概要
中国農業科学院(中国农业科学院、Chinese Academy of Agricultural Sciences)は、中国の農業分野における基礎研究、応用研究、ハイテク研究などを任務としている。

1.名称
○中国語:中国农业科学院 略称:农科院
○日本語:中国農業科学院
○英語:Chinese Academy of Agricultural Sciences 略称:CAAS
2.所管
3.所在地
本部は、北京市海淀区中関村南大街12号にある。海淀区中関村は、北京の中心部である天安門から北東に位置し、中国のトップ大学である北京大学、清華大学や中国科学院の附属研究機関が点在するところである。農業科学院は、中関村の南に位置し、近くには北京理工大学や中国人民大学がある。
4.沿革
(1)前史
中国農業科学院の前史は、日本が1936年に山東省の青島に設立した華北産業科学研究所(华北产业科学研究所)に遡るという。
翌1937年に盧溝橋事件をきっかけとして日中戦争が始まり、北京は日本軍に占領された。華北産業科学研究所は北京に移り、さらに傀儡政権たる中華民国臨時政府の要請で、同研究所は中央農業試験場(中央农事试验场)を設置した。この中央農業試験所は華北農業試験場(华北农事试验场)と改名して、既存の農業関係の試験場を接収して華北地域の農業研究ネットワークを形成した。
日本が1945年に第二次世界大戦に敗北したことにより、華北産業科学院などは国民党政権に接収され、農業部分が北平農事試験場(北平农事试验场)、林業部分が北平林業試験場(北平林业试验场)、畜産部分が華北畜産・獣医工作点(华北畜牧兽医工作站)となった。
国共内戦を経て、1949年に北京が人民解放軍により解放されると、農業、畜産・獣医の関連部署は統合となり、華北農業科学研究所(华北农业科学研究所)となった。
(2)中国農業科学院の設立
中華人民共和国が建国後、農業を含めた諸活動は計画経済となったが、農業関連の研究機関は、華北、西北、東北、華南など各地域に分立していた。そこで、中央政府はこれらを統合し、1957年に中国農業科学院(中国农业科学院)を設置した。設立当初の直属研究機関は22であった。
初代の院長は中国の近代農学の基礎を築いた丁穎(丁颖、Ying Ding、1888年~1964年)であり、副院長は小麦大王と呼ばれた金善宝(Shanbao Jin、1895年~1997年)である。

