はじめに
上海マイクロシステム・情報技術研究所(上海微系統所)は、上海市にある中国科学院の附属研究機関である。
電子科学技術、情報通信工学、超小型衛星、無線センサーネットワークなどの研究開発を行っている。
古い歴史を有するが、現在の研究テーマは最先端のものが多い。
1. 名称
○中国語表記:上海微系统与信息技术研究所 略称 上海微系统所
○日本語表記:上海マイクロシステム・情報技術研究所 以降「上海微系統所」と略す。
○英語表記:Shanghai Institute of Microsystem and Information Technology 略称 SIMIT
2. 所在地
上海微系統所の所在地は、上海市長寧区(长宁区)長寧路865号である。長寧区は上海市の中心にあり、上海虹橋国際空港から近く、区内西部の虹橋経済開発区は国際貿易センター、世界貿易センター、万都センターなどが林立するビジネス街である。また、日本人が多く居住する地区でもあり、在上海日本総領事館も長寧区にある。
3. 沿革
(1)中央研究院・工学研究所が源
1911年に辛亥革命が成功し中華民国が成立した後、袁世凱や軍閥の台頭などの混乱期を経て、1925年に国民党による国民政府が成立した。国民政府は1927年11月、近代的な科学技術や学術研究の重要さを認識し、中華民国の最高研究機関として「中央研究院」を政府直属で設立した。
翌1928年4月、蔡元培を初代の院長に選出した。蔡元培は中華民国の時代に、北京大学学長、中央研究院院長、国立中央博物館の館長などを務めた人物であり、詳しくはこちらを参照されたい。
中央研究院は同年、傘下の研究所を南京、上海、広州にいくつか設置したが、その一つが、上海に設置された工学研究所(工程研究所)であり、これが現在の上海微系統所の源である。初代所長には、庚款留学生として米国で学んだ周仁・南洋大学(現上海交通大学)機械工学科長が任命された。周仁については、下記の特記事項を参照されたい。
(2)日中戦争の混乱を避けて昆明に疎開
1937年の盧溝橋事件により勃発した日中戦争中、中央研究院傘下の研究機関は戦乱を避けて昆明、桂林、重慶等へ疎開したが、工学研究所も1938年に昆明に移転した。
1945年に日本が第二次世界大戦に敗北し、日本軍が大陸から撤退すると、工学研究所は翌1946年6月に上海に戻った。
(3)中国科学院への編入
国共内戦が中国共産党の勝利に終わり、1949年に中華人民共和国が建国され、科学技術の最高機関として中国科学院が設置された。中国科学院は発足後、これまでの中国の科学技術・学術研究の遺産ともいえる中央研究院の施設や人員の接収を行ったが、その一環で上海に戻っていた工学研究所も1950年3月に接収され、名称が中国科学院・工学実験館(工学实验馆)となった。新たな組織となったが、所長は従前通り周仁のままであった。
1953年には、名称を「冶金セラミックス研究所(冶金陶瓷研究所)」と変更した。
1959年には、セラミックス研究部門が「珪酸塩化学・工学研究所(硅酸盐化学与工学研究所)」として独立した。現在の上海珪酸塩研究所である。これを受けて、本体の名称も「冶金研究所」となった。
文化大革命中の1968年には、中国科学院から分離され人民解放軍の研究所となったが、文革中の1970年に再び中国科学院の傘下に戻り、名称が「上海冶金研究所」となった。
2001年8月、研究所の研究分野の変化に伴い、研究所の名称が現在の「中国科学院上海マイクロシステム情報技術研究所(上海微系统与信息技术研究所)」に変更された。
4. 組織の概要
(1)研究分野
上海微系統所の主な研究テーマは、電子科学技術、情報通信工学、超小型衛星、無線センサーネットワーク、モバイル通信、マイクロシステム技術、情報材料・装置などである。
(2)研究組織
①国家級の研究室・実験室
・センシング技術連合国家重点実験室(传感技术联合国家重点实验室) 後述する
・情報機能材料国家重点実験室(信息功能材料国家重点实验室) 後述する
②中国科学院級研究室・実験室
・無線センサー・ネットワーク・通信実験室(中科院无线传感网与通信重点实验室)
・テラヘルツ固体技術実験室(中科院太赫兹固态技术重点实验室)
③研究所級研究室・実験室(例示)
・先進マイクロエレクトロニクス・イノベーションセンター
・先端実験室
・超電導電子実験室
・マイクロシステム技術実験室
・ナノテク材料・機材実験室
・センシング技術実験室
(3)研究所の幹部
研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の付属研究所の場合には所長が最高責任者の場合が多い。
①謝暁明・所長
謝暁明(谢晓明)・上海微系統所所長は、1965年に江蘇省で生まれ、1985年に武漢大学物理学科で学士の学位を、1990年に中国科学院上海冶金研究所(現上海微系統所)で博士の学位を取得し同研究所の職員となった。2015年に副所長となり、2021年から所長を務めている。専門は高温超伝導の研究である。
②狄増峰・党委書記兼副所長
狄増峰(狄增峰)・上海微系統所党委書記は、副所長も兼務しており、上海微系統所のナンバーツゥである。狄増峰は、1979年に江蘇省で生まれ、2001年に南京大学基礎学科で学士の学位を取得し、2006年に上海微系統所から博士の学位を取得した。その後米国のロスアラモス研究所でポスドク研究を行い、2010年に国の海外傑出人材に当選し、上海微系統所の研究員として帰国した。2019年に副所長、2023年に党委書記となった。専門分野は、電子デバイス材料の研究である。
5. 研究所の規模
(1)職員数
2021年現在の職員総数は763名で、中国科学院の中では第26位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。763名の内訳は、研究職員が693名(91%)、技術職員(中国語で工員)が36名(5%)、事務職員が34名(4%)である。
(2)予算
2021年予算額は13億4,185万元で、中国科学院の中では第16位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。13億4,185万元の内訳は、政府の交付金が5億4,804万元(41%)、NSFCや研究プロジェクト資金が2億2,885万元(17%)、技術収入が3億366万元(23%)、試作品製作収入が3,690万元(3%)、その他が2億2,440万元(16%)となっている。
