はじめに

 浙江大学医学院 (Zhejiang University School of Medicine) は、中国トップクラスの歴史と実績を有する医学高等教育機関である。

 1998年に旧浙江大学、浙江医科大学、杭州大学、浙江農業大学と合併して新たな浙江大学となったことにより、浙江医科大学は浙江大学医学院となった。

 浙江医科大学の源の一つは、英国聖教会のメイン牧師により設置された広済医学堂である。

浙江大学医学院の写真
浙江大学医学院  同医学院のHPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 浙江大学医学院 
・中国語表記 浙江大学医学院  略称 浙医 
・英語表記  Zhejiang University School of Medicine 略称 ZUSM 

(2)所管

 浙江省杭州市にある浙江大学の所管である。

浙江大学の正門 
浙江大学の正門 百度HPより引用

 浙江大学は、清末の1897年に開設された求是書院を源とし、古い歴史を有する大学である。浙江大学は第二次大戦後に医学院を設置したが、1952年の院系調整で医学院を分離し、1998年に新たな浙江大学となった際に医学院を設置した。

2. 本部の所在地

 浙江大学医学院の本部は、浙江省杭州市西湖区余杭塘路866号である。ここは、浙江大学紫金港キャンパスと呼ばれ、浙江大学本体の本部もこの紫金港キャンパスにある。

 浙江省の省都である杭州市は、隋代以降、京杭大運河の終着点として経済文化が発達し、「上有天堂、下有蘇杭(上に天国あり、下に蘇州・杭州あり)」と称えられた。南宋時代には臨安府として都が置かれた。市中心部の西には世界遺産の西湖があり、浙江大学医学院の本部もこの西湖の湖畔にある。
 日本語で広東省の広州市と同じ読みとなるため、「くいしゅう」と湯桶読みされることがある。ただし、中国語での読み方は、杭州(Hangzhou)と広州(Guangzhou)と全く違う。 

3. 沿革

(1)前身の一つ~公済医校

 浙江大学医学院の前身の一つは、1885年に英国聖教会のメイン神父により設置された広済医学堂である。

浙江大学第二医院の発展に寄与したメイン医師
メイン神父
浙江大学第二医院のHPより引用

 メイン(David Duncan Main、梅滕更)は、1856年スコットランド生まれで、教会団体の援助を受けてエジンバラ大学医学部に学んだ。同大学を卒業したメインは、1881年に英国聖公会より浙江省杭州にあった広済医院の院長として派遣された。
 広慈医院の起源は、1869年に浙江省杭州に設置されたアヘン中毒治療施設である。1871年には、他の疾病治療も行う医院として杭州広済医院(广济医院、The Hospital of Universal Benevolence)となった。現在の浙江大学第二医院である。

 広済医院の院長となったメインは、併せて中国人医師を養成することも重要であると考え、本国に寄付を要請して新しい敷地に病棟などの建物を設置した。そして1885年に、これらの施設を基に医学高等教育機関「広済医学堂(广济医学堂、Hangzhou Medical Training College)」を設置し、メイン自身が同校の初代校長となった。

 広済医学堂はその後、医学、薬学、産婦人科学を教える学校に発展した。

 辛亥革命後、広済医学堂は当時の政府に接収され、1912年に浙江医学専門学校(浙江医学专门学校)となった。初代校長は日本に留学経験を有する韓清泉であり、これは下記の特記事項に記す。

 翌1913年には薬学科を設置し、校名を浙江公立医薬専門学校(浙江公立医药专门学校)と変えた。1927年には浙江省立医薬専門学校(浙江省立医药专门学校)とし、さらに1931年には浙江省立医薬専科学校(浙江省立医药专科学校)とした。

 1937年に日中戦争が始まり、杭州が日本軍に占領されたため、同校は浙江省の辺地や大陸西部に移転し、細々と教学を続行した。1945年に抗日戦争に勝利すると翌1946年に杭州市に戻り、1947年に浙江省立医学院となった。
 また、広済医院は大戦後に英国に返還されていたが、国共内戦後に中国共産党に接収され、1951年に浙江省立医学院の臨床医院となった。

(2)二つ目の前身~国立浙江大学医学院

 浙江大学医学院のもう一つの源は、1947年に旧浙江大学に設置された医学院である。

 1945年に日中戦争に勝利した政府は、当時貴州省に疎開していた浙江大学に対して、浙江省杭州に戻った後に医科を設置するよう命じた。浙江大学は、清末の1897年に開設された求是書院を源とし、古い歴史を有する大学であるが、それまで医科は有していなかった。

 医学院の設置に尽力したのは、当時浙江大学の学長であった竺可楨である。竺可楨は中国の気象学の発展に貢献した科学者であり、日中戦争開戦前の1936年に浙江大学学長に就任した。日中戦争で浙江省杭州にも戦火が迫ったため、いくつかの都市を経由して、貴州省遵義市に大学を疎開させ、日中戦争勝利後に今度は杭州に戻る指揮を執っている。

 1947年に当時の政府から医学院の設置および附属医院の開設が認められた。この附属医院は現在の浙江大学第一医院である。

(3)院系調整により浙江医学院に

 1952年の大学・学部再編政策である院系調整により、浙江大学から医学院が独立し、同じ浙江省にあった浙江省立医学院と合併して、浙江医学院が設置された。その際、双方の附属医院も浙江医学院の附属医院となり、浙江大学医学院の附属医院は浙江医学院第一附属医院に、浙江省立医学院の附属医院であった広済医院は浙江医学院第二附属医院となった。

