はじめに

長春応用化学研究所は、吉林省長春市にある中国科学院の附属研究機関である。

化学分野における基礎研究、応用研究、ハイテク研究、産業化開発などの研究開発を行っている。

日本の傀儡政権であった満州国の大陸科学院が前身である。

長春応用化学研究所の写真
長春応用化学研究所 同研究所のHPより引用

1. 名称

○中国語表記:长春应用化学研究所  略称 长春应化所
○日本語表記:長春応用化学研究所
○英語表記:Changchun Institute of Applied Chemistry  略称 CIAC

2. 所在地

 長春応用化学研究所本部の所在地は、吉林省長春市人民大街5625号である。 

 長春市は、中国の東北部(旧満州)に位置し、吉林省の省都である。市区人口は358万人、都市圏人口は750万人である。
 市内には、中国最大級の規模を誇る吉林大学を含む27の国立大学や、長春応用化学研究所など100余の科学研究施設を抱え、科学技術人員の比重は中国でもトップクラスである。中国科学院の組織では、長春精密機械・物理研究所も優れた研究所である。

3. 沿革 

(1)大陸科学院が前身

 中国共産党の東北行政委員会は1948年12月、東北地方の農業と工業の技術開発を進めるため、第二次世界大戦前に設立された満州国大陸科学院の建物や施設を接収して「東北工業研究所」を設置した。翌1949年には、「東北科学研究所」と改名した。
 満州国の大陸科学院の詳細は、下記8.の特記事項を参照されたい。

(2)中国科学院へ

 中華人民共和国建国後に設置された中国科学院の初代院長となった郭沫若は、1952年1月に東北科学研究所を訪問し、同研究所を単に東北地方の科学技術に貢献するだけでなく、新中国全体の先鋒になるべきであると述べ、中国科学院への移管を宣言した。
 これを受けて、東北科学研究所は1952年に、中国科学院長春総合研究所となった。

 さらに、同研究所の抜本的な研究力強化を目的として、上海にあった中国科学院物理化学研究所が長春総合研究所との合併を念頭に1952年に長春に移転した。

上海にあった物理化学研究所の写真
上海にあった物理化学研究所 長春応用化学研究所HPより引用

 1954年に、長春総合研究所と物理化学研究所が合併して、長春物理化学研究所となった。

4. 組織の概要

(1)研究分野

 長春応用化学研究所は、化学分野における基礎研究、応用研究、ハイテク研究、産業化開発などを統合的に行う総合化学研究機関である。

(2)研究組織

①国家級の研究室・実験室

・高分子物理・化学国家重点実験室(後述)
・電気分析化学国家重点実験室(後述)
・レアアース資源利用国家重点実験室(後述)
・国家電気化学・分光研究分析センター

②中国科学院級研究室・実験室

・中国科学院生態環境高分子材料重点実験室
・中国科学院高性能合成ゴム・複合材料重点実験室

③研究所級研究室・実験室(例示)

・ケミカルバイオロジー実験室
・グリーンケミストリー・プロセス実験室
・先端化学電源実験室

(3)研究所の幹部

 長春応用化学研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、中国共産党紀律検査委員会(紀委)書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の付属研究所の場合には所長が最高責任者の場合が多い。

①楊小牛・所長

 楊小牛(杨小牛)長春応用化学研究所所長は、1973年に浙江省で生まれ、1995年に天津大学で学士の学位を、2000年に長春応用化学研究所で博士の学位を取得した。その後、ドイツのマックスプランク研究所やオランダのアイントホーフェン工科大学でポスドク研究を行った後、2005年に百人計画に当選して帰国し、長春応用化学研究所の研究員となった。それ以降一貫して長春応用化学研究所で研究活動を行い、2019年から所長を務めている。専門は高分子材料の研究である。

②鄒泉青・党委書記兼副所長

 鄒泉青(邹泉清)党委書記は、副所長も兼務しており、長春応用化学研究所のナンバーツゥーである。鄒泉青は、1964年に吉林省で生まれ、1987年に長春大学工業企業会計科で学士の学位を取得し、1992年から長春応用化学研究所に勤務している。2014年から党委書記兼副所長となった。

5. 研究所の規模

(1)職員数

 長春応用化学研究所における2021年現在の職員総数は800名で、中国科学院の中では第25位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。800名の内訳は、研究職員が698名(87%)、技術職員(中国語で工員)が57名(7%)、事務職員が45名(6%)である。

