はじめに
江雷(Jiang Lei、1965年~)生物模倣界面材料科学全国重点実験室主任は、藤嶋昭東大名誉教授に師事し、生物模倣材料の研究で成果を挙げ、日経アジア賞などを受賞した化学者である。

生い立ちと教育
江雷(Jiang Lei)は1965年に、中国東北部の吉林省長春市に生まれた。父親は同市にある名門大学・吉林大学の化学科の教授であり、母親は化学の専門雑誌の編集者で、両親ともに知識人であった。
江雷が1歳の頃に文化大革命が始まり、約10年間続いて小学校の高学年となった1976年末に終息したため、教育や科学技術にとって冬の時代であった文化大革命の負の影響は少なかったと考えられる。
江雷は1979年に、東北師範大学附属中学(高級中学であり、日本の高等学校に相当)に入学した。三年後の1982年には、父が教授をしていた吉林大学の物理学科に入学した。
日本に留学、藤嶋昭教授に師事
江雷は1987年に吉林大学を卒業して学士学位を取得し、引き続き同大学大学院に進学して物理化学を専攻した。1990年には修士学位を取得し、引き続き吉林大学大学院で博士学位の取得を目指した。
1992年に、江雷にとって大きな転換点が訪れる。吉林大学は日本の東京大学と共同学位プログラムを有しており、江雷はこのプログラムに選ばれて、東京大学に留学する機会を得たのである。留学先となったのは、東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻であり、担当の教官は藤嶋昭教授であった。藤嶋教授は、光触媒に係る本田-藤島効果を発見した著名な科学者であり、後に詳しく述べる。
江雷は、藤嶋教授に大きな影響を受け、1994年に中国にいったん戻って吉林大学から博士学位を取得の後、再びポスドクとして藤嶋研究室に戻って研究を続行した。
帰国し、生物を模したプログラムで成果
江雷は、1996年に財団法人・神奈川科学技術アカデミー(現在の神奈川県立産業技術総合研究所)の研究員となり、「光電界面相転移制御」プロジェクトのリーダーとして研究を続行した。
江雷が関心を持ったのは、生物模倣技術(バイオミメティックス、Biomimetics)による材料研究である。生物模倣技術は、生物の構造や機能などを観察・分析し、新しい技術につなげる研究である。
江雷は、ドイツのハンブルグで開催された走査型トンネル顕微鏡の国際学会に出席した。学会に出席した研究者と食事をしていた際、ある研究者が「池に浮かぶハスがなぜいつも美しく咲いているのか。この原理が解明できれば面白い」とつぶやいたことが、江雷のその後の研究に大きな影響を与えた。
江雷は、1999年に中国政府が進める「百人計画」に選ばれて帰国し、北京にある中国科学院・化学研究所の職員となった。
帰国してからも、日本で研究していたバイオミメティックスの研究を続行した。ドイツの学会に参加した際の何気ない会話の中に出てきた「ハスの超撥水性:水に触れてもハスの表面は濡れず、自然に水滴となって汚れを絡め取りながら転がり落ちる性質」の原理を解明し、これを材料開発に活かしたいと考えた。
多くの実験を積み重ねた後、江雷のチームはついにハスのハイテク構造についてのモデルを解明し、2001年に専門科学誌に発表した。これは、防水や防汚などの特性を有する新材料への応用が期待される画期的な発見であり、江雷が世界の科学界に飛び出した瞬間であった。
このハスのハイテク構造モデルの発見以降、アメンボの脚、蚊の複眼、クモの糸、サボテンなどの生命システムの微細構造とその特性に係る研究で、次々に成果を挙げていった。
日経アジア賞受賞
江雷は2008年に、北京航空航天大学化学・環境学部の学部長となった。
2009年には、中国科学界の栄誉である中国科学院院士に当選した。
江雷は2016年に、日本経済新聞が授与する日経アジア賞の科学技術部門を受賞した。受賞理由は、「生物模倣研究の世界的な第一人者。ハスの葉、クモの巣、魚のウロコなどから『超はっ水』の機能を解明。研究成果から生まれた材料は700隻以上の船舶に使用されるなど、世界の産業に大きく貢献 している。」であった。
日経アジア賞は、日本経済新聞社の創立120年を記念して、1996年に設立された賞である。その後、2021年に日経アジアアワードとなった。同賞は、アジアの発展に寄与した人たちに贈られる賞である。これまでに同賞を受賞した科学者のうち、このHPで取り上げた科学者は、袁隆平、楊煥明、高福、王貽芳の4名である。

江雷は、2022年に中国科学技術大学ナノ科学技術学院院長となり、2025年には「生物模倣界面材料科学全国重点実験室」の主任となって、現在も研究を続けている。
恩師・藤島昭教授
江雷の恩師は、既に述べたように藤嶋昭教授である。藤嶋教授は、中国とも関りが深く、筆者も良く存じ上げている方であるので、ここで簡単に紹介しておきたい。

藤嶋昭東大名誉教授は、1942年に愛知県に生まれ、1971年に東京大学より工学博士の学位を取得し、東大教授、神奈川科学技術アカデミー理事長、東京理科大学学長などを歴任した。学術的には、藤嶋教授が大学院生時代の1967年に、指導教官であった本多健一東大教授とともに発見した光触媒反応に係る「本多-藤嶋効果」で有名であり、これにより日本国際賞などの数々の栄誉に輝いおり、またノーベル化学賞受賞候補者に挙げられている。2017年には、文化勲章も授与されている。
藤嶋教授は中国の科学界との関りも深い。東大時代などを含めて多くの留学生や研究生を自らの研究室に受け入れ、江雷など優れた研究者がその後帰国して中国科学界をけん引している。また、中国の科学技術全般に深い興味を持ち、筆者も在籍した科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのセンター長を務めている。中国でも、藤嶋教授は畏敬の念を持って処遇されており、中国科学院の外国人院士の一人となっている。
新型コロナが世界で蔓延していた2021年夏に、中国の関係者から訪中するように依頼された。当時の中国の新型コロナ防御態勢は厳しく、中国で尊敬されている藤嶋教授であっても空港周辺ホテルでの長期間隔離の例外とならない旨、事前に告げられた。しかし、藤嶋教授は全く厭わずに中国に赴き、平然と隔離義務をこなしたのち、出迎えた弟子の研究者たちに笑顔で対面したという。
参考資料
・知乎HP 江雷院士丨从荷叶、鱼鳞、仙人掌中吸取科研灵感,师法自然… https://zhuanlan.zhihu.com/p/609741556
・日経アジアアワードHP 歴代の受賞者 https://nikkeiasiaaward.org/jp/pastwinners/index.html
・サイエンス・ポータル・アジア・パシフィック(SPAP) HP 縁遇恩師
https://spap.jst.go.jp/china/experiences/exchange/downloads/r_fujishimalabo.pdf

