幹細胞 は、もともと身体に存在する「体性幹細胞」、胚(受精卵)から培養して作る「ES細胞」、人工的に作製される「iPS細胞」の3種類がある。再生医療とは、ケガや病気などによって失われた機能を幹細胞により元どおりにすることを目指す医療である。

1.幹細胞研究・再生医療の政策動向

 中国は、「国家科学技術イノベーション第13次五か年計画」の中で、「幹細胞とトランスレーショナル研究」と呼ばれるイニシアチブを開始した。その前の第12次五か年計画において、幹細胞研究に約30億人民元を投資しているが、今回のイニシアチブではその額は大幅に増加していると考えられる。

 また2016年には「健康中国2030」を策定し幅広い健康サービス産業の育成強化を図ることとしたが、その一環で国際競争力のある健康医療観光地を創り出すという目標を設定した。中国の最南部にある海南島が対象となって、同島が医療専攻区として指定され未承認薬の早期使用が可能になっている。

 2018年には、中国初の幹細胞治療の専門病院である中国幹細胞集団海南ボアオ附属幹細胞医院が同島に開業した。ボアオは海南島にある中国有数の複合リゾート地の地名で、毎年ボアオ・アジア・フォーラムが開催されることでも有名である。同医院はトップレベルの層流無菌病室を100室設置し、年間1千件を超える造血幹細胞移植を実施する計画である。今後同島に、幹細胞研究の成果を臨床で実用化する国家レベルのプラットフォームの建設も予定されている。

2.幹細胞研究・再生医療の動向

 中国に幹細胞研究を行う研究室が多数存在するが、研究の中心はやはり北京であり、そのうちでも北京大学中国科学院動物研究所が重要である。後者の周琪研究員(現在中国科学院副院長)らはiPS細胞に由来するマウスを作製し、iPS細胞が多能性を持つことを証明して、これは世界に高く評価されている。

周琪と筆者
周琪研究員(当時、現中国科学院副院長、写真右)と林


 北京以外では中国科学院上海生命科学研究院、中国科学院広州生物医薬・健康研究院が幹細胞研究の拠点とされる。

 このような体制の下、中国の幹細胞関係の論文の数は飛躍的に伸びている。10年ほど前は中国全体の論文数で、米国はおろか日本、ドイツ、英国などの後塵を拝していたが、現在は欧州諸国や日本を追い抜き米国に近づいている。特に中国は体性幹細胞研究の論文が多く、順位の上昇に大きく寄与したと思われる。
 最近の主なトピックをネットから拾うと、南京農業大学でブタの幹細胞を用いて筋肉細胞の培養肉を作出したこと(2019年)、中国科学院動物研究所傘下の国家重点研究室でサルのES細胞組み込んでキメラブタを誕生させたこと(2019年)、昆明理工大学でヒトとサルの細胞が混在したキメラ胚を長期培養したこと(2021年)、サルのES細胞から作出した胚を雌ザルの子宮に導入して妊娠初期反応を示させたこと(2023年)等がある。
 かつては実験系や動物の種類を少し変えて外国の研究を追随するものが多かったが、次第にオリジナリティのある研究が増えてきている。特に中国は霊長類等の実験動物が潤沢に提供される環境にあるため、諸外国に比べ有利な環境にはある。一方、人に近い動物で研究を行うことによる倫理的問題が生じる可能性もある。

 幹細胞を用いたヒトへの治療、すなわち再生医療について、ES細胞やiPS幹細胞の臨床研究についての全体像を把握しているわけではないが、少なくとも2017年には鄭州大学第一附属病院でパーキンソン病や加齢黄斑変性の治療が始まっている。

 世界では米国、EU、日本等から10種類以上の幹細胞製剤が発売されているが、中国ではまだ1つも販売に至っていない。企業として国内で有力なのは、「中源協和(VCANBIO CELL & GENE ENGINEERING)」と「漢氏聯合(Health & Biotech)」の2社である。国家薬品監督管理局・薬品審査評価センターは、幹細胞製剤の関係で受理している製品19種類のうち、両社から各3種類ずつ製品の申請を受理している旨公表している。ただ申請年を見ると、2社の製品それぞれ1種類は2018年であるが、残りの17種類は全て2014年であり、幹細胞製剤の臨床研究に大きな進展がないことが判る。

