はじめに

 海洋研究所 は、山東省青島市にある中国科学院の附属研究機関である。海洋科学技術の総合研究機関として、海洋生物学、海洋生態・環境、海洋循環・変動、海洋地質学などの研究を行っている。

海洋研究所  同研究所HPより引用
海洋研究所の入り口看板
海洋研究所の入り口

1. 名称

○中国語表記:中国科学院 海洋研究所 略称 海洋所
○日本語表記:中国科学院 海洋研究所
○英語表記:Institute of Oceanology, Chinese Academy of Sciences  略称 IOCAS

2. 所在地

 海洋研究所本部の所在地は、山東省青島市である。

 山東省は北京市や天津市の東にあり、黄河の下流に位置する。省の東半分を占める山東半島は、渤海と黄海に突き出ており、大連や旅順がある遼東半島と相対している。春秋戦国時代には、斉や魯の国などが置かれ文化の中心であった。このため思想家の孔子・孟子・孫子などがこの地で生まれている。
 海洋研究所のある青島市は、中国有数の港湾都市であり、商工業の盛んな地である。青島市の歴史は比較的新しく、ドイツが日清戦争(1894年~1895年)後に、モデル的な植民地として街並みを整えた都市である。
 日清戦争後、ドイツはロシア、フランスと共に三国干渉を行い、清朝に恩を売った。1897年に宣教師が山東省で殺された事件を口実に、ドイツ軍は青島市が面する膠州湾に上陸し、翌1898年には膠州湾を99年間の租借地とし、ドイツ東洋艦隊の母港となる軍港を建設した。ドイツは青島の街並み、街路樹、上下水道などを整えた。
 第一次世界大戦でドイツが敗北したためドイツの権益は消滅したが、現在でも西洋風の街並みが残り、ドイツ人が持ち込んだ醸造技術を元にした青島ビールは、現在でも中国のメジャーなビールブランドの一つである。

 下の写真は、ドイツの占領期に建設された聖ミヒャエル大聖堂である。

青島市の大聖堂
青島市にある聖ミヒャエル大聖堂

 

3. 沿革

(1)源は水生生物研究所

 海洋研究所の始まりは、上海にあった水生生物研究所の一研究室として、1950年8月に山東省青島市に設置された青島海洋生物研究室である。

 水生生物研究所は、中国科学院が国民政府時代の遺産である中央研究院や北平研究院の施設・人員を接収して附属の研究所とした際に出来た研究機関の一つである。元々の前身は、1930年に南京に設置された中央研究院自然歴史博物館である。1950年2月の水生生物研究所設置に際して、北京、南京、上海にあった施設を統合して上海に本部を置いた。

(2)青島海洋生物研究室

 水生生物研究所設置の6か月後、山東省青島市に同研究所の一研究室として青島海洋生物研究室が設置された。

 この研究室が上海から離れた山東省に設置されたのは、当時山東大学教授であり世界的なレベルの生物学者であった童第周(Dizhou Tong)を主任に迎えるためであった。童第周については、特記事項で述べる。

海洋研究所内の童第周像
海洋研究所内にある童第周の銅像

(3)海洋生物研究室、海洋生物研究所

  水生生物研究所が1954年に上海から武漢に移転した際に、同研究所から独立して中国科学院の直属研究機関となり、名称を海洋生物研究室とした。

  さらに、1957年には、研究室体制を拡大強化し、名称を海洋生物研究所とした。

(4)海洋研究所

  1959年には、研究範囲を生物関係だけではなく海洋科学技術全般に拡大し、名称を海洋研究所とした。初代所長は、先の童第周が就任した。

  以降、現在までこの海洋研究所の名称で発展している。

4. 組織の概要

(1)研究分野

 海洋科学研究を専門とする総合科学研究機関であり、具体的には海洋生物学、海洋生態学・環境科学、海洋循環・変動、海洋地質学、海洋環境腐食・生物付着などの研究を行っている。

