南巡講話(1992年)

 南巡講話(南巡讲话)とは、1992年春に鄧小平が中国南部の都市を視察した際に行った一連の重要な談話であり、改革開放路線の堅持が確認された。

 1989年の天安門事件後に西側諸国の経済制裁が高まったため、鄧小平が主導する改革開放路線と、「和平演変(西側が平和裏に中国の体制を覆すこと)」を警戒すべきとする保守派の路線対立が深まった。とりわけ保守派長老である陳雲が鳥籠経済論を提起し、鄧小平の改革開放路線を間接的に批判した。

 天安門事件後ほとんど引退状態にあった鄧小平であるが、1992年1月から2月にかけて武漢、深圳、珠海、上海などを視察し、相次いで重要な声明を発表した。この南巡講話の後の3月に開催された全国人民代表大会で、李鵬首相は市場経済の必要性を強調して計画経済の復活を否定し、また保守派の陳雲は「過去に有効だった方法はすでに適用できなくなった」と自己批判した。これにより、鄧小平が文革以降一貫して主張してきた改革開放路線が、天安門事件以降も継続して実施されることとなった。

南巡講話時の鄧小平
地方視察を行う鄧小平

 南巡講話で、科学技術イノベーションと教育に関係するものとして次の点がある。
・革命は生産力を解放することであり、改革は生産力を発展させることである。
・科学技術は第一の生産力であり、経済発展の速度を速めるには、科学技術と教育に頼らなければならない。

 その後、鄧小平は政治の表舞台から完全に引退し、香港返還を見ることなく1997年2月19日に亡くなった。本人は遺体の献体を望んだが、遺族の希望で実施されず、遺灰は親族によって中国の領海に撒かれた。

参考資料

・知乎HP『1992 邓小平南巡讲话全文