 なお幹細胞バンクは中国全体で6つあり、うち5つを科学技術部が支援している。特に中国科学院動物研究所には中国初の臨床級幹細胞バンクが構築され、中国の幹細胞分野の研究の規範化・標準化が推進された。2017年には中国初の幹細胞汎用基準が発表され、さらに2019年には中国初の胚性幹細胞(ES細胞)の製品基準が発表された。国際的にも、2022年には中国が先導した初の幹細胞国際基準「ISO 24603」が制定され、多能性幹細胞の培養、生物学的特性、品質コントロール等が示されている。

3.違法な幹細胞治療の横行

 北京大学の鄧宏魁博士らは、HIV感染を伴った急性リンパ性白血病の患者に対しゲノム編集したヒトの造血幹細胞の移植治療を世界で初めて行っている。その一方で無認可での幹細胞治療は昔から行われてきた。

 2012年4月のネイチャー誌で、胎児のへその尾から採取した幹細胞を用いて高額で未承認の治療を行うクリニックが中国各地に広がっているとの報告がなされた。一部のクリニックは幹細胞の注射でアルツハイマー病や自閉症の症状が改善したと宣伝していたが、同誌は「治療効果が期待できないだけでなく、深刻な副作用のおそれもある」とする専門家の見方を紹介して注意を呼びかけた。
 治療を受けたとする患者の体験談によると、アルツハイマー病治療では1回当たり60万円から100万円の注射を4回から8回実施するとのことであった。自閉症の治療の場合には、種類が異なる幹細胞を用いて500万円近い出費を求めるケースもあった。アルツハイマー病の専門家は注射された幹細胞が体内で数日生きるかどうかも不明だとし、また自閉症の専門家は幹細胞で自閉症が改善するとの根拠はなくがんや自己免疫疾患を引き起こす可能性があるとしている。治療後、急性及び慢性の合併症や死亡につながるケースもある。

 幹細胞療法では、細胞の変異が制御不能になり最終的に腫瘍化を引き起こす可能性がある。このため多くの国では、幹細胞療法は厳格な臨床試験を経て薬物規制当局が販売を承認する前に安全かつ効果的であることを証明する必要がある。中国も国際動向にも配慮する姿勢を見せ、2007年に国際幹細胞学会(ISSCR)に加盟したうえで、国家衛生健康委員会や国家薬品監督管理局などが規制体制の確立を目指し努力している。特に中国では多様な希少疾患の患者をターゲットにして各種再生医療の臨床試験が増加していく可能性が高く、そのような基準の制定や遵守の姿勢を見せることは国家戦略に叶うものと考えられる。

参考文献

○中国の幹細胞研究・再生医療全般
・D. D. Butler (2012) “China’s stem-cell rules go unheeded”, Nature; Vol.484, 150
・Editorial (2012) “Buyer beware”, Nature; Vol.484, 141
○幹細胞培養肉
・「中国の科学者、筋肉幹細胞による「培養肉」を開発」AFP BB News(2019年11月24日)(○サル細胞ブタ誕生
・「サルの細胞を持つブタが中国で誕生し、数日間、生存していたことが明らかに」(2019年12月13日)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/post-13608.php
○ヒトとサルのキメラ胚培養
・「人とサルの細胞混在「キメラ胚」を長期培養・・・生命倫理の面で懸念の声」読売新聞オンライン(2021年4月16日)https://www.yomiuri.co.jp/science/20210415-OYT1T50292/
○ISO幹細胞基準
・「中国の先導で世界初の幹細胞国際基準を制定・発表」人民網日本語版(2022年9月27日)http://j.people.com.cn/n3/2022/0927/c95952-10152215.html
○幹細胞臨床研究
・「中国で初となる幹細胞臨床研究プロジェクトが始動」人民網日本語版(2017年4月7日)
http://j.people.com.cn/n3/2017/0412/c95952-9201920.html