ合同原子核研究所に入所し研究業務に従事した後、1961年に帰国して第二機械工業部に所属し、中国初の原子爆弾及び水素爆弾の設計に従事した。
 1979年に中国科学院理論物理研究所に移り、副所長、所長を勤めた。1980年に中国科学院学部委員(現在の院士)に当選し、1984年に中国科学院副院長に就任した後、1987年から院長を務めた。

周光召4代院長
周光召4代院長 百度HPより引用

(5)路甬祥(第5代、在任:1997年~2011年) 

 路甬祥(Lu Yongxiang、1942年~)は、浙江省寧波市に生まれ、1964年に浙江大学機械学科を卒業し同大学の教員となった後、1979年にドイツのアーヘン工科大学に留学し、1981年に同大学より博士学位を取得した。
 その後再び浙江大学に戻り、1988年には同大学の学長に就任した。1993年に中国科学院副院長に就任し、1997年から5代目の院長となった。

路甬祥第5代院長
路甬祥第5代院長 百度HPより引用

参考資料

・中国科学院HP 【中华儿女】白春礼 人格与智慧的交响
・中国科学院大学校友会HP 白春礼:从战士到院士
・百度HP 白春礼 郭沫若 方毅 卢嘉锡 周光召 路甬祥