はじめに

 バージニア・リー(Virginia Man-Yee Lee、李文渝、1945年~)は、夫で共同研究者であるトロジャノフスキーと共に、神経変性疾患を引き起こす特定のタンパク質研究で成果を挙げた。残念ながら夫・トロジャノフスキーは一昨年亡くなったが、その後バージニア・リーは2022年のクラリベートアナリティックス社の引用栄誉賞を受賞し、ノーベル賞受賞に最も近い中国系の米国人科学者の一人である。

バージニア・リーの写真
バージニア・リー 百度HPより引用

生い立ち

 バージニア・リー(Virginia Man-Yee Lee、李文渝)の父親は米国在住の中国人だったが、日中戦争開戦報報を聞いて帰国し、志願して空軍に入隊した。しかし、戦闘で搭乗機が日本軍により撃墜され負傷し、入院中にリーの母親となる女性と知り合った。

 バージニア・リーは1945年に、両親がいた重慶で3番目の子供として生まれた。5 歳のときに家族と共に香港に移住した。彼女は大家族と一緒に暮らし、小学校と中学一年まで中国語の学校に通い、その後英語の中学校に転校した。リーが11歳の頃に、母や他の家族は米国に移住したが、彼女は父方の祖母と共に香港に残った。

ピアノと科学を学ぶため英国に留学

 バージニア・リーは、小さい頃から母の勧めでピアノを習っており、ロンドンの王立音楽院で本格的に学ぶように勧められた。リーは、香港を離れたいと考えていたため、母の勧めに従い1962 年17歳で英国に渡り、ピアノの授業を受け始めた。ただ、母が勧めるほどピアノ演奏に情熱を注ぐことがが出来ないとも感じていたので、併せてロンドン大学の化学科にも籍を置いて科学の勉強も開始した。
 リーは、1964年にピアノ習得に区切りを付けて科学に専念し、1967年にロンドン大学より化学の学士号を取得した。さらにリーは1968 年に、インペリアル・カレッジ・ロンドンより生化学の修士号を取得した。

 修士号を取得したリーは、米国のロサンゼルスに住む母親の近くで学業を続けることとして、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の大学院に移り、1973 年に生化学で博士号を取得した。

ボストンでポスドクを経験しトロジャノフスキーと知り合う

 バージニア・リーは、ポスドク研究の場としてユトレヒト大学を選び、1974年まで1年間オランダに滞在した後、米国に帰国してボストンにあるボストン小児医院およびハーバード大学医学部に移った。

 リーは、ボストンでトロジャノフスキー(John Quinn Trojanowski)と出会う。トロジャノフスキーはコネチカット州生まれの米国人で、リーの1歳年下の1946年生まれであった。トロジャノフスキーは、1976年にタフツ大学で医学博士とPhDを取得して、ボストンで神経病理学の研究を行っていた。リーとトロジャノフスキーは1979年に結婚し、以降公私におけるパートナーとして活躍していった。

 リーは、製薬会社に短期間勤務の後、1980年に夫トロジャノフスキーと共に、ペンシルベニア大学に勤務することになった。医学部で勤務する傍ら、リーはバックアッププランとして産業界へ戻る可能性も考えて、ペンシルベニア大学のウォートン校で経営学も学び、1982年にはMBAを取得している。ウォートン校は、全米屈指のビジネススクールである。

アルツハイマー病などの研究で成果

 バージニア・リーおよびトロジャノフスキーは、特定のタンパク質が神経変性疾患を引き起こすと考えて研究を進め、大きな成果を挙げていった。

 二人は1991年に、タウタンパク質がアルツハイマー病に関連する凝集体である神経原繊維変化の中心成分であることを報告した(Lee et al. Science 1991)。さらに、タウタンパク質のリン酸化が、神経線維変化形成の特徴的変化であることも発見した。

 二人は1998年に、パーキンソン病を発症させるタンパク質であるアルファーシヌクレインが、パーキンソン病患者のニューロンに見られるタンパク質の凝集体であるレビー小体の主要成分であることを、東京大学の岩坪威博士と共同で発見した。

 また二人は1998年に、脳内のアルファーシヌクレインと多系統萎縮症を関連付けた。 2006年には、前頭側頭葉変性症 (FTLD)、筋萎縮性側索硬化症 (ALS)においてTDP43タンパク質が蓄積物の本態であることを初めて示した。

国際賞の受賞

 バージニア・リーおよびトロジャノフスキーは1998年に、ポタムキン賞を受賞した。ポタムキン賞は認知症関連の研究に大きな業績を上げた研究者を顕彰する目的で、米国神経学会が1988年に創設した国際賞であり、日本人では1995年に井原康夫東京大学名誉教授、2012年に岩坪威東京大学大学院教授が受賞している。
 なお残念ながら、井原康夫先生は2023年6月10日に死去されている。