(2)研究組織

①国家級の研究室・実験室

・国家海洋腐食防護工学技術研究センター(国家海洋腐蚀防护工程技术研究中心)
・海洋生態養殖技術国家地方連合工学実験室(海洋生态养殖技术国家地方联合工程实验室)
・海洋生物製品開発技術国家地方連合工学実験室(海洋生物制品开发技术国家地方联合工程实验室)

②中国科学院級研究室・実験室

・中国科学院実験海洋生物学重点実験室(中国科学院实验海洋生物学重点实验室)
・中国科学院海洋生態学・環境科学重点実験室(中国科学院海洋生态与环境科学重点实验室)
・中国科学院海洋環流・波動重点実験室(中国科学院海洋环流与波动重点实验室)
・中国科学院海洋地質・環境重点実験室(中国科学院海洋地质与环境重点实验室)
・中国科学院海洋環境腐食・生物汚損重点実験室(中国科学院海洋环境腐蚀与生物污损重点实验室)

(3)研究所の幹部

 海洋研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の付属研究所の場合には所長が最高責任者の場合が多い。

①王凡・所長

 王凡・海洋研究所所長は、1967年に山東省青島市で生まれ、1995年までに中国海洋大学(青島市)で学士と博士の学位を取得した後、海洋研究所に入所した。その後、米国のテキサス農工大学や英国の国立海洋センターで客員研究者を務めた。2011年に海洋研究所の副所長となり、2017年には海洋研究所党委書記となった。2022年に海洋研究所所長となり、現在に至っている。専門は海洋環流動力学で、海流の変化、海面の変化などの研究である。

②王輝・党委書記兼副所長

 王輝(王辉)・党委書記は、副所長も兼務しており、海洋研究所のナンバーツゥである。王輝は、1972年に新疆ウイグル自治区で生まれ、1993年に長春地質学院で学士を、1996年にやはり長春地質学院で修士の学位を取得し、1999年に中国科学院地球物理研究所で博士の学位を取得した。2022年から中国科学院海洋研究所の党委書記・副所長を務めている。

5. 研究所の規模

 海洋研究所は、中国科学院傘下の研究所の中で、それほど大きくない研究機関である。

(1)職員数

 2021年現在の海洋研究所の職員総数は712名で、中国科学院の中では第30位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。712名の内訳は、研究職員が659名(93%)、技術職員(中国語で工員)が21名(3%)、事務職員が32名(4%)である。

(2)予算

 2021年の海洋研究所の予算額は5億6,550万元で、中国科学院の中では第30位以内に入っていない(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。5億6,550万元の内訳は、政府の交付金が3億3,826万元(60%)、NSFCや研究プロジェクト資金が1億5,333万元(27%)、技術収入が4,976万元(9%)、その他が2,415万元(4%)となっている。

(3)研究生

 2021年現在の海洋研究所に在所する研究生総数は617名で、中国科学院の中では第30位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。617名の内訳は、修士課程の学生が338名、博士課程の学生が279名である。

6. 研究開発力

(1)国家級実験室など

 中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。海洋研究所は国家研究センターや国家重点実験室を有していない。

(2)大型研究開発施設

 中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。
 海洋研究所は、この大型共用施設・共用実験施設として総合海洋科学観測船「科学」を運営している。

 「科学」は、深海探査・研究能力を備えた我が国初の総合科学研究船であり、総トン数4,000トン、耐久海里15,000海里の基本性能を備えている。中国最先端の海洋科学調査研究装置を擁し、先進的な海洋移動実験や試験プラットフォームを提供している。 2015 年 4 月に国の検査を終了し、海洋研究所が運用している。

海洋研究所の停泊基地
海洋観測船の停泊基地 海洋研究所HPより引用

(3)NSFC面上項目獲得額

 国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。海洋研究所のNSFCの獲得資金額は、2021年2,444万元(件数は40件)であり、中国科学院の中では第6位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

7. 研究成果

(1)Nature Index

 科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022によれば、海洋研究所は中国科学院内第18位であり、貢献度を考慮した論文数シェアで19.48となっている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
 このNature Index に関し、中国の主要大学のそれと比べると高くない。中国の主要大学のNature Indexによるランキングは、こちらを参照されたい。