 1960年に、浙江医科大学となった。

(4)新・浙江大学の医学院に

 1998年に旧浙江大学が、浙江医科大学、杭州大学、浙江農業大学と合併し、新たな浙江大学となったことにより、浙江医科大学は浙江大学医学院となった。 

4. 規模

(1)学生数、教職員数

 浙江大学医学院の現有学生数は、全体で7,500人であり、うち本科生は2,000人、大学院生は5,000人、留学生は600人である。

 浙江大学医学院の博士指導教官は715人、修士指導教官は994人である。

(2)学院と学科

 浙江大学医学院は、現在、基礎医学院、脳科学・脳医学院、公共衛生学院、臨床学院、産婦人科学院、小児科学院、口腔医学院、看護系の学院(学部)を有している。

 浙江大学医学院には、学科として、基礎医学、臨床医学、口腔医学、公共衛生・予防医学、薬学、看護学、生物学、公共管理学などがある。

(3)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。
 2022年に改訂された双一流学科建設において、浙江大学医学院は以下の3学科が選定されている。
○基礎医学
○臨床医学
○薬学

(4)附属医院等

 浙江大学医学院は、次の附属医院と合作医院を有する。

○直属附属医院
・附属第一医院
・附属第二医院
・附属邵逸夫医院
・附属産婦人科(妇产)医院
・附属小児科(儿童)医院
・附属口腔医院
・附属第四医院
・附属精神衛生センター

○非直属附属医院
・附属浙江医院
・附属金華医院
・附属湖州医院

○合作医院
・浙江大学紹興医院
・浙江大学寧波医院
・浙江大学麗水医院
・浙江大学台州医院

(5)国家重点実験室など

 浙江大学医学院は、次の国家的な施設を有している。

○国家重点実験室(1)
・伝染病診断治療国家重点実験室(传染病诊治国家重点实验室)

○国家臨床医学研究中心(2)
・感染症疾病(附属第一医院)
・小児健康・疾病(附属小児科医院)

5. 特記事項

(1)韓清泉

 英国聖公会などにより設置された広済医学堂は、辛亥革命の後、中国政府に接収されて浙江医学専門学校となったが、その初代の校長を務めたのが韓清泉(韩清泉)である。

韓清泉の写真
韓清泉  百度HPより引用

 韓清泉は、清朝末期の1885年頃に浙江省の寧波に生まれた。
 1899年から1902年まで同じく浙江省の杭州にあった「養正書塾(养正书塾)」で勉学に励み、官費留学試験に合格して日本に留学した。

 日本では、嘉納治五郎が清国からの留学生のために東京牛込に開いた弘文学院に入り、日本語の習得に努めた。日本に来て2年後の1904年に、石川県の金沢医学専門学校(現在の金沢大学医学部)に入学した。

 韓清泉は、1910年に金沢医学専門学校を卒業して故郷の浙江省に帰り、浙江高等学堂の校医となった。1911年の辛亥革命の後、浙江医学専門学校が設置されると、韓清泉は初代の校長に任命された。

 韓清泉は、1917年まで同校の校長を務めたが、病を得て退任し、1921年に亡くなった。享年は36歳であった。

(2)レベルの高い附属医院

 浙江大学医学院は、既に述べたとおりの附属医院を有しているが、復旦大学のランキングによればこのうち5つの医院が100位以内にランクインしている。

浙江大学医学院附属第二医院(浙大二院、第8位)
 詳細な情報は、こちらを参照されたい。

浙江大学医学院附属第一医院(浙大一院、第10位)
 詳細な情報は、こちらを参照されたい。

○浙江大学医学院附属邵逸夫医院(第50位)
 1994年に設置された。職員数は4,258人であり、病床数は2,400床、年間の外来患者数は222.4万人、手術数は4.9万件、退院者数は9.8万人である。

附属邵逸夫医院の写真
浙江大学医学院附属邵逸夫医院 同医院のHPより引用

○浙江大学医学院附属小児科(儿童)医院(第60位)
 1951年に設置された。職員数は2,431人であり、病床数は1,900床、年間の外来患者数は260万人、手術数は3万件、入院者数は7万人である。さらに、病床数1,250床を有する分院を2014年に開設している。

附属小児科医院の写真
浙江大学医学院附属小児科(儿童)医院 同医院のHPより引用

○浙江大学医学院附属産婦人科(妇产科)医院(第81位)
 1951年に設置された。職員数は1,600人であり、病床数は1,120床、年間の外来患者数は148万人、入院者数は6.5万人、分娩者数は2万人、手術数は5万件である。

附属産婦人科医院の写真
浙江大学医学院附属産婦人科医院科 同医院のHPより引用

参考資料

・浙江大学医学院HP  http://www.cmm.zju.edu.cn/
・浙江大学HP https://www.zju.edu.cn/
・浙江大学附属第一医院HP https://www.zy91.com/main
・浙江大学医学院附属第二医院HP https://www.z2hospital.com/
・浙江大学医学院附属邵逸夫医院HP http://www.srrsh.com/
・浙江大学医学院附属小児科医院HP https://www.zjuch.cn/
・浙江大学附属産婦人科医院HP https://www.womanhospital.cn/
・中国医院及专科声誉排行榜 https://rank.cn-healthcare.com/fudan/national-general