はじめに

 侯建国(Hou Jianguo、1959年~)は、ナノ材料と構造、単分子物理などを専門とする物理学者であり、中国科学技術大学学長や中国科学院副院長などを経て、現在中国科学院院長を務めている。

侯建国 現中国科学院院長
侯建国  百度HPより引用

生い立ちと教育

 侯建国(Hou Jianguo)は、1959年に福建省平潭に生まれた。

 平潭は、台湾海峡の福建省寄りにあって、平潭島を主島として100を超える島々からなる。平潭島は、現在二つの橋により中国大陸とつながっている。
 第二次世界大戦末期の1945年4月、この近辺の海で、日本の貨客船「阿波丸」が米海軍の攻撃により沈没し、約2,000名の乗員・乗客が亡くなった阿波丸事件が発生した。

 侯建国がどのような家庭に生まれ、どのような基礎教育を受けたかについての記事は、現在ネット上にない。侯建国が小学生の時代である1966年に文化大革命が始まり、中国の教育システムは混乱した。

 侯建国は1976年に中等教育を終え、福建省福清市の機械工場に勤務した。福清市は大陸側にあって、平潭に最も近い都会である。

高考の復活により、中国科学技術大学へ

 1976年暮れに文革四人組が逮捕され、文化大革命が終了した。翌年復活した鄧小平は、中断していた全国大学共通入試である高考の復活を宣言した。

 福清市の機械工場に勤務していた侯建国は、この高考復活を好機ととらえ、受験勉強に励んだ。再開第一回目の高考は1977年冬に行われ、約570万人が受験した。この時の高考の合格者は、受験者の約20分の1に当たるわずか約28万人であったが、侯建国はその難関を見事突破して、安徽省合肥市にある中国科学技術大学物理学科に入学した。

 侯建国は、中国科学技術大学で固体物理学を専攻し、1982年に学士学位を取得して、引き続き同大学の大学院に進学した。侯建国は1989年に同大学大学院を卒業し、博士学位を取得した。

留学の後、母校中国科学技術大学へ

 侯建国は、出身地である福建省に戻り、中国科学院福建物質構造研究所(福建物质结构研究所)でポスドク研究を行った、1991年には米国に渡ってカリフォルニア大学バークレー校でポスドク研究者、1993年にはオレゴン州立大学高級訪問研究者となった。

 侯建国は1995年に帰国し、母校である中国科学技術大学基礎物理学センターの教授となった。彼の研究分野は、非晶質半導体や金属薄膜の結晶化、固体表面における分子吸着、分子内部構造の観察などであった。

 2000年には中国科学技術大学の副学長となり、2003年には中国科学院院士に当選した。

 侯建国は2008年に、中国科学技術大学の学長に就任した。

中国科学院院長に就任

 侯建国は、中国科学技術大学の学長就任以降、行政的な業務を中心に活躍していくことになる。

 2015年に中国科学技術大学の学長を退任し、国務院科学技術部副部長となった。科学技術部は、中国の科学技術政策を企画立案する部局(日本の旧科学技術庁に近い組織)であり、部長は日本の国務大臣に相当し、その部長の下に4名の副部長が置かれている。

 2016年に広西チワン族自治区の中国共産党委員会副書記に転じた。

 2018年に中国科学院の筆頭副院長に就任した。中国科学院のトップは院長(国務院の部長クラスで日本の国務大臣に相当)であり、その下に複数名の副院長が置かれているが、その筆頭副院長も国務院の部長クラスとなっている。

 侯建国は2020年に、中国科学院の院長に昇格した。中国科学院中国共産党党組書記も兼務した。侯建国は郭沫若初代院長から数えて第七代目の院長であり、直前の院長は日本の東北大学への留学経験がある白春礼である。

参考資料

・中国科学院HP 院領導 侯建国
・中国科学技術大学HP  侯建国(782):肩负起实现高水平科技自立自强的时代重任
  https://aga.ustc.edu.cn/info/1197/26835.htm 
・百度百科HP 侯建国
・百度百科HP 侯建国院士:科研成就突出先后任中科大校长中科院院长曾长期从政
  https://baijiahao.baidu.com/s?id=1851711494373463452&wfr=spider&for=pc