はじめに
陰和俊(阴和俊、Yin Hejun、1963年~)は、山西省出身の電磁波・マイクロ波研究者であり、現在は行政官・政治家に転身し、国務院・科学技術部部長(日本の国務大臣・旧科学技術庁長官に相当)の職にある。

生い立ちと教育
陰和俊(阴和俊、Yin Hejun)は、1963年に山西省古交市に生まれた。山西省は、北京市や河北省の西にあり、北に内モンゴル自治区、南に河南省がある。
ネット上には陰和俊の幼いころや少年時代の記事はない。陰和俊が3歳となった1966年に文化大革命が始まり、12歳の1976年に終了しているので、下放などの強制労働は経験していないと想定される。
1976年10月に四人組が逮捕され、翌1977年に復活した鄧小平は高等教育の立て直しを進め、全国大学共通入試である高考を復活させた。陰和俊は、その2年後の1979年に高考を受験し、太原工学院(現在の太原理工大学)に入学した。16歳での入学であった。
1983年に太原工学院を卒業した陰和俊は、助教となって引き続き同校に留まった。
1986年に陰和俊は、西安電子科技大学の大学院に入学し、無線物理学専攻により1989年に修士学位を取得した。その後、再び母校・太原工業大学(現在の太原理工大学)に戻り、数学力学系の講師となった。
中国科学院の電子研究所へ
1992年に陰和俊は、博士学位取得のため北京にあった中国科学院・電子学研究所(現在は宇宙航空情報イノベーション研究院の一部となっている)に研究生として入所し、電磁波・マイクロ波を専攻した。
1995年に博士学位を取得した陰和俊は、引き続き電子学研究所に留まり、研究を続行しした。彼の専門分野は、電波伝搬、電磁場理論、マイクロ波技術、マイクロ波リモートセンシング、マイクロ波通信、特殊マイクロ波機器などに関する研究である。
1999年に陰和俊は、電子学研究所の副所長となり、2001年には同研究所の所長兼中国共産党委員会書記となった。
行政官への転身
2006年に陰和俊は、中国科学院本部のハイテク研究・発展局(高技术研究与发展局、現在の战略高技术研究局)の局長となった。彼はこれ以降、研究者としてのバックグラウンドを活かし、行政官(中国では政治家でもある)として活躍していく。
2008年には、中国科学院の副院長となった。
2015年には、国務院の科学技術部の副部長(副大臣)となった。
2017年には北京市の副市長、2018年には天津市中国共産党委員会副書記となった。
2020年には中国科学院に戻り、中国科学院全体のナンバーツゥである筆頭副院長(国務院部長クラス、日本の国務大臣級)となった。
科学技術部長に就任
陰和俊は2023年に、国務院の科学技術部の部長(国務大臣)に就任した。科学技術部は、国務院の組成部門(日本の各省に相当)の一つであり、中国の科学技術政策の企画立案を担当する日本のかつての科学技術庁に近い組織である。

参考資料
・科学技術部HP 阴和俊 https://www.most.gov.cn/zzjg/bld/yhj/
・百度HP 阴和俊
・百度HP 中央任命!211校友,任科技部部长! https://baijiahao.baidu.com/s?id=1780773859557184201


