はじめに
彭実戈 (彭实戈、1947年~) 山東大学教授は、金融市場におけるデリバティブ証券の価格理論を研究するための強力なツールであるバックワード確率微分方程式やフォワード・バックワード確率微分方程式の概念を提示し、2020年に未来科学大賞数学・計算機科学賞を受賞した。
生い立ちと教育
彭実戈 (彭实戈、Shige Peng) は、1947年に山東省浜州市に生まれた。父親の黄显群は、共産党軍の一員として国共戦争に参加し、1948年の済南戦で戦死している。母の彭平は、革命家の彭湃の姪で夫に従っていたが、夫が戦死したため、山東省に留まり、彭実戈を育てることになった。中国の場合、夫婦別姓が普通であるが、その子供は父の姓を名乗る。しかし、彭実戈は母・彭平の姓を名乗っている。
基礎教育は、浜州市に隣接し山東省の省都である済南市で受けた。後に数学者となる彭実戈であるが、小学生の頃は数学に全く興味を示さず、文学や詩に夢中となった。中学生の時代には体操に興じ、アスリートになりたいと思った。
16歳となった1964年に、彭実戈は済南市の済南第一中学(高等中学)に入学した。高等中学の生徒となった時期には、科学への興味が徐々に大きくなり、垂直離着陸が可能な航空機の設計についての考えを手紙にして、北京の関係する大学に送ったこともあった。
高等中学の生徒であった1966年に文化大革命が始まり、授業がほとんど無くなってしまった。1968年には、形式的に高等中学を卒業したとされ、山東省の片田舎に下放された。下放される際に彭実戈は、古本屋で手に入れたスミルノフの高等数学教程を持参し、日中は農作業に従事し、帰ってからは灯油ランプを頼りにスミルノフの教程本を熟読した。この時期にスミルノフの教程本にどうしても分からない内容があり、山東省内に王志圣という数学の素養のある若者がいると聞き、70キロメートル離れた場所にもかかわらず徒歩で会いに行き、一晩話し明かしたという。
党の推薦で山東大学へ
彭実戈は1971年に、下放での労働が模範的であったとの理由で地元山東大学入学を推薦された。
文化大革命が開始された際、大学入学のための共通入試である高考が停止され高等教育は麻痺状態になったが、毛沢東が「実務経験のある労働者および農民から新規の学生を選び、学校で数年学んだ後に生産業務に戻るべきである」と述べたことにより、各大学は1971年に新入生の登録を再開することとし、高等学校を卒業して2年以上働いた労働者、農民、兵士を募集し、共産党の推薦により入学させることとした。
彭実戈は、この政策転換の恩恵を受けたのであるが、推薦入学制度のため数学科への入学希望は聞き入れられず、物理学科に入学することになった。
双曲幾何と複素関数についての論文を作成
山東大学に入学した彭実戈は、大学在学中の三年間はほとんど図書館に通い、専攻の物理学に加え、数学の勉強に励んだ。彼が熱力学の書籍を読んでいたとき、突然、双曲幾何と複素関数についてのアイディアを思いついた。専攻ではなかったものの、この内容を論文形式で作成し、修正をくり返して一応完成させ、親しい友人に送っておいた。
山東大学を卒業した彭実戈は、当局からラジオ工場に勤務するよう命じられ、最初はラジオ工場の技術者に、続いて製造したラジオの販売員となった。
山東大学在学中に作成し友人に送った論文のコピーが、たまたま山東大学の張学銘(张学铭)数学研究所長が入手した。この論文を読んだ張所長は、彭実戈の数学的な才能を認め、当局に対して彼を山東大学数学研究所勤務とするよう要請した。
こうして、1978年に、彭実戈は、山東大学数学研究所の研究員となり、数学を勉強したいという長年の夢を実現させた。
フランスへの留学
彭実戈は1983年に、さらなる転機を迎える。山東大学数学研究所の推薦で、フランスのパリ・ドーフィンヌ大学(Université Paris-Dauphine)に留学することになったのである。同大学は、元々はパリ大学の構成校「パリ第9大学」であったが、2004年に改称し経済系のグランゼコールとして著名な大学である。
彭実戈は、パリ・ドーフィンヌ大学から数学と自動制御での博士号を取得し、さらにプロバンス大学に移って応用数学で博士号を取得した。
帰国して山東大学教授に
博士号を取得した彭実戈は、1989年に帰国し、1年間上海の復旦大学でポスドク研究を行った後、1990年に母校の山東大学教授に就任した。
彭実戈は復旦大学でのポスドク時代、フランス留学時の恩師であるバルドゥー教授と共同で、バックワード確率微分方程式(Backward Stochastic Differential Equations)やフォワード・バックワード確率微分方程式(Forward Backward Stochastic Differential Equations)の概念を提示した。
このアイディアはその後、金融市場におけるデリバティブ証券の価格理論を研究するための強力なツールとなっている。発表された当時、中国の金融市場は初期的な段階にあり、また外国の強力な証券会社が中国市場に参入を開始していた。彭実戈らは、バックワード確率微分方程式などのツールを駆使して、中国市場でのオプションや先物取引における潜在的な危機状況を把握し、山東省などの当局に積極的に情報を提供することにより、大きな破綻を免れることに貢献した。
彭実戈は、これらの貢献により数学者としての地位を確立し、2005年に中国科学院の院士に当選した。
さらに彭実戈は2020年に、未来科学大賞数学・計算機科学賞を受賞した。未来科学大賞は、香港を拠点とする未来科学賞財団が中国における優れた業績を表彰することを目的として2016年に創設した賞であり、生命科学、物質科学、数学・計算機科学の3分野がある。
参考資料
・山東大学中泰証券金融研究院HP 彭实戈 院士
https://mathfinance.sdu.edu.cn/sz/yjyjs1/psg_ys.htm
・澎湃HP 专访|未来科学大奖得主彭实戈:数学是一旦对了,到处都对 https://baijiahao.baidu.com/s?id=1677622737952668423&wfr=spider&for=pc
・新京報HP 未来科学大奖获奖者彭实戈:数学不是出题难为人,是帮人解决难题
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1687203867034442865&wfr=spider&for=pc