はじめに
李方華(李方华、1932年~2020年)は、ソ連のレニングラード大学に留学し、中国科学院物理研究所で電子顕微鏡の研究を行った女性物理学者であり、大阪大学にも留学して橋本初次郎教授に師事している。

生い立ちと教育
李方華(李方华、Fanghua Li)は、1932年に英国領香港に生まれた。
父・李炯は、1911年の辛亥革命において、清朝に対抗する国民革命軍の幹部として活躍し、革命成就後は軍人・政治家となったが、その後の勢力争いに敗れて香港に移住し実業家となった。李方華は、父が実業家で香港在住の時に生まれた。
1937年の盧溝橋事件を契機に、日中全面戦争となったため、李方華の父は、妻や家族を自分の故郷である広東省徳慶に帰し、李方華も母に同行した。
李方華は1947年に、広東省広州市の女子高等中学に入り、大学への進学を目指した。1949年に高等中学を卒業した李方華は、キリスト教系の嶺南大学に入り、さらに新中国建国後には中山大学に転向した。しかし、中山大学の授業が頻繁に中止されたこともあって、李方華は翌1950年に湖北省の武漢大学に転校し、物理学を専攻した。
ソ連のレニングラード大学に留学
新中国の建国後、中国が教育や科学技術の先進国として頼ったのがソ連であった。中国政府は1951年に、ソ連の大学に留学する制度を設置した。李方華は、この制度に応募して無事合格し、半年間北京でロシア語を習得した後、1952年秋にレニングラード大学の物理学科に留学した。
レニングラード大学では、運動論的電子回折理論を研究し、1956年に同大学を卒業した。
中国科学院物理研究所へ
レニングラード大学を卒業した李方華は、帰国して北京の中国科学院物理研究所に勤務した。同研究所では、結晶学の大家であった陸学善に師事して、合金構造に関する粉末X線回折の研究を開始した。
李方華は1960年に、物理研究所の同僚であったと結婚した。范海福は、李方華の一歳年下で、1933年に広東省広州市で生まれ、1956年に北京大学化学科を卒業して、李方華と同じ年に物理研究所に入所した。以降、李方華と范海福は、電子顕微鏡を用いての結晶解析を協力して行っていった。

電子顕微鏡を研究
1960年代、李方華は中国に初めて導入された電子顕微鏡の改造を行い、単結晶電子回折構造解析の研究を行った。1960年代初頭、李方華は、開発した手法により、単結晶の構造や結晶中の水素原子の位置を決定した。
1970年代には、李方華と夫・范海福は協力して回折法と高解像度電子顕微鏡法の組み合わせを探求し、高解像度電子顕微鏡法における新たな画像処理理論と技術を生み出した。
日本の大阪大学に滞在
1982年10月、李方華は客員研究員として日本の大阪大学応用物理学科に訪問し、同大学にあった超高解像度の電子顕微鏡を用いて、中国から持参した黄河鉱とバストナジウム鉱という2つの新しい鉱物の解析を行った。
李方華は、1983年5月まで大阪大学に滞在したが、大阪大学で彼女を指導したのが橋本初次郎教授であった。
橋本初次郎教授は1921年生まれで、1945年に広島文理大学(現在の広島大学)理学科を卒業した。同大学在学中に原爆に被爆している。その後、「万能電子回析顕微鏡」を独自に開発し、1950年から京都工芸繊維大学に、1972年から大阪大学に、1985年に岡山理科大学に勤務した。橋本教授は、日本や世界の電子顕微鏡研究に貢献し、1978年には日本電子顕微鏡学会の第27代会長、1982年から4年間は国際電子顕微鏡学会の第4代会長を歴任している。
李方華は、大阪大学から帰国後の1985年に、高解像度画像強度に関する新たな実用的な近似解析式を考案して実用的な画像コントラスト理論を確立し、電子結晶学的画像処理の実用化のための理論的基礎を解明した。
そしてこの理論を用いて、結晶中のリチウム原子を初めて実験的に観察した。また、高解像度電子顕微鏡を用いて高温超伝導材料の研究にも関与した。
李方華は1992年に、国際顕微鏡学会が授与する橋本初次郎メダルを受賞した。同メダルは、電子顕微鏡学の発展と振興に尽力された橋本初次郎先生を記念し、物理学および材料科学において顕微鏡法を応用して得られた顕著な業績を挙げた科学者にて授与される。
李方華は翌1993年に、中国科学院院士に当選した。

ロレアルーユネスコ女性科学賞を受賞
李方華は2003年に、ロレアルーユネスコ女性科学賞を受賞した。
ロレアルーユネスコ女性科学賞(Prix L'Oréal-Unesco pour les femmes et la science)は、フランスの化粧品会社ロレアルと国際連合教育科学文化機関(UNESCO)が、科学における女性の地位向上を目的として、科学の進歩に貢献した優れた女性科学者を1998年から表彰している賞であり、受賞者に10万ドルの研究助成金が授与される。
アジアの女性科学者も多く受賞しており、第一回(1998年)は韓国の微生物学者・柳明姫が、第二回(2000年)は日本の分子生物学者・岡崎恒子名大名誉教授が、それぞれの国で初めて受賞している。
李方華は、第五回(2003年)の受賞であり、中国の科学者では初めての受賞であった。

晩年
李方華は2020年1月に、北京で死去した。前年末に湖北省武漢で発生した新型コロナが死因と言われている。享年87歳であった。
参考資料
・騰訊网HP 无悔的岁月 永远的芳华——追忆著名女物理学家李方华先生
https://news.qq.com/rain/a/20200127A08FQN00
・中国新聞网HP 女性“诺贝尔奖”获得者李方华和她的家人
https://www.chinanews.com.cn/n/2003-03-18/26/283534.html
・日本顕微鏡学会HP 橋本初次郎先生を追悼して
https://microscopy.or.jp/jsm/wp-content/uploads/publication/kenbikyo/52_3/pdf/52-3-116.pdf