(2)予算

 長春応用化学研究所における2021年予算額は、8億0,885万元である。中国科学院附属研究機関の予算額のランキングはこちらを参照されたい。長春応用化学究所はランク外で30位以内にはない。8億0,885万元の内訳は、政府の交付金が4億2,014万元(52%)、NSFCや研究プロジェクト資金が1億6,824万元(21%)、技術収入が9,805万元(12%)、試作品製作収入が5,214万元(6%)、その他が7,028万元(9%)となっている。

(3)研究生

 長春応用化学研究所における2021年現在の在所研究生総数は1,114名で、中国科学院の中では第7位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,114名の内訳は、修士課程の学生が517名、博士課程の学生が597名である。

6. 研究開発力

(1)国家級実験室など

 中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。上記組織の項でも述べたが、長春応用化学研究所は3つの国家重点実験室を有している。

高分子物理・化学国家重点実験室(高分子物理与化学国家重点实验室):前身は1989年に中国科学院の重点実験室として設置された。2001年に国家重点実験室に格上げされた。高分子科学と材料科学、情報科学、生命科学、環境科学などの境界分野の研究を行っている。2021年現在で、正規研究員が175名、客員研究員が165名、研究生としてポスドク8名、博士学生186名、修士学生158名である。

電気分析化学国家重点実験室(电分析化学国家重点实验室):前身は1989年に中国科学院の重点実験室として設置された。2001年に国家重点実験室に格上げされた。機能化電極界面、電気化学発光、ナノマテリアルなどを研究する。2021年現在で、正規研究員が135名、客員研究員が19名、研究生としてポスドク2名、博士学生179名、修士学生142名である。

レアアース資源利用国家重点実験室(稀土资源利用国家重点实验室):2007年に国の認可を受け、2010年から研究を開始した。レアアース理論、レアアース機能材料、レアアース分離、レアアース生物学の分野を研究する。2021年現在で、正規研究員が98名、客員研究員が52名、研究生としてポスドク18名、博士学生109名、修士学生99名である。

(2)大型研究開発施設

 中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。
 長春応用化学研究所には、大型共用施設・共用実験施設はない

(3)NSFC面上項目獲得額

 国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。
 長春応用化学研究所のNSFCの獲得資金額は、2021年で2,008万元(件数は32件)であり、中国科学院の中では第12位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

7. 研究成果

(1)Nature Index

 科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022によれば、長春応用化学研究所は中国科学院内第5位であり、論文数で78.74となっている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
 このNature Index に関し、中国の主要大学のそれと比べると高くない。中国の主要大学のNature Indexによるランキングは、こちらを参照されたい。

(2)SCI論文

 上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。

 ただ、研究所によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているかを発表している。
 中国科学院年鑑2022によれば、長春応用科学研究所における2021年に631 件のSCI論文を発表している。
 中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが近年の1年間で、SCI論文を約10,000件前後発表している(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、それほど大きなものではない。

(3)特許出願数

 長春応用化学研究所における2021年の特許出願数は283件である。中国科学院内の附属研究機関のランキングはこちらであるが、長春応用化学研究所はランク外となっている。

(4)成果の移転収入

 2021年の長春応用化学研究所の研究成果の移転収入は183.60億元であり、中国科学院内で第7位である(他の研究所との比較の詳細はこちら参照)。

(5)両院院士数

 中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年2月時点で長春応用化学研究所に所属する両院の院士は6名である。中国科学院附属研究機関の院士数のランキングはこちらを参照されたい。長春応用化学究所はランク外である。 
○中国科学院院士(6名):倪嘉缵、汪尔康、杨秀荣、张洪杰、安立佳、陈学思

8. 特記事項

(1)偽満州国との関係

 沿革でも述べたように、長春応用化学研究所の母体は、満州国大陸科学院である。

 満州国は、1931年の柳条湖事件(中国では九一八事変と呼ぶ)を契機として、日本の関東軍が現在の東北部一帯を占拠し、翌1932年に清朝の廃帝・愛新覚羅溥儀を擁して設立した傀儡国家である。なお、中国では満州国を国家として認めておらず、「偽満州国(伪满洲国)」と呼ぶ。この満州国の首都となったのが、現在の吉林省長春市であり、新たに新京と命名された。

