はじめに

 ユェワイ・カン(1936年~)カリフォルニア大学サンフランシスコ校名誉教授は、DNA多型マーカーを用いた先天性ヘモグロビン異常症の研究などで、数々の著名国際賞を受賞した香港出身の医学者である。受賞年次が少し古くなったが、依然としてノーベル賞が期待される中国系科学者の一人である。 

ユェワイ・カンの写真
ユェワイ・カン 百度百科HPより引用

生い立ちと教育

 ユェワイ・カン(Yuet Wai Kan、簡悦威、简悦威)は、1936年に英国領香港で、裕福な銀行家の家庭に生まれた。父親の簡東浦(简东浦)は1884年に、香港に近接する広東省に生まれ、日本に留学し横浜正金銀行などに13年間勤務して近代的な銀行業務を習得し、1918年に香港で他の商人仲間と共に東亜銀行を設立した。23歳離れた兄に、香港の銀行家、法律家、政治家であり英国国王よりサーの称号を贈られた簡悦強(Sir Yuet-keung Kan)がいる。

 ユェワイ・カンが生まれてすぐに日中戦争が始まり、さらに5歳となった1941年には太平洋戦争が始まり香港は日本軍に占領されてしまう。このため、両親は簡悦威を日本軍の影響下にある学校に通わせず、自宅に家庭教師を招いて勉学させた。終戦後は、キリスト教系の男子校である香港華仁書院に通った。同書院を卒業した1952年に、カンは父の勧めもあり医学習得を目指して香港大学医学部に進学し、1958年に同大学を卒業した。

米国で血液学の研究を行う

 ユェワイ・カンは、香港にあるクイーン・メアリー病院で内科の臨床医となるが、血液学の研究を志して1960年に米国に渡り、ボストンのブリガム病院で勤務した。その後米国やカナダの大学・病院などで勤務の後、1972年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校の准教授となり、サンフランシスコ総合病院でも臨床医として勤務した。1977年にはカリフォルニア大学サンフランシスコ校の正教授に昇進した。

 ユェワイ・カンは1976年より、実業家ハワード・ヒューズによって1953年に設立されたハワード・ヒューズ医学研究所(Howard Hughes Medical Institute)より研究資金の支援を受けることとなった。同研究所から資金提供を受けた研究者からノーベル賞受賞者を多く輩出しており、日本の利根川進博士も同研究所からの資金拠出を受けている。

サラセミアや鎌状赤血球症の研究で成果

 米国でのユェワイ・カンが、精力的に取り組んだテーマがサラセミアの研究である。サラセミアとは、血液中のヘモグロビンを構成するグロビン遺伝子の異常による疾患であり、貧血を伴う遺伝性疾患である。地中海沿岸に多いので地中海性貧血とも言われている。

 ヘモグロビンは、2組のペアになったグロビンの鎖から成り、アルファ鎖が1ペアとベータ鎖が1ペアで構成されている。アルファサラセミアはアルファ鎖に異常が生じる疾患で、アフリカ出身者に多く見られる。ベータサラセミアはベータ鎖に異常が生じる疾患で、地中海東部の国と東南アジアに多く見られる。
 カンは1974年に、アルファ鎖のDNA遺伝子の欠損がアルファサラセミアの原因であることを発見し、論文として発表した。これは極めて画期的な成果であり、DNAの変異がヒト疾患を引き起こすことを特定した最初の研究者となった。すぐに彼は、この知識を DNA 検査の開発に応用し、1976 年にはサラセミアの出生前診断に成功している。

 さらに1979年にはDNA多型の手法を用いて、ベータサラセミアがベータ鎖の切断を招く突然変異によると公表した。

 これらに先立つ1972年にユェワイ・カンは、産前検査研究でグロビンの鎖が胎児の血液から分離できることを発見し、それによって出生前に鎌状赤血球症を検出することができると公表した。鎌状赤血球症は鎌状(三日月形)の赤血球と、異常な赤血球の過剰破壊による慢性貧血を特徴とするヘモグロビン遺伝子異常である。

 このようにカンは、DNA を使用して人間の病気を診断する先駆的な研究において、多くの遺伝病の同定と出生前遺伝子スクリーニングの急速な進歩の基礎を築くのに貢献した。

ガードナー国際賞やラスカー賞などを受賞

 ユェワイ・カンは、これらの業績により数々の国際賞を受賞している。

 1984年には、カナダのガードナー国際賞を受賞した。受賞理由は、「鎌状赤血球症とサラセミアにおける DNA 多型の発見と、ヒト疾患の出生前診断への応用に対して」であった。この賞の多くの受賞者は、後にノーベル賞を受賞しており、日本人では2009年に山中伸弥京都大学教授が、2015年に大隅良典東京工業大学特任教授が受賞している。

 1991年、ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞を受賞した。この賞の多くの受賞者も、後にノーベル賞を受賞しており、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した屠呦呦も2011年に、また2022年には盧煜明香港中文大学教授が受賞している。

 2004年、ショウ賞生命科学部門を受賞した。ショウ賞は、香港のメディア王であるランラン・ショウ(邵逸夫)に因むもので、「東洋のノーベル賞」と呼ぶ人もいる。

 ユェワイ・カンは米国籍を取得しており、長年勤めたカリフォルニア大学サンフランシスコ校の名誉教授としてサンフランシスコに在住し、合わせて香港大学や香港科技大学などで後進の育成に当たっている。

参考資料

GGairdner HP YUET WAI KAN https://www.gairdner.org/winner/yuet-wai-kan
・Lasker Foundation HP 1991 Albert Lasker Clinical Medical Research Award
https://laskerfoundation.org/winners/diagnosis-of-genetic-diseases-by-dna-technology/
・The Shaw Prize HP The 2004 Prize in Life Science & Medicine
https://www.shawprize.org/laureates/life-science-medicine/2004
・UCSF HP Yuet Kan, MD https://profiles.ucsf.edu/yuet.kan