概要

 北京理工大学(Beijing Institute of Technology)は、工学系を中心として理学や人文社会科学学科を有する大学である。中国共産党により設立された大学で、現在は国務院の工業・情報化部の傘下にあり、国防七校(国防七子)のうちの一校である。

北京理工大学の外観写真
北京理工大学 同大学HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・中国語表記 北京理工大学  略称 北理工 
・日本語表記 北京理工大学  
・英語表記 Beijing Institute of Technology 略称 BIT

(2)所管

 国務院工業・情報化部(工业和信息化部)の直轄大学である。同部は、7.の特記事項にも記すとおり、中国全土に7校の直轄大学を有している。

2. 本部の所在地

 北京理工大学の本部は、北京市海淀区中関村南大街5号の中関村キャンパスにある。北京市の中心である天安門から約8キロメートルほど北西に行ったところにあり、2キロメートルほど北には北京大学清華大学がある。

3. 沿革

 北京理工大学は、同校のHPにある下図の歴史を有している。

北京理工大学の沿革
北京理工大学の沿革  同大学HPより引用

(1)自然科学院が源流

 北京理工大学の源流は、中国共産党が長征後の1940年に陝西省延安に設置した「自然科学院」を源流としている。

 中国共産党は、1931年から大陸南部の江西省瑞金を本部としていたが、蒋介石率いる中国国民党との戦いで劣勢となって瑞金を放棄し、1934年に新たな拠点を築くため軍隊(紅軍)とともに大陸北部に移動した。追撃する国民党軍の猛攻を受けつつ、江西省・湖南省・貴州省・雲南省・四川省・甘粛省と移動し、1935年に陝西省延安にたどり着いた。この約1万3千キロメートルの徒歩移動の間に、兵力を約10万から数千人に激減させたが、中国共産党における毛沢東の指導権が確立し最終的に中華人民共和国の建国につながったことから、この移動は「長征」と呼ばれ栄光ある事業と位置付けられている。

 中国共産党は、国民党軍や日本軍との戦い中で自然科学の重要性を認識し、自然科学を担う人材養成のために自然科学院を設立した。

 中国共産党は、その後延安にあったいくつかの学校を統合して延安大学を設置し、1943年には自然科学院も延安大学に統合され、一つの学院となった。

(2)李鵬首相は自然科学院の卒業生

 自然科学院は、1945年に延安を離れるまでに約500名の卒業生を出しており、共産党の幹部や新中国の科学技術者として活躍した。
 その一人に、鄧小平や江沢民を支えた李鵬・元国務院総理がいる。李鵬は、1928年に上海に生まれ、共産党員であった両親が国民党により処刑されたため、周恩来とその妻・鄧穎超に育てられた。1941年に自然科学院に入り、水力発電技術を習得している。ソ連への留学後、国務院のテクノクラートとして活躍し、1988年に国務院総理となり、1998年まで務めている。

李鵬の写真
李鵬 百科HPより引用

(3)河北省に移転して工業専門学校に

 1946年、陝西省延安にあった自然科学院は北京に近い河北省張家口に移り、他の工業専門学校と合併して、晋察冀辺区工業専門学校(晋察冀边区工业专门学校)となった。校名の「晋察冀辺区」は、中国共産党が日中戦争期間中に華北地区に設立した根拠地を指し、現在の山西省、河北省、遼寧省、内モンゴル自治区にまたがる地域である。

 同年に晋察冀辺区鉄道学院と合併して晋察冀工業交通学院となり、1948年に晋察冀辺区工業局工業学校となった。

 1948年に華北大学が設立されると、晋察冀辺区工業局工業学校は同大学の工学院(工学部)となった。

(4)北京に移転、北京工業学院に

 1949年、華北大学工学院は解放後の北京に移転した。1950年、華北大学工学院は旧中仏大学の数学、物理学、化学の3学部を統合した。

 1952年、華北大学工学院は北京工業学院に名称を変更した。

(5)院系調整

 1952年に、中国の大学において、大規模な学部学科の再編政策である院系調整が行われた。
 北京工業学院から、航空学科が北京航空学院(現在の北京航空航天大学)に、冶金学科、鉱山学科、鉄鋼機械学科が新たに設立された北京鋼鉄工業学院(現在の北京科技大学)に移った。また、旧東北兵工専門学校の一部学科が北京工業学院に転入した。

(6)北京理工大学

 1988年、北京工業学院は北京理工大学に名称を変更した。これを機に同大学は、単一の工学専門学校から工学を主眼とし、理学、管理学、人文科学を融合させた総合大学となっていった。

4. 規模

(1)規模のデータ

 北京理工大学の規模について、具体的な数値で見たのが下表である。

 北京理工大学中国第1位の大学 
学部学生数14,848名(90位)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数14,728名(42位)中国科学院大学 57,375名詳細データ
専任教師数2,268名(40位)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算115.90億元(16位)清華大学 362.11億元詳細データ
留学生数1,157名(31位)北京大学 6,857名詳細データ

