高考の復活(1977年)

 高考の復活は、失脚していた鄧小平が文革終了後に行ったもので、これにより中国の高等教育や人材育成は正常化された。

鄧小平の大号令

 文革終了後の1977年7月に共産党副主席、国務院副首相として復活した鄧小平は、「先進国と比較して、科学技術と教育は20年遅れている。米国には120万人、ソ連には90万人の研究者がいるが、我が国には20数万人と少なく、その多くが年老いていたり病気であったりする」と述べ、世界が技術革命の新しい波に直面しているにもかかわらず中国の科学技術人材が深刻に不足しているとの認識を示した。

 そして同年8月、中国科学院、中国農業科学院、北京大学、清華大学などの学者を招集して人民大会堂で開かれた科学教育研究座談会の終了に際して、鄧小平は中断されていた高考を速やかに復活させることを宣言した。
 ちなみに、1952年に高考が開始された時の正式名称は「全国統一普通高等学校招生制度」であったが、再開された高考の正式名称は「普通高等学校招生全国統一考試」と若干変化したが、略称は「高考」と変わらなかった。

驚異的な競争率

 1977年冬に再開された高考に約570万人が受験したが、文革の影響を受けた大学側の受け入れ体制を考慮して合格者はわずか約28万人であった。さらに特例的に翌1978年の夏にも高考が行われ、やはり約610万人が受験し、合格者は約40万人であった。10年のブランクがあったため受験者の年齢の幅が大きく、16歳から30歳以上の若者が受験したという。大学の入学試験制度の回復により、中国の人材育成は健全な軌道に戻った。

高考の復活後の清華大学の学生
復活後の高考に合格した清華大学の学生  新華社 

参考資料

・百度HP 『恢复高考

(この項目 了)