はじめに

 王貽芳(1963年~)中国科学院高エネルギー物理研究所所長は、中国の高エネルギー物理を牽引する科学者で、広東省にある大亜湾ニュートリノ実験などを主導している。ブレークスルー賞や日経アジア賞などの国際賞も受賞している。

王貽芳の写真
王貽芳 百度HPより引用

生い立ちと教育

 王貽芳(王贻芳、Yifang Wang)は、1963年に江蘇省の南京に生まれた。

 王貽芳は、地元南京の中学校に通った。中学校で物理が好きであった。他の分野と比較して、科学や生物は記憶中心で面白くなく、数学は興味を持ったものの自分の生涯をかける分野ではないと考えた。13歳の時に文化大革命が終了しており、王貽芳はそれほど文革の悪影響を受けなかった。

 王貽芳は、1980年に地元の有名大学である南京大学の物理学科に入学した。

スイスのCERNに留学

 南京大学卒業直前の1985年5月、王貽芳は大きな転機に遭遇する。中国系米国人で1976年のノーベル物理学賞を受賞したサミュエル・ティン(丁肇中)MIT教授が、CERNのL3で働く若手研究者を募集しているとの情報を南京大学の関係者から聞き、王貽芳は上海に赴いてティン教授に会い、見事採用されたのである。
 CERN(欧州原子核研究機構)は、スイスのジュネーヴ郊外でフランスとの国境地帯にまたがって位置する世界最大規模の素粒子物理学の研究所である。またL3は、大型電子陽電子衝突型加速器(LEP)にある4 つの大型検出器のうちの 1 つで、1989年に運用が開始され、2000 年11 月に停止されている。

 王貽芳は、CERNのL3のグループリーダなどを務めた後、1991年にイタリアの国立核物理研究所(INFN)の研究員となった。そして、イタリアのフィレンツェ大学から博士の学位を取得した。

 王貽芳は、博士取得後の1992年に米国に渡り、サミュエル・ティン教授のいたMITでポスドク研究を行った。1996年には、スタンフォード大学の物理学科の助手として採用された。

百人計画で中国に帰国

 王貽芳は、2000年に中国政府の百人計画に当選し、翌2001年に中国科学院高エネルギー物理研究所の研究院として帰国した。
 百人計画は、中国科学院により1994年から開始された外国に就労していた科学技術人材の帰国奨励政策であり、王貽芳が当選した2000年には中国科学院の政策から中国政府全体の政策となっていた。

 帰国した王貽芳が取り組んだのが、北京市内の西郊外にある北京電子陽電子衝突型加速器(BEPC)北京分光器 III (BES III) の設計、開発、運用および物理研究である。

 続いて王貽芳は、大亜湾ニュートリノ実験計画に取り組んだ。大亜湾は広東省深圳市に位置し、フランスのアレバ社製の原子炉2基からなる発電所であり、ここで素粒子の実験を行うものである。王貽芳はここでの実験の指揮を執り、新しいニュートリノ振動モードを発見した。この実験は、2012 年にサイエンス誌によって世界の科学的進歩トップ10の1つに挙げられた。

大亜湾ニュートリノ実験装置 中国科学院HPより引用

内外の賞を受賞

 大亜湾での実験成果は高く評価され、王貽芳と彼のチームは内外の賞を受賞していく。

 王貽芳は2014年に、陸錦標(Kam-Biu Luk)と共に、米国物理学会が授与するパノフスキー賞を受賞した。受賞理由は、「ニュートリノ混合行列のシータ13角度の最初の決定的な測定結果をもたらした大亜湾実験のリーダーシップに対して」であった。

 王貽芳は2015年に、日本の日経新聞社が主催する日経アジア賞を受賞した。受賞理由は「素粒子ニュートリノで大きな課題として最後に残っていた物理的数値を世界で最初に突き止めた実験の提案者」であった。

 2016年には、王貽芳と彼のチームは、国家自然科学賞一等賞を受賞した。

 同じく2016年に、王貽芳と陸錦標と大亜湾原子炉ニュートリノ実験チームは、基礎物理学ブレークスルー賞を受賞した。
 ブレイクスルー賞は、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ夫妻らがスポンサーとなって設立された賞であり、日本人では2013年に山中伸弥京都大学教授、2017年に大隅良典東京工業大学特任教授が、それぞれノーベル賞受賞前に生命科学分野でこの賞を受賞している。中国系では盧煜明(2021年)、バージニア・リー(2020年)、シャオウェイ・チュアン(2019年)、ジェジュアン・チェン(2019年)が生命科学分野を受賞している。

 王貽芳は、2019年に陸錦標と共に、未来科学大賞を受賞した。
 未来科学大賞は、香港を拠点とする未来科学賞財団が中国における優れた業績を表彰することを目的として2016年に創設した賞であり、生命科学、物質科学、数学・計算機科学の三分野である。

高エネルギー物理研究所長として活躍中

 王貽芳は、2011年に中国科学院の高エネルギー物理研究所の所長に就任し、現在もその任にある。現在は、広東省江門市開平に位置する江門地下ニュートリノ実験(JUNO)や、円形電子陽電子衝突型加速器 (CEPC) での実験を推進している。

 私(林)が数年前に北京郊外の同研究所を訪問した際、短時間であるが王所長と面会している。極めて穏やかな紳士的な方であり、この分野での日中間の協力を強化することについて熱心に話されていた。

参考資料

・中国科学院高能物理研究所HP http://sourcedb.ihep.cas.cn/zw/zjrc/yjy/200910/t20091012_2543361.html
・中新社 东西问 专访中国科学院院士王贻芳:做科研不要太在乎一时得失,需看一辈子的积累
https://m.newsduan.com/static/content/TW/2023-07-26/1133768930449458107.html
・APSのHP 2014 W.K.H. Panofsky Prize in Experimental Particle Physics Recipient
https://www.aps.org/programs/honors/prizes/prizerecipient.cfm?last_nm=Wang&first_nm=Yifang&year=2014
・日経アジア・アワードHP https://nikkeiasiaaward.org/jp/pastwinners/index.html