中国初の有人宇宙飛行成功(2003年)

 中国初の有人宇宙飛行は2003年で、楊利偉飛行士を載せた神舟5号が、酒泉衛星発射センターから打ち上げられ、地球周回軌道を14周回し、四子王旗に無事着陸した。

 新中国建国直後の宇宙開発は、核兵器・ミサイル(両弾)と人工衛星(一星)をあわせて開発する両弾一星政策を中心として進められた。1964年に原爆とミサイルが、1967年に水爆が完成し、1970年にはソ連からの技術をベースとして独自開発を加えた長征1号ロケットにより、中国初の人工衛星「東方紅1号」の打ち上げに成功した。これにより両弾一星は完成した

 両弾一星の完成により、中国は軍事技術を中心としたミサイルやロケット開発から、長征ロケットシリーズをベースとした民生用の宇宙開発にも力を入れていくことになった。とりわけ文化大革命が終了した1976年10月以降は、長征ロケットの開発がシリーズ的に進められ、民生利用のための人工衛星の開発と打ち上げが活発化した。

 改革開放政策が進展し、経済が拡大するに従い科学技術も急激に発展したことを受け、中国では1992年4月に独自の有人宇宙計画がスタートした。最初の重要な開発項目は有人宇宙船の選択であった。中国式の有人宇宙船は「神舟」と命名された。神舟の命名は、当時の中国共産党総書記であった江沢民によるといわれている。
 ソ連が1991年に崩壊し、ロシアは経済的混乱を経験することになり、中国はロシアと交渉しソユーズ宇宙船の技術提供を受けることとなった。1999年11月に建国50周年に合わせて中国初の宇宙船神舟1号の打ち上げに成功した。その後神舟2~4号により、動物などを搭載して周到に実験を繰り返し、有人宇宙飛行への準備を着々と整えた。

 2003年10月、中国人初の宇宙飛行士となる楊利偉飛行士を載せた神舟5号は、中国西北部の甘粛省酒泉市近郊に位置する酒泉衛星発射センターから打ち上げられ、21時間で地球周回軌道を14周回し、内モンゴル自治区首都フフホトから約80キロメートル北方にある四子王旗に無事着陸した。

楊利偉による有人宇宙飛行
楊利偉飛行士 百度HPより引用


 この神舟5号の打ち上げと着陸は、中国の国家の威信をかけてのイベントであり、打ち上げられた酒泉衛星発射センターには胡錦濤総書記が壮行会で挨拶を行っており、また、獅子王期の着陸の際には、楊利偉飛行士が宇宙船から地上に出た直後に、温家宝総理から祝福の電話がなされた。中国が欧州主要国や日本を追い抜き、ロシア、米国に次いで世界第3番目となる有人宇宙飛行技術を手に入れた瞬間であった。

 旧ソ連がボストークによりユーリイ・ガガーリンを打ち上げたのは1961年4月のことであることや、米国がアポロ11号によりアームストロング船長らを月へ送ったのは1969年7月であることを考えると、2003年の初有人飛行成功はかなり遅れて達成されたものである。しかし、中国の指導者や国民は熱狂的にこの成功を歓迎した。

(参考資料)
・朝日新聞HP 『中国、有人宇宙船打ち上げ 「神舟5号」、軌道投入に成功