はじめに

 チーフェイ・ウォン(1948年~)は台湾出身で、2014年に糖鎖化学の業績によりウルフ賞化学部門を受賞しており、ノーベル化学賞が期待される生化学者である。また、理化学研究所のチームリーダを兼務するなど、日本とも関係が深い。

翁啓恵の写真
翁啓恵 百度HPより引用

生い立ちと教育

 チーフェイ・ウォン(Chi-Huey Wong、翁啓恵、翁啟惠)は、1948年に台湾の中部の都市である嘉義市に生まれた。

 この嘉義市にあった嘉義農林学校は、日本が台湾を統治していた1931年に夏の甲子園大会に出場し、決勝まで勝ち進んだが、愛知県の中京商業に敗れ準優勝となった。この時の嘉義農林の活躍は、2014年に台湾で「KANO 1931海の向こうの甲子園」というタイトルで映画化された。

 ウォンは、地元の小学校を経て、南部・台南市の中学校(中高一貫校)を卒業し、1966年に首都・台北にある国立台湾大学農芸化学科に入学した。1970年には同大学を卒業し、農芸化学の学士号を取得した。 

米国に留学、スクリップス研究へ

 チーフェイ・ウォンは、大学を卒業して兵役に服した後、1971年から国立台湾大学と中央研究院で助手として勤務した。そして1977年に国立台湾大学の生物化学研究所から修士号を取得した。

 その後ウォンは米国に留学し、MITで有機化学を専攻し、1982年に博士号を取得した。

 博士号を取得したウォンは、ハーバード大学で短期間ポスドク研究を行った後、1983年にテキサスA&M大学に助教授(Assistant Professor)として採用され、1986年に同校の准教授(Associate Professor)、1987年に教授に就任した。

 1989年には、カリフォルニア州のサンディエゴに本拠地を持つスクリップス研究所に移り、化学・生化学の教授となった。スクリップス研究所は、世界最大の民間の非営利生物医学研究組織であり、研究や運営に関わる2,700人のスタッフが所属している。なお、カリフォルニア大学サンディエゴ校に属するスクリップス海洋研究所は別組織である。

糖鎖の研究で成果

 チーフェイ・ウォンは、糖鎖化学、とりわけオリゴ糖と糖タンパクの合成に関する化学合成法の開発で成果を挙げた。
 糖鎖は各種の糖が鎖のように長くつながった物質であり、細胞の表面に木の枝のように張り出し、侵入してきた菌やウイルスを感知するアンテナ機能などを持つ。従来、構造が複雑なため研究に必要な糖鎖の大量合成が「実現不可能」とされてきた。

 ウォンは1992年に、従来の化学合成に酵素反応を組み合わせて糖鎖の大量合成を可能にする技術を確立した。さらにウォンは1999年に、こうした反応を短時間で促進する技術も開発した。
 これにより各種の実験・検査に必要な糖チップや糖たんぱく質の合成が可能になり、ワクチン開発や製薬への応用にも道を開いた。

ウルフ賞などを受賞

 チーフェイ・ウォンは、これらの成果により次々に著名な賞を受賞していく。

 1994年にIUPAC(国際純正応用化学連合)の国際炭水化物賞(International Carbohydrate Award)を受賞した。

 2012年には、日経アジア・アワードを受賞した。

 そして2014年には、化学分野での最高賞の一つであるウルフ賞化学部門を受賞した。
 ウルフ賞は、ドイツ生まれの発明家のリカルド・ウルフが1975年にイスラエルに設立したウルフ財団によって授与される賞であり、受賞分野は農業、化学、数学、医学、物理学、芸術の6部門である。
 受賞理由は、「糖鎖と糖タンパク複合体のプログラム可能で実際的な合成法の開発への貢献(for numerous original contributions to the programmable and practical synthesis of complex carbohydrates and glycoproteins)」であった。これにより、ウォンはノーベル賞受賞に近い科学者の一人となった。

 さらに2021年には、米国のロバート・A・ウェルチ財団(Robert A. Welch Foundation)が授与するウェルチ化学賞を受賞している。この賞も著名な賞であり、翌2022年に同賞を受賞した米国の女性科学者キャロライン・ベルトッツィ(Carolyn Ruth Bertozzi)は、同年秋にノーベル化学賞を受賞している。 

台湾に戻り中央研究院院長に

 チーフェイ・ウォンは2003年、当時台湾中央研究院院長であった李遠哲から強い要請を受けて、中央研究院のゲノム研究センターの所長を兼務した。そして2006年には、李遠哲の後任として中央研究院院長に就任した。

 ウォンは、中央研究院の院長時代の2016年3月に、スキャンダルに巻き込まれた。浩鼎事件と呼ばれるものであり、米国で設立され後に台湾の会社となったバイオベンチャー「浩鼎(OBI Pharma, Inc.)」を巡る株の取引による不正利得を疑われたのである。

 ウォンは、事件が表面化した当時米国に滞在していたが、疑いを持たれたことに深く失望し台湾の総統に対して院長の辞任を求めた。当初は慰留されたものの、最終的に2016年5月に院長を退任した。

 翌2017年には裁判が開かれ、審議の結果一審の士林地方裁判所の判決は無罪であった。検察側は控訴せず、ウォンの無罪が確定した。

日本との関係

 チーフェイ・ウォンは、日本とも関係が深い。既に、日経アジア・アワードを受賞したことは述べたが、1991年から1999年まで、理化学研究所の先端糖鎖研究グループのチームリーダを兼務している。また、2008年から2011年までは理化学研究所の外部評価委員も務めている。

 ウォンは、中央研究院院長を退任の後も、中央研究院のゲノム科学研究センターやスクリップス研究所で活発な研究活動を行っている。

参考資料

・スクリップス研究所HP Chi-Huey Wong, PhD https://www.scripps.edu/faculty/wong/
・台湾中央研究院HP https://academicians.sinica.edu.tw/index.php?r=academician-n%2Fshow&id=2
・日経アジア・アワードHP 歴代の受賞者 https://nikkeiasiaaward.org/jp/pastwinners/index.html
・ウルフ賞HP Chi-huey Wong https://wolffund.org.il/chi-huey-wong/
・ウェルチ財団HP Dr. Chi-Huey Wong https://welch1.org/awards/welch-award-in-chemistry/recipients/dr-chi-huey-wong