 リーは2020年に、生命科学ブレークスルー賞を受賞している。
 生命科学ブレイクスルー賞は、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ夫妻らがスポンサーとなって設立された賞であり、2013年に山中伸弥京都大学教授、2017年に大隅良典東京工業大学特任教授が、それぞれノーベル賞受賞前に受賞している。また、中国系では盧煜明らが受賞している。

バージニア・リーと夫のトロジャノフスキー
亡き夫で共同研究者のトロジャノフスキーと
バージニア・リー ペンシルベニア大学HPより引用

 夫のトロジャノフスキーは2022年2月に、慢性脊髄損傷による合併症で75歳の生涯を閉じた。
 バージニア・リーはその後2022年9月に、クラリベートアナリティックス社による引用栄誉賞を生理学・医学賞分野で受賞し、ノーベル賞に最も近い科学者の一人となった。受賞理由は、「筋萎縮性側索硬化症 (ALS) および前頭側頭葉変性症 (FTLD) の病理学的特徴である TDP-43 の同定、および神経変性疾患の研究への貢献」であった。

日本との関係

 2012年に米国神経学会からポタムキン賞を受賞した岩坪威東京大学大学院教授は、日本のアルツハイマー病研究の第一人者であり、バージニア・リーおよびトロジャノフスキーと共同研究者として、連名での論文も多く発表している。とりわけ、二人の主要な業績の一つであるパーキンソン病を発症させるタンパク質の研究は、岩坪教授との共同研究の成果である。
 岩坪教授は、国立精神・神経医療研究センタ-神経研究所の所長も兼務している。さらに、私が現在所属するライフサイエンス振興財団では、財団のメイン業務である研究資金援助における選考委員の一員として活躍頂いている。

 リーとトロジャノフスキーの主宰していたペンシルベニア大学の研究室は、これまでに20名近くの日本人研究者を受け入れており、その中には樋口真人博士(量子科学技術研究開発機構・放射線医学総合研究所)など、錚々たる研究者も含まれている。

 またリーが2022年にクラリベートアナリティックス社の引用栄誉賞を受賞した際に、長谷川成人東京都医学総合研究所脳・神経科学研究分野長も同様の理由で引用栄誉賞を受賞している。長谷川分野長は、リーと共同研究を行ったわけではなく、むしろ競争相手であったが、同時期に同趣旨の論文を発表している。

 この様に研究面でも人材育成面でも日本と関わりの深いバージニア・リーであり、もしリーがノーベル賞を受賞する際には、日本の岩坪威教授あるいは長谷川成人分野長との同時受賞を期待するものである。

参考資料

・ASBMB TODAY HP "Virginia Lee: notes on a career" https://web.archive.org/web/20221122130413/https://www.asbmb.org/asbmb-today/people/062813/virginia-lee-notes-on-a-career
・Department of Pathology and Laboratory Medicine, Perelman School of Medicine, University of Pennsylvania HP https://web.archive.org/web/20221125024339/https://pathology.med.upenn.edu/department/people/455/virginia-man-yee-lee
・Department of Pathology and Laboratory Medicine, Perelman School of Medicine, University of Pennsylvania HP https://web.archive.org/web/20221124074034/https://www.med.upenn.edu/cndr/about.html
・The Potamkin Prize HP "Past Recipients" https://web.archive.org/web/20221128082359/https://www.potamkinprize.org/past-recipients
・Breakthrough Prize in Life Sciences HP https://breakthroughprize.org/Laureates/2/L3867
・Clarivate HP https://clarivate.com/news/clarivate-reveals-citation-laureates-2022-annual-list-of-researchers-of-nobel-class/
・Baba, Minami; Nakajo, Shigeo; Tu, Pang-Hsien; Tomita, Taisuke; Nakaya, Kazuyasu; Lee, Virginia M.-Y.; Trojanowski, John Q.; Iwatsubo, Takeshi (1998). "Aggregation of a-Synuclein in Lewy Bodies of Sporadic Parkinson's Disease and Dementia with Lewy Bodies". The American Journal of Pathology. 152 (4): 879–884. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1858234/
・Tu, Pang-hsien; Galvin, James E.; Baba, Minami; Giasson, Benoit; Tomita, Taisuke; Leight, Susan; Nakajo, Shigeo; Iwatsubo, Takeshi; Trojanowski, John Q.; Lee, Virginia M.-Y. (2004). "Glial cytoplasmic inclusions in white matter oligodendrocytes of multiple system atrophy brains contain insoluble α-synuclein". Annals of Neurology. 44 (3): 415–422.