はじめに

 南京農業大学 (南京农业大学) は、江蘇省南京市にある教育部直属の大学であり、政府の重点大学の1つである。

 1952年の院系調整で、南京大学農学院、金陵大学農学院などが合併して成立した「南京農学院」が前身であり、1984年に南京農業大学となった。

 双一流学科の建設で、作物学、農業資源・環境学の2学科が選定されている。

南京農業大学 写真
南京農業大学  同大学HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・中国語表記  南京农业大学  略称 南农、南农大、南京农大
・日本語表記  南京農業大学
・英語表記  Nanjing Agricultural University  略称 NAU

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 南京農業大学の本部がある衛崗(卫岗)キャンパスは、江蘇省南京市玄武区衛崗1号にある。
 同大学は、この衛崗キャンパスの他、浦口キャンパスと浜江(滨江)キャンパスを有している。

3. 沿革

 南京農業大学は、南京大学農学院と金陵大学農学院の2つが、院系調整により1952年に設置された南京農学院が前身である。

(1)南京大学農学院

 南京農業大学の源の一つである南京大学農学院は、1902年に設置された三江師範学堂の農業博物科(农业博物科)に遡る。
 三江師範学堂本体は、1906年に兩江師範学堂、 1915年に南京高等師範学校、1921年に国立東南大学と名称変更をくり返したが、農学を教える学科は存続した。1927年に河海工科・上海商科・江蘇医科など8大学が統合して国立第四中山大学となった際、同大学に農学院が設置された。南京が中華民国の首都となると、1928年に国立中央大学と改称し、農学院も国立中央大学農学院となった。

 1937年に日中戦争が始まり年末に南京が占領されると、国立中央大学は戦火を避けて西部重慶市沙慈区に疎開した。日本に勝利した後、1946年に国立中央大学は南京に戻った。この時の国立中央大学は、文学、法学、理科、農学、工学、医学、教育の 7 つの学院があった。

 その後の国共内戦に勝利した中国共産党は、1949年に国立中央大学を接収して国立南京大学とした。新中国建国後の1950年に南京大学となり、農学院も南京大学農学院となった。

(2)私立金陵大学農学院

 南京農業大学のもう一つの源は金陵大学農学院である。金陵大学は、1888年に米国メソジスト監督教会が設立した匯文書院(汇文书院)を源泉とし、1910年に私立金陵大学となった。私立金陵大学は、1914年に農科を設置し、これが1916年に農林科、1930年に農学院となった。この農科設置には、カナダ人宣教師のジョゼフ・ベイリーが尽力しており、下記5.の特記事項で述べる。

 1937年に日中戦争が始まり年末に南京が占領されると、私立金陵大学は戦火を避けて西部四川省成都市に疎開した。農学院も本体の私立金陵大学と共に四川省に移った。
 1945年に日本が第二次世界大戦に敗北し日本軍が撤退した後、1946年に私立金陵大学は南京に戻り、農学院も同時に南京に戻った。
 国共内戦で中国共産党が勝利し、中華人民共和国が建国されると、外国管轄の大学であった私立金陵大学は共産党政府に接収されて公立金陵大学となり、農学院も公立金陵大学農学院となった。

(3)南京農学院を経て南京農科大学に

 1952年7月、大規模な学部・学科の再編成である院系調整が行われた。南京大学は文系と理学系の学部を中心とした大学となり、工学、農学、教育の各学部は切り離された。公立金陵大学は解体となり、各学部は、近隣の大学の関係学部に吸収された。
 農学関係は、新たに農学専門の単科大学を設立することとなり、南京大学農学院、公立金陵大学農学院、浙江大学農学院(一部)などから、南京農学院が1952年に南京に設置された。

 南京農学院は、文化大革命で大きな影響を受け1972年に江蘇省の揚州に移転を命じられたが、文革後の1979年に南京に戻っている。

 南京農学院は、1984年に南京農業大学(南京农业大学)と名称変更し、現在に至っている。

4. 規模

(1)学生数

 学生の規模は、学部学生数17,000名(主要大学中第75位)、大学院生数11,000名(主要大学中第69位)である。中国の他主要大学との比較は、こちらを参照されたい。

(2)教職員数

 大学のHPによれば、2023年時点での教職員数は約2,900人である。

(3)学部と学科

 大学のHPによれば、2023年時点での学院(学部)は20、学科数は74である。

 主な学院は、農学院、工学院、植物保護学院、資源・環境科学学院、園芸学院、動物科技学院、動物医学院、食品科技学院、経済管理学院、公共管理学院、生命科学学院、理学院、情報管理学院、草業学院、人文・社会発展学院、金融学院などとなっている。

(4)双一流学科建設

  中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、南京農業大学は作物学、農業資源・環境学の2学科が選定されている。

