はじめに

 薛其坤(1962年~)南方科技大学学長は、量子異常ホール効果を実験で確認するなど物理学で成果を挙げた研究者であり、国家自然科学一等賞や未来科学大賞などを受賞している。

薛其坤南方科技大学学長の写真
薛其坤 南方科技大学HPより引用

生い立ちと教育

 薛其坤(Qikun Xue)は、1962年に山東省臨沂市蒙陰に生まれた。

 生家近くの蒙山は、山東省内で泰山に次いで高い山であり、険しい峰と豊かな森林からなる。薛其坤は、この山間部に生まれたため、土地の人の粘り強さや強い性格が自分にもあり、それが研究での困難を乗り切る力となったと述べている。

 文化大革命が始まったとき薛其坤は4歳であり、文革終了後の1977年に地元の高校に入学しているため、それほど重大な影響は受けなかった。そして、1980年に山東省の省都・済南市にある山東大学の光学科でレーザ学を専攻した。

大学院進学で苦戦

 薛其坤は1984年に山東大学を卒業し、理学士の学位を取得した後、中国科学院物理研究所の大学院への進学(研究生と呼ばれる)を目指した。ところが、入試での成績が振るわず大学院入学が認められなかった。
 このため、同じ山東省の曲阜にある曲阜師範大学物理学科で教員となり、併せて大学院入学の準備を進めた。ところが、薛其坤の大学院入試での成績が思うように伸びず、最終的に合格し北京にある物理研究所に研究生として入所したのは、3年後の1987年であった。

 薛其坤は後に何度も、この大学院進学に3年もかかったことを自ら述べており、辛抱強く続けることにより科学者としての希望が生まれるとしている。

東北大学に留学、文部省教官に

 中国科学院物理研究所では物性物理を専攻し、1990年に理学修士の学位を取得し、引き続き博士取得を目指して大学院で研究を続けた。

 中国科学院と東北大学の間に日中共同研究生制度があり、博士課程の研究生であった薛其坤は、この制度により1992年に東北大学の金属材料研究所に留学した。2年後の1994年6月には東北大学での研究成果などをまとめていったん北京に戻り、博士審査を物理研究所で受け、無事合格して再び東北大学に戻った。

 東北大学に戻った薛其坤は、日本政府の文部教官として東北大学の職員となり、学生を指導すると共に自らの研究を続行した。東北大学在任中に薛其坤は、1996年から1年間、米国のノースカロライナ州立大学へ留学している。

清華大学教授へ

 東北大学在任中の1998年に、薛其坤は中国政府の百人計画に当選した。百人計画は、中国科学院により1994年から開始された外国に就労していた科学技術人材の帰国奨励政策であり、薛其坤が当選した1998年には中国科学院の政策から中国政府全体の政策に拡大されていた。

 薛其坤は1998年8月、中国科学院物理研究所の研究員として勤務を開始し、翌1999年には表面物理国家重点実験室の主任となった。2005年に中国科学院の院士に当選している。

 薛其坤は2006年に、清華大学物理学科の教授に転任した。さらに、2010年には理学部長兼物理系主任に、2013年には副学長に就任した。

量子異常ホール効果の発見

 薛其坤は2009年以降、清華大学、中国科学院物理研究所、米スタンフォード大の複数の研究グループと合同チームを作り、トポロジカル絶縁体研究の側面から量子異常ホール効果の発現に取り組んだ。

 通常の量子ホール効果は、半導体に強磁場を印加することによって試料の端にエネルギー損失することなく電流が流れる。ところが特殊な磁石を用いた量子異常ホール効果では、材料自身が持つ磁化によって、外部磁場を印加しなくても試料の端にエネルギー損失することなく電流が流れることが理論的に予言されていた。

 薛其坤らの中米の合同チームは、2012年末に初めて量子異常ホール効果を実験的に確認し、2013年3月15日にサイエンスに発表した。これは、専門家から「凝縮系物理学界の一里塚となる業績」と評価される成果であり、実用的にも超低消費電力エレクトロニクスを大きく前進させる可能性のあるものであった。

数々の科学賞の受賞

 量子異常ホール効果の実験成功により、薛其坤は著名な科学賞を受賞していった。

 薛其坤は2016年に、未来科学大賞物質科学賞を受賞した。未来科学大賞は、香港を拠点とする未来科学賞財団が中国における優れた業績を表彰することを目的として2016年に創設した賞であり、薛其坤は生命科学賞を受賞した盧煜明(デニス・ロー)と共に、同賞の最初の受賞者となった。

 薛其坤は2018年に、清華大学および中国科学院物理研究所のチームと共に国家自然科学一等賞を筆頭受賞者として受賞した。

 薛其坤は2023年に、オリバー・E・バックリー凝縮系賞(Oliver E. Buckley Condensed Matter Prize)を受賞した。オリバー・E・バックリー凝縮系賞は、米国物理学会により凝縮系物理学で成果を挙げた研究者に授与される賞であり、ベル研究所の元所長であるオリバー・エルズワース・バックリーにちなむ。中国の研究者では2017年にシャオガン・ウェン(文小剛)が、日本の研究者では2009年に宮崎照宣・東北大学名誉教授が、それぞれ受賞している。

南方科技大学学長に就任

 薛其坤は2020年に,南方科技大学の学長に就任し、現在に至っている。南方科技大学(Southern University of Science and Technology (SUSTech))は、広東省の深圳市に本部を置き、2011年に開学した比較的新しい大学である。

 筆者(林)がJST/CRDSに在籍中の2013年1月、清華大学で薛其坤教授にお会いしている。比較的小柄で穏やかな方であり、時々たばこを燻らせながら、我々の質問に叮嚀に答えていただいた。自分が東北大学にいた頃に比較して、中国の科学環境が格段に良くなったとされていた。

薛其坤との写真
薛其坤(中央)と筆者(左から二人目)

参考資料

・南方科技大学HP 薛其坤 党委副书记、校长 https://www.sustech.edu.cn/zh/leadership/xueqikun.html 
・閃電新聞HP 闪电新闻专访薛其坤:山东人“皮实、朴实”等特质助自己勇攀科研高峰 https://baijiahao.baidu.com/s?id=1781065661994594392&wfr=spider&for=pc
・新京报HP 对话|巴克利奖首位中国籍获得者薛其坤:向着极致的热爱前行
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1780819319782264768&wfr=spider&for=pc
・C. Z. Chang, J. S. Zhang, X. Feng, J. Shen, Z. C. Zhang, M. H. Guo, K. Li, Y. B. Ou, P. Wei, L. L. Wang, Z. Q. Ji, Y. Feng, S. H. Ji, X. Chen, J. F. Jia, X. Dai, Z. Fang, S. C. Zhang, K. He, Y. Y. Wang, L. Lu, X. C. Ma and Q. K. Xue, “Experimental Observation of the Quantum Anomalous Hall Effect in a Magnetic Topological Insulator”, Science 340, 167 (2013)
・JST 「中国主要四大学」 https://spap.jst.go.jp/investigation/downloads/r_201309_01.pdf