(3)研究生
2021年現在の、在所研究生総数は601名で、中国科学院の中では第30位までのランキング外の第31位である。ランキングの第30位の研究生数は617名である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。601名の内訳は、修士課程の学生が298名、博士課程の学生が303名である。
6. 研究開発力
(1)国家級実験室など
中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。上記組織の項でも述べたが、上海微系統所は2つの国家重点実験室を有している。
・センシング技術連合国家重点実験室(传感技术联合国家重点实验室):1987年に国の認可を受け、1989年から研究を開始した。この国家重点実験室は、上海微系統所が全体を統括し、同じ中国科学院の研究所である電子工学研究所、上海技術物理研究所、合肥物質科学研究院・インテリジェント機械研究所、半導体研究所、微生物研究所が、センサー開発などで協力している。上海微系統所の研究担当は、マイクロエレクトロニクス技術とマイクロナノ加工技術をベースとしたマイクロナノセンサーとマイクロシステムである。2021年現在で、正規研究員が150名、客員研究員が9名、研究生としてポスドク13名、博士学生175名、修士学生144名である。
・情報機能材料国家重点実験室(信息功能材料国家重点实验室):1991年に国の認可を受け、1995年から研究を開始した。世界銀行の融資を得ている。資源、環境、健康、安全などの分野で重要な役割を果たすと想定される情報機能材料を研究する。2021年現在で、正規研究員が112名、客員研究員が16名、研究生としてポスドク9名、博士学生160名、修士学生206名である。
(2)大型研究開発施設
中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。
上海微系統所は、この大型共用施設・共用実験施設は有していない。
(3)NSFC面上項目獲得額
国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。微系統所研究所のNSFCの獲得資金額は、中国科学院の中では第20位以内に入っておらず、ランクキング外である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
7. 研究成果
(1)Nature Index
科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022によれば、上海微系統所は中国科学院内第20位であり、貢献度を考慮したシェアで17.33となっている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
このNature Index に関し、中国の主要大学のそれと比べると高くない。中国の主要大学のNature Indexによるランキングは、こちらを参照されたい。
(2)SCI論文
上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。
(3)特許出願数
2021年の上海微系統所の特許出願数は345件で、中国科学院内で第16位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
(4)成果の移転収入
2021年の微系統所の研究成果の移転収入は、中国科学院内のランキングのランキング外である(他の研究所との比較の詳細はこちら参照)。
(5)両院院士数
中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年2月時点で上海微系統所に所属する両院の院士は2名であり、中国科学院の附属研究所のランキングではランキング外である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
○中国科学院院士(2名):邹世昌、王曦
8. 特記事項・著名な人物
(1)周仁
周仁は、冶金学者、セラミック学者であり、上海微系統所の前身である中央研究院工程研究所の所長や、その後継機関である中国科学院冶金セラミックス研究所や上海や金研究所などの所長を45年にわたって務めた。
周仁は、1892年に江蘇省江寧に生まれ、1910年に江南高等学校を卒業し、庚款留学生制度により米国のコーネル大学機械工学科に留学した。帰国後1917年に南京高等師範学校(現南京大学)の教員となり、1922年に南洋大学(現上海交通大学)に転じて機械工学科長や教務長となった。
1925年に国民政府が樹立され、同政府は科学技術振興を目指して、1927年に中央研究院を設立した。この中央研究院は、1928年上海に光学研究所を設立し、その所長に周仁が任命された。
以降、同研究所は名称を何度か変更するが、周仁は一貫して所長の任にあり、亡くなった1973年まで所長を務めている。
周仁は、中国の近代科学技術の先駆者として、冶金セラミックスの研究に長年従事した。日中戦争中の特殊鋼開発、新中国建国後のダクタイル鋳鉄開発などに成功した。
(2)江綿恒(江绵恒)
江綿恒(江绵恒)は、上海微系統所の前身である上海冶金研究所の第四代所長であり、その後、上海科技大学の学長を務めた。
江綿恒は、1951年江沢民元中国共産党総書記の長男として上海に生まれ、復旦大学を卒業後、1982年に中国科学院半導体研究所で修士号を取得した。その後上海冶金研究所に勤務の後、1986年に米国へ留学し、1991年にフィラデルフィア市にあるドレクセル大学より電気工学の工学博士号を授与された。
その後中国に帰国し、1996年に上海冶金研究所所長、1999年に中国科学院の副院長となった。
上海科技大学の学長には2014年に就任したが、当時は中国科学院上海分院院長を兼務しており、2015年に中国科学院を定年退職した。江綿恒は、2024年5月に上海科技大学学長の職を辞職した。
参考資料
・上海微系统与信息技术研究所HP https://sim.cas.cn/sy2016/
・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編