はじめに
イータン・チャン(1955年~)は、文化大革命の荒波に翻弄されるもなんとか北京大学を卒業し、恩師の計らいで米国留学を果たす。米国でも不運に遭遇しつつも、優れた論文を発表して米国数学界で頭角を著した。
チャンの劇的な半生は、ドキュメンタリー映画「张益唐与孪生素数猜想、Counting from Infinity: Yitang Zhang and the Twin Prime Conjecture」 として公開されており、中国でも有名人となっている。
チャンの専攻分野は、数学でも理論的な数論であり、ノーベル賞の可能性はない。
知識人家庭に生まれる
イータン・チャン(Yitang Zhang、張益唐、张益唐)は1955年に、父・張以進は清華大学で電気工学を教える教師、また母は政府の職員という、いわゆる知識人家庭に生まれた。ただ父・張以進は、若い時代に上海で地下政治活動を行っていたとの理由で共産党から観察処分を受けていたため、張益唐は両親が生活する北京ではなく祖母が住んでいた上海で育った。
神童ぶりを発揮
イータン・チャンは、幼いときから神童ぶりを発揮し、周囲を驚かせた。小学校に上がる前には、地理が好きだったことから世界各国の首都を暗唱できた。小学校に入ってから、祖母から貰ったお小遣いで、「十万個のなぜ(十万个为什么)、全八巻」の中の「数学」の巻を買い求め、数学に関心を移した。小学校の3年で9歳の時に、ピタゴラスの定理の証明を自分で発見した。さらに、ゴールドバッハ予想やフェルマーの最終定理を知り、数論に大きな興味を持った。
文化大革命の嵐に遭遇
イータン・チャンが11歳となった1966年に文化大革命が開始され、父親らは革命派の批判の対象となり苦難の日々を過ごした。
文革の暴力的な状況が少し収まった1968年、13歳となったチャンは祖母と一緒に住んでいた上海を離れて北京に行き、清華大学附属中学に入学した。清華大学附属中学は、中国全土でも屈指の名門中学の一つであるが、文革の紅衛兵組織を最初に立ち上げた中学であったため、当時はほとんど授業にならなかった。
落ち着いていた文革の暴虐が、その後再びチャンの家庭に牙をむく。今度は、下放(上山下郷運動)という名の僻地での強制労働である。チャンの父と母は別々の土地に下放された。
チャンは、一年通った清華大学附属中学を中退し、母の下放の土地である湖北省に自ら赴いて、母と共に強制労働に従事した。もちろん、数学も含めた教育は全く受けられない状況であった。
文革が再び落ち着き、下放から解放された母とチャンは、湖北省から船で長江を下り、上海の祖母の家に戻った。その後、チャンは北京に戻るが、父親の過去の経歴を文革の革命派がとがめていたことから、中学校や高校で学ぶことが出来なかった。チャンは、その間も、書物により数学などを独習していた。
文革が終了し、北京大学に入学
四人組が逮捕され、文革が終了したのが1976年の暮れである。復活した鄧小平が真っ先に推進したのが、大学の新入生を募集し選抜するための全国統一試験である「高考」の復活であった。
イータン・チャンは22歳となっており、通常の時代であれば既に大学を卒業する年齢であったが、復活した高考に果敢に挑戦し、復活後2回目となる1978年の高考で、名門北京大学への入学を果たした。ちなみに、1977年および1978年の高考は、長いブランクの後に行われたため、18歳から30歳以上まで多くの希望者が高考受験に殺到し、合格率は1977年で28万人/570万人と約5%、1978年で40万人/610万人と約7%と、驚異的に高い競争率であった。
チャンは、1982年に北京大学数学科を卒業して学士号を取得し、さらに1984年に数学を専攻とする修士号を取得した。
恩師の計らいで米国へ留学
北京大学でのイータン・チャンの優秀な成績を見て、指導教官・潘承彪および北京大学学長・丁石孫(偶然数学者であった)は米国への留学を強く勧め、インディアナ州のパデュー大学への奨学金付きの留学が決まった。
チャンは1985年に、パデュー大学大学院に入学し、中国系で台湾出身の莫宗堅(莫宗坚、Tzuong-Tsieng Moh)教授を指導教官として研究を行い、1991年に博士号を取得した。テーマはヤコビアン予想に関するものであった。
苦難の日々
博士号を取得したイータン・チャンであったが、ここで再び苦難の日々が始まる。当時はソ連の崩壊に伴い、ソ連圏の優秀な数学者が大挙して米国に押し寄せたため、数学関係者の就職難が発生していた。さらに、パデュー大学での大学院生活の中で指導教官・莫宗堅と不仲になったため、博士論文提出は許可されたが、博士号取得後の就職活動でアカデミックポストに対する推薦状が貰えなかった(なお莫教授は、張益唐は自分のところに推薦状の発出を頼みに来なかったと述べている)。
友人の中には、アカデミックポストではなく、金融関係かコンピュータ関係で職を探したらとアドバイスするものもいたが、チャンはこのアドバイスを受け入れず、大学から姿を消して不遇な生活を続けることになった。十分な住み処もなく車で生活したこともあったし、中華料理の配達員やモーテルの雑役係で食いつないだこともあった。