(2)キャンパス

 北京理工大学は、本部のある中関村キャンパスに加え、北京市内の西山、良郷(良乡)、広東省の珠海、河北省の懐来(怀来)、雄安の5つのキャンパスを有している。

(3)学部

 北京理工大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)について、工学、理学、管理学、経済学、文学、法学、教育学、芸術を有する総合大学である。

(4)附属医院

 北京理工大学は、附属医院を有していない。

5. 研究開発力

(1)研究開発力のデータ表

 北京理工大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
 このうち、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)、双一流学科建設数は下記(3)を参照されたい。

 北京理工大学中国第1位の大学 
SCI論文数25位中国科学院大学詳細データ
Nature Index28位中国科学技術大学詳細データ
国家重点実験室数2か所(23位)清華大学 13か所詳細データ
双一流学科建設数4学科(27位)北京大学詳細データ
NSFC面上項目予算29位上海交通大学詳細データ

(2)国家重点実験室

 北京理工大学にある2か所の国家重点実験室は、次の通りである。
・爆発科学・技術国家重点実験室
・複雑システム知能制御・決定国家重点実験室

(3)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、北京理工大学は全体で以下の4学科が選定されている。
〇理学系(1) 物理学
〇工学系(3) 材料科学・工学、制御科学・工学、兵器科学・技術

(4)NSFC面上項目予算獲得

 日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で北京理工大学は中国全体で29位である。

6. 国内および国際的な評価

 中国の国内と国際的な評価を示したのが下表である。国内では国務院教育部と中国校友会、国際では英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。また、卒業生の中での傑出科学技術人材数の校友会ランキングも、併せて示した。

 北京理工大学中国第1位の大学 
軟科ランキング13位清華大学詳細データ
校友会ランキング24位北京大学詳細データ
QSランキング世界302位  中国16位北京大学詳細データ
THEランキング世界201-250位 中国14位清華大学詳細データ
校友会傑出人材37位北京大学詳細データ

7. 特記事項

(1)国防七校(国防七子)

  国防七校とは、国務院の工業・情報化部が所管する七つの大学を指し、国防七子とも呼ばれている。七つの大学は、北京理工大学のほか、ハルビン工業大学北京航空航天大学、ハルビン工程大学、西北工業大学(陝西省西安市)、南京航空航天大学、南京理工大学である。

 国防七校を所管する工業・情報化部(工业和信息化部、Ministry of Industry and Information Technology)は、2008年の国務院機構改革で設立されたが、産業政策全般、ハイテク産業育成政策、情報通信政策などを担当している。

 工業・情報化部の管理する独立局に部局に、国家国防科技工業局(State Administration of Science, Technology and Industry for National Defense:SASTIND)があり、原子力、航空、宇宙、通常兵器、船舶、電子などの国防先端技術産業を所管しており、また「中国航天科技集団有限公司」、「中国航天科工集団有限公司」のほか、「中国航空工業集団有限公司」、「中国船舶重工集団有限公司」、「中国核工業集団有限公司」、「中国兵器工業集団有限公司」、「中国電子子科技集団有限公司」などの巨大な国営企業を傘下に有している。国防七校の各大学は、この国家国防科技工業局と密接な関係を有している。

(2)畏友・福田敏夫名大名誉教授

 北京理工大学で長らく教授を務めた日本の科学者に、福田敏夫(1948年~)名古屋大学名誉教授がいる。福田教授は私と同郷で富山県出身であり、彼が早稲田大学に入学した1967年には、当時世田谷区赤堤にあった富山県学生寮に一緒に入寮した畏友である。

北京理工大学教授を務めた福田敏夫の写真
福田敏夫教授(左から二人目)と筆者林(右から二人目)
 韓国で開催された日中韓国際会議で(2018年)

 福田教授は、早稲田大学を卒業して東京大学大学院に進学し、さらにイェール大学に留学の後、東京大学で工学博士の学位を取得した。その後、工業技術院、東京理科大学を経て、1989年に名古屋大学教授に就任した。2013年に名大を退職して名誉教授となり、現在は名城大学教授である。

 福田教授は、ロボット工学の世界的な権威として、日本だけでなく米国、中国、韓国などで活躍し、2020年にはIEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers、アイ・トリプル・イー、米国電気電子学会)の会長を務めた。同学会は、電気工学を源流とする通信・電子・情報工学とその関連分野を対象とし、これらの分野の教育的・技術的進歩を使命としている。世界160か国以上の国で40万人を超える会員を擁し、世界最大と言われる学術組織である。

 福田教授は中国との関係も深く、北京理工大学教授を務めたことなどで多くの研究者・科学者を育成し、中国最高の学術権威である中国科学院外籍院士を、野依良治(ノーベル化学賞受賞者)名大名誉教授、飯島澄夫・名城大学教授とともに、2017年から務めている。

参考資料

・北京理工大学HP https://www.bit.edu.cn/