中央研究院の設置と北平研究院の設置

 中央研究院、北平研究院の設置は、辛亥革命後の混乱期を経て国民政府の時代における科学技術振興の重要な施策であった。その後の日中戦争や国共内線後を経て、中央研究院と北平研究院の資産や人員は、中華人民共和国建国後の中国科学院に受け継がれた。

中央研究院の設置(1928年)

 辛亥革命後の混乱期を経て南京で成立した国民党による国民政府は、近代的な科学技術や学術研究の重要さを認識し、中華民国の最高研究機関として「中央研究院」を政府直属で設立することとし、1928年蔡元培(元北京大学学長)を初代の院長に選出した。

中央研究院の初代院長の辞令
中央研究院の初代院長蔡元培の辞令 百度HPより引用

 同年中に傘下の研究所として、上海に物理研究所、化学研究所、工学研究所、地質研究所が、上海と南京に社会科学研究所が、南京に天文研究所と気象研究所が、広州の中山大学内に言語歴史研究所が、それぞれ設置された。

北平研究院の設置(1929年)

 国民政府内で中央研究院設置の議論をしていた際、準備委員の一人であった李石曽(元北京大学学長)が、北平(北京の改称)地域に依拠した研究機構の設立を合わせて提案し、関係者の賛同を得た。

 1929年国民政府は、北平大学(北京大学の改称)の研究機構を一部統合整理して「北平研究院」を創立した。初代の院長には、同院の設立を推進した李石曽が指名された。

 北平研究院の研究部門は気象、物理・化学、生物、人文地理、経済管理、文芸の6部門であり、物理、化学、ラジウム(後に原子学を改名)、薬物、生理、動物、植物、地質、歴史などの研究所を傘下に設けた。

 中央研究院や北平研究院は、1949年に中華人民共和国が建国された直後に設立された中国科学院に整理統合された。

(参考資料)
・中国科学院HP  http://www.cas.cn/