(5)全国重点実験室

 南京農業大学は、次の2つの全国重点実験室を有している。
○作物遺伝・種質創新利用全国重点実験室(作物遗传与种质创新利用全国重点实验室)
○食肉質量制御・新資源創出全国重点実験室(肉品质量控制与新资源创制全国重点实验室)

(5)両院院士

 南京農業大学のHPによれば、盖钧镒、万建民、沈其荣、张绍铃の4名の中国工程院院士がいる。

5. 特記事項

(1)ジョゼフ・ベイリー

 南京農業大学の源の一つである私立金陵大学の農科を設置することに尽力したのは、米国メソジスト監督教会の伝教師であったジョゼフ・ベイリーである。

ジョゼフ・ベイリーの写真
ジョゼフ・ベイリー   大重日報HPより引用 

 ジョゼフ・ベイリー(Joseph Bailie、裴义理、1860年~1935年)は、アイルランド生まれのカナダ人であり、ベルファスト大学で文学士の学位を取得し、その後神学を専攻するために米国に渡った。ベイリーは、1890年に米国メソジスト監督教会から中国江蘇省蘇州に派遣された。
 ベイリーは、光緒帝が主導した戊戌の変法で設置された京師大学堂 (京师大学堂、現在の北京大学) の教師に応募して採用され、1899年に北京に移った。さらに1910年に私立金陵大学数学科の教授に採用され、今度は江蘇省南京に移った。

 1911年に、中国河南省を中心に干ばつが発生し、多くの被災者と餓死者が出た。南京にも多くの被災者が押し寄せたため、ベイリーは大学のキャンパスへの被災者受け入れを大学幹部に了承を得るとともに、南京の紫金山にも受け入れ地を作ることを中国地方政府と合意して、これらの受け入れ地に入った避難民のためにサツマイモなどの食料確保に当たった。
 この経験からベイリーは、中国の将来にとって西欧流の農学の教育が不可欠と考え、1914年に私立金陵大学に農科の設置に奔走し、1914年に同科の設置に成功した。

 ベイリーはその後も中国各地で農業教育の実践に当たったが、病を得て米国に帰国し、1935年に亡くなっている。なお、南京大学には、ベイリーの功績を称え彼の名前を冠した「裴义理楼」があり、現在、化学科の建物となっている。

(2)梁希

 南京農業大学の源の一つである国立中央大学農学院で、長年林学科の教授を務め、中国近代林学の父と言われる科学者が梁希であり、日本に留学し東京帝国大学で博士学位を取得している。なお、国立中央大学農学院は南京農業大学となったが、林学科は南京林業大学となっている。

梁希の写真
梁希  百度HPより引用

 梁希は1883年に、現在の浙江生まれた。生まれた。梁希は1906年に留学生試験に合格し、翌1907年に日本の海軍兵学校に入学した。梁希はその後1909年に、名古屋にあった旧制第八高等学校に入学し、農学を専攻した。

 梁希は、1911年の辛亥革命の報を聞き、一旦中国に帰るが、1913年に再び日本に赴き、東京帝国大学農学部林学科に入学した。

 梁希は1916年に東京帝国大学を卒業して中国に帰国し、現在の遼寧省丹東の鴨緑江木材鉱山会社の技術者となった後、北京農業専門学校(現在の中国農業大学の前身)の教員となった。1923年には、ドイツの現ドレスデン工科大学に留学し、林産製造化学を学んだ。

 帰国した梁希は、北京農業大学や浙江大学を経て、1933年に国立中央大学農学院林学科の教授となった。その後、日中戦争の開始に伴い、西部重慶への疎開を経験している。

 梁希は、1949年に中央大学農学院林学科の教授を辞め、中華人民共和国の林垦部(森林と開墾を担当する役所)の初代部長に就任した。梁希は、1958年に75歳で亡くなった。

(3)金善宝

 中央大学農学院の著名な関係者の一人に、中国で「小麦大王」と呼ばれる農学者である金善宝がいる。

金善宝の写真
金善宝 農業農村部HPより引用

 金善宝は、1895年に浙江省で生まれ、1917年に南京高等師範学校農業専修科(現在の南京農林大学)に入学している。その後、米国のコーネル大学に留学した後、1932年に国立中央大学農学院の教授となり、日中戦争終了後の1945年には農学院の院長を務めている。より詳しい略歴はこちらを参照されたい。

参考資料

・南京農業大学HP  https://www.njau.edu.cn/main.htm
・南京農業大学アーカイブHP 裴义理 https://dangan.njau.edu.cn/info/1020/1081.htm
・大重日報HP 《先治王家港商榷书》的历史解读(下)
http://www.dfrb.cn/Article/index/aid/3610199.html