 満州国成立後の1935年に、満州国の資源活用を図るため、政府である国務院直属の科学研究機関として、大陸科学院を設置した。

満州国大陸科学院の写真
満州国大陸科学院 長春応用化学研究所HPより引用

 大陸科学院の研究分野は、農業化学、林業化学、畜産化学、生物化学、有機化学、無機化学、電気化学、燃料、冶金、機械、動力、給排水、土木、建設、土壌工学、燃焼、航空、防毒などであった。
 職員数も最盛期には、本部に主任研究官17人、副研究官34人、研究員約100人、補助職員・事務員約500人で総計約650人に達し、また付属機関の職員が約400人であり、大陸科学院全体で千人を超える大きな研究機関であった。大陸科学院の主たる研究員は、ほとんどが日本人であった。

 大陸科学院で初代の院長となったのは、東京帝大土木工学科卒の直木倫太郎であり、三代院長も務めている。1937年から第二代院長を務め東京帝大東京帝大農芸化学科卒の鈴木梅太郎である。鈴木梅太郎は、米糠からオニザリン(ビタミンB1)を発見し、長岡半太郎、本多光太郎と共に理研の三太郎と称される。鈴木梅太郎は、大陸科学院のモデルを日本の理化学研究所(戦前)に求め、基礎科学の振興とその産業化の促進に尽力し、1941年に院長を辞任している。

鈴木梅太郎の写真
鈴木梅太郎 東京大学HPより引用

 第二次世界大戦で日本が敗戦となり、この大陸科学院も廃止された。大陸科学院を接収した中国側(初めは国民党、後に共産党)は、所属していた日本人研究者を敗戦国の国民であるにもかかわらず厚遇し、東北地方の関係部署に転属を促した。1949年に中華人民共和国が建国されると、大陸科学院の建物や設備などは、人民政府に移管され、これが現在の長春応用化学研究所の源となったのである。

(2)呉学周(吴学周)

 呉学周(吴学周)は、長春応用化学研究所の歴代所長の中でも、特に著名な科学者である。呉学周は4代目の所長であるが、上海にあった物理化学研究所との合併時の1954年に所長となり、以降1983年までおよそ30年間にわたって所長を務めた。

長春応用化学研究所の所長であった呉学周の写真
呉学周 長春応用化学研究所HPより引用

 呉学周は、1902年に江西省の私塾教師の家に生まれた。祖父は清朝の科挙で挙人の資格まで取得した知識人であった。呉学周は1920年に、南京高等師範学校(現在の南京大学)に入学し化学を専攻し、1924年に同校を卒業して、同校の教員となった。
 呉学周は、1927年に物理学者呉有訓の推薦により江西省の留学生試験を受けて合格し、翌1928年に米国カリフォルニア工科大学(カルテック)へ留学し、物理化学を専攻した。1931年に同大学から博士の学位を取得した後、ドイツのダルムシュタット高等工業学校でポスドク研究の後、1933年に帰国し、上海にあった中央研究院化学研究所の研究員となった。

 第二次世界大戦後、呉学周は中国科学院上海物理化学研究所の所長となり、1954年に同研究所と長春総合研究所が合併して現在の長春応用化学研究所が設立された際に、所長に就任した。

 呉学周は、1983年に長春で死亡した。享年は81歳であった。

 呉学周は、分子分光法と化学反応速度論の研究に専念してきた。彼は、紫外および遠赤外分光法による多原子分子の研究に従事し、いくつかの新しいスペクトルバンド系を発見し、いくつかの代表的な重要な多原子分子の構造と化学反応機構を解明した。 彼は中国化学界における分子分光研究の創始者である。1948年に中央研究院院士に当選し、新中国建国後の1955年に中国科学院学部委員(現在の院士)に当選している。

参考資料

・中国科学院長春応用化学研究所HP https://ciac.cas.cn/
・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編
・理研時代の鈴木梅太郎博士 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu/50/6/50_458/_pdf
・微博HP 伪满洲国大陆科学院--伪满洲国最大、门类最全的自然科学殿堂
https://weibo.com/ttarticle/p/show?id=2309404667500854902975
・東京大学HP 鈴木梅太郎のビタミンB1の発見
https://www.bt.a.u-tokyo.ac.jp/senjin/vol1/