(2)SCI論文

 上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。

 ただ、研究所によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているかを発表している。海洋研究所もその一つであり、2021 年に合計584 件のSCI論文を発表している。
 なお、1年間で584 件という数字を中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが年間でで、SCI論文を約10,000件前後発表している(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、それほど大きなものではない。

(3)特許出願数

 2021年の海洋研究所の特許出願数は116件で、中国科学院内の20位までを示した比較(こちら参照)で、ランキング外である。

(4)成果の移転収入

 2021年の海洋研究所の研究成果の移転収入は、中国科学院内の10位までを示した比較(こちら参照)で、ランキング外である。

(5)両院院士数

 中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2025年1月時点で海洋研究所に所属する両院の院士は4名であり、中国科学院内で19位までに入っていない(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

○中国科学院院士(3名):郑守仪、胡敦欣、穆穆
○中国工程院院士(1名):侯保荣 。

8. 特記事項

(1)初代所長・童第周

 海洋研究所の設立に貢献し、初代所長を務めたのが生物学者の童第周である。童第周は、世界初の魚類クローンを作製し、世界トップレベルの業績を挙げた科学者である。

童第周の写真
海洋研究所初代所長 童第周 百度HPより引用

 童第周(Dizhou Tong)は1902年に生まれ、ブリュッセル自由大学で博士学位を取得の後、1934年に帰国して、山東大学教授となった人物である。童第周は、亡くなる直前の1978年まで約20年間近くにわたって、海洋研究所所長を勤めている。また1957年から1962年までは中国科学院動物研究所の所長も兼務している。その間、1955年には中国科学院学部委員(現院士)に当選した。
 文革終了後の1978年、童第周は海洋研究所所長を辞め、北京の中国科学院本部に移り副院長に就任した。しかし、翌1979年3月に参加した浙江省杭州の集会で倒れ、同月北京で病没した。

 童第周のより詳しい記事は、こちらを参照されたい。

(2)中国科学院傘下の他の海洋関係研究所

 中国科学院の附属研究所で、海洋関係の研究所は次の3つの機関が挙げられる。

① 煙台海岸帯研究所

 煙台海岸帯研究所(烟台海岸带研究所、Yantai Institute of Coastal Zone Research)は、中国科学院、山東省、煙台市が共同で設立した研究機関であり、2009年12月に設立された。海岸地帯の環境・生態状況に焦点を当てた研究開発を行っている。全体の職員数は202名(2021年)と比較的小さな研究所である。

煙台海岸帯研究所の写真
煙台海岸帯研究所  同研究所のHPより引用

② 南海海洋研究所

 南海海洋研究所(South China Sea Institute of Oceanology)は、1959年に広東省広州市に設置された、中国科学院傘下の海洋総合研究機関である。主たる研究分野は、熱帯海洋環境力学と生態学的プロセス、近海での地質進化と石油・ガス資源、熱帯海洋生物資源の持続可能な利用と生態保護、海洋環境観測技術などである。全体の職員数は686名(2021年)であり、海洋研究所と同レベルにある。
 南海海洋研究所は、海洋観測船として「実験1号」を所有・運用している。この実験1号は、同研究所と瀋陽自動化研究所とで製作された後、2009年から運用している。総トン数は、2500トンである。

海洋観測船「実験1号」 中国科学院HPより引用

③ 深海科学・工学研究所

 深海科学・工学研究所(深海科学与工程研究所、Insutitute of Deep-sea Science and Engineering)は、を実施するため、海南省、三亜市、中国科学院が共同で2016年に、海南省三亜市鹿回頭半島に設置した深海研究機関である。職員数は236名(2021年)とそれほど大きくない。

 深海科学・工学研究所は、有人潜水船・海上作業母船を有しており、潜水船「深海勇士」、「奋斗者」、「探索1号」、「探索2号」などの母船となっている。

深海科学・工学研究所が有する母船  中国科学院HPより引用

参考資料

・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編
・中国科学院HP https://www.cas.cn/
・中国科学院海洋研究所HP https://qdio.cas.cn/
・中国科学院煙台海岸帯研究所HP http://www.yic.ac.cn/
・中国科学院深海科学与工程研究所HP https://idsse.cas.cn//