(3)文革期の混乱
文化大革命が始まると、中国農業科学院も大きな影響を受けた。革命派が同院に駐在し、多くの職員が下放させられた。
また、新中国建国後、林業関連研究部門は別の組織である中国林業科学院となっていたが、革命派の指示で農業科学と林業科学を同一組織で実施することとなり、1970年に中国農林科学院(中国农林科学院)となった。
(4)林業科学が再度分離
1976年末に四人組が逮捕され、文化大革命が終了した。これを受けて、農業科学と林業科学の再分離が議論され、1978年に中国農業科学院と中国林業科学院が分離された。
5.組織・規模
(1)使命
中国農業科学院は、中国における総合的かつ最高峰の農業科学学術・研究機関であり、農業分野における主要な基礎研究、応用研究、応用研究、ハイテク研究の任務を担っている。
なお中国において、中国農業科学院以外の農林水産関係研究機関として、農業農村部所管の研究機関である「中国水産科学研究院(中国水产科学研究院)」と「中国熱帯農業科学院(中国热带农业科学院)」、および国家林業・草原局所管の研究機関である「中国林業科学研究院(中国林业科学研究院)」がある。
(2)職員数
2025年現在の総職員数は11,207名である。このうち、6,670名が正規職員で、専門技術者は6,281名となっている。
(3)本部組織
中国農業科学院のトップは、院長(国務院の副部長(日本の副大臣)クラス)であり、中国共産党委書記、副院長などが指導部となっている。
本部機構として、科技管理局、人事局、財務局、発展建設局、国際合作局、成果転化局、重大任務局などが置かれている。
(4)下部組織
中国農業科学院は下部組織(院属単位と呼んでいる)として、北京市内に16、北京以外に20の組織を有している。具体的には、次の通り。
○北京市内にある組織(16)
・研究生院(下記(5)参照)
・作物科学研究所
・植物保護研究所(植物保护研究所)
・野菜花卉研究所(蔬菜花卉研究所)
・農業環境・持続可能発展研究所(农业环境与可持续发展研究所)
・北京畜産獣医研究所(北京畜牧兽医研究所)
・蜜蜂研究所
・飼料研究所(饲料研究所)
・農産品加工研究所(农产品加工研究所)
・生物技術研究所(生物技术研究所)
・農業経済・発展研究所(农业经济与发展研究所)
・農業資源・農業地域計画研究所(农业资源与农业区划研究所)
・農業情報研究所(农业信息研究所)
・農業品質標準・試験研究所(农业质量标准与检测技术研究所)
・食品・栄養発展研究所(食物与营养发展研究所)
・中国農業科学技術出版有限公司(中国农业科学技术出版社有限公司)。
〇北京市外にある組織(20)
・農地灌漑研究所(农田灌溉研究所)
・中国水稲研究所(中国水稻研究所)
・棉花研究所
・油料作物研究所
・麻類研究所(麻类研究所)
・果樹研究所(果树研究所)
・鄭州果樹研究所(郑州果树研究所)
・茶葉研究所(茶叶研究所)
・ハルビン獣医研究所(哈尔滨兽医研究所)
・蘭州獣医研究所(兰州兽医研究所)
・蘭州畜産獣医薬研究所(兰州畜牧与兽药研究所)
・上海獣医研究所(上海兽医研究所)
・草原研究所
・特産品研究所(特产研究所)
・環境保護科学研究観測所(环境保护科研监测所)
・成都沼気科学研究所(成都沼气科学研究所)
・南京農業機械化研究所(南京农业机械化研究所)
・烟草研究所
・農業ゲノム研究所(农业基因组研究所)
・都市農業研究所(都市农业研究所)。
(5)研究生の受け入れ
中国の主要な研究機関では、大学の学士学位を取得した人たちを大学院生として受け入れて、修士学位や博士学位を取得させる制度が存在している。これらの学生を研究生と呼ぶ。
中国農業科学院も研究生を受け入れている機関の一つであり、1979年に研究生院を設置し、1981年から研究生を受け入れている。
2024年末の数字で、研究生の在籍者数は6,862名、うち博士学生2,214名、修士学生4,130名、留学生295名などとなっている。
7.特記事項
(1)四つの近代化に含まれる「農業」
歴代の中国の王朝では、民の食糧確保が統治の正当性を示す重要な要素であり、食糧確保のための農業技術の改革改良は国の大きな課題であった。中華人民共和国建国後も状況は変わらず、国民を飢えさせないことが大きな国家目標であり、それを支える農業技術の振興は重要な政策であった。
四人組逮捕により文革が終了し、1977年7月に復活した鄧小平副首相は、翌1978年3月に北京で開催された全国科学大会で、「農業、工業、国防、科学技術の近代化を実現し、我が国を近代的強国とすることは、我が国人民の歴史的使命である」と強調した。

これにより、四つの近代化(四个现代化、直訳で四つの現代化とも呼ばれる)が国家目標となり、そこに工業、国防、科学技術と並んで農業が含まれた。
四つの近代化は、その後1982年12月に制定された新憲法(82憲法:八二宪法)に条文化された。具体的には、「(前略)工業、農業、国防、科学技術を近代化して、我が国を高度に文明的で高度に民主的な社会主義国家として建設する」と規定されている。
(2)中国科学院などとの相違
中国において、英語の組織名にAcademyが付く重要な機関として、中国科学院、中国工程院、中国社会科学院の3機関がある。これら3機関は、米国科学アカデミー、英国王立協会、フランス学士院などと同様に、中国における優れた科学者を顕彰する機能を有しており、院士あるいは学部委員を選任している。
一方農業科学院は、英語名にAcademyが付くが、上記3機関と違って科学者顕彰機能は有していない。
参考資料
・中国農業科学院HP https://caas.cn/index.htm
・維基百科HP 中国农业科学院