米国在住の北京大学卒業生が張益唐の窮状を知り、サンドウィッチ専門店のサブウェイを開店する別の北京大学卒業生に頼み込んで同店の会計係を斡旋してくれたため、ようやく普通の生活が出来るようになった。
1999年に、チャンが友人のインターネットに係わる特許申請を手伝い、その際のチャンによるアルゴリズム解析が極めて優れていたことから、友人はニューハンプシャー大学の知人にチャンを紹介したところ、チャンはニューハンプシャー大学の数学を教える非常勤の教師に採用された。レベルの低いポストではあったが、博士号取得から8年後にようやく訪れたアカデミックな世界への復帰であった。
大逆転の論文執筆
イータン・チャンは、2001年にリーマン予想に関する論文を発表し、一部から注目を浴びた。しかしそれから10年以上、チャンは論文を発表しなかった。
ところが、チャンは2013年に突如、米国数学会を驚かす論文を発表した。チャンは、2013年4月に数学論文誌である「Annals of Mathematics」に双子素数予測に関する論文を提出した。論文レフリーのチェックは、従来であれば長期間を要するが、この論文については担当レフリーがその新規性と重要性から数週間でチェックを終え、2013年5月21日に公表された。チャンは、既に48歳になっていた。
賞賛の声を受けるとともに数々の国際賞を受賞
双子素数予想の論文は、関係者に驚きを持って迎えられ、直後にNature などに取り上げられた。所属していたニューハンプシャー大学は、この論文発表を受けて、イータン・チャンを直ちに数学部の正教授に昇進させた。
チャンは2013年に、オストロフスキー賞を受賞した。オストロフスキー賞は、バーゼル大学などの国際審査員により審査され授与される数学賞である。長年バーゼル大学の教授であったアレクサンドル・オストロフスキー(Alexander Ostrowski)に由来する賞である。
チャンは2014年に、コール賞数論部門を受賞した。コール賞には代数部門と数論部門があり、過去6年間に北米の数学誌に掲載された最も優れた論文の著者に対して、米国数学会から贈られる賞である。
チャンは同じく2014年に、ショック賞を受賞した。ショック賞は、スウェーデン人のロルフ・ショックの遺志により創設された賞であり、「論理学・哲学」「数学」「視覚藝術」「音楽藝術」の4部門がある。
故国中国に錦を飾る
イータン・チャンは、双子素数予測の論文発表後の2013年8月に、中国北京に帰り、多くの関係者から熱烈な歓迎を受けた。チャンは、自らを米国留学に導いてくれた元北京大学学長の丁石孫や修士課程の恩師・潘承彪を訪問し、久しぶりの再会を喜び合った。また、清華大学、中国科学院、浙江大学、南方科技大学などで講演を行った。
2014年には、台湾のアカデミー機関である中央研究院の院士に選出された。
2015年には、中国系でフィールズ賞受賞者の丘成桐の推薦で、カリフォルニア大学のサンタバーバラ校の教授となった。
参考資料
・Quanta Magazine HP "Unheralded Mathematician Bridges the Prime Gap" https://www.quantamagazine.org/yitang-zhang-proves-landmark-theorem-in-distribution-of-prime-numbers-20130519/
・University of California, Santa Barbara HP https://www.math.ucsb.edu/people/yitang-tom-zhang
・Tzuong-Tsieng Moh ”Zhang, Yitang’s life at Purdue(Jan1985-1991” https://www.math.purdue.edu/~ttm/ZhangYt.pdf
・Annals of Mathematics ”Bounded gaps between prime” https://annals.math.princeton.edu/2014/179-3/p07
・Wilkinson, Alec. “The Pursuit of Beauty”. The New Yorker (February 2, 2015). https://www.newyorker.com/magazine/2015/02/02/pursuit-beauty
・大海捞针: 张益唐与孪生素数猜想 Counting from Infinity: Yitang Zhang and the Twin Prime Conjecture (2015) https://movie.douban.com/subject/26314915/
・澎湃新闻HP 赵振江. 数学家张益唐前传:小时候爱看《西游记》,自学陈景润. 梁佳 (责任编辑) https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_1368125