はじめに
唐本忠(1957年~)香港中文大学(深圳)理工学院長は、日本の京都大学への留学経験のある高分子化学者で、凝集誘起発光(AIE)の研究で成果を挙げ、2017年に国家自然科学賞一等賞を筆頭者として受賞している。
生い立ち
唐本忠(Benzhong Tang)は、1957年に湖北省銭江市に生まれた。父は食品加工工場の工場長を務め、母は専業主婦であった。子供は6人いて、唐本忠は5番目だった。大家族のため家庭は貧しかった。
唐本忠は、小さい頃から読書が好きで、特にインクの匂いが大好きだった。小学1年生となったときに手にした教科書のインクの匂いが、今でも記憶に新しいという。
彼は、ある日書店に行き、8銭で漫画の本を購入した。それを読もうとしたところで父に見つかり、厳しく叱責された後、書店に返すよう命じられた。これに懲りた唐本忠は、古本屋の親父さんと親しくなり、そこから本を借りてよく読んだ。小説、雑誌などの他、科学関係の図書も借り、これが現在の研究者としての興味につながった。
文化大革命に翻弄される
この時代に育った人たちは皆、1966年に開始され1976年末まで続いた文化大革命に翻弄されており、唐本忠も例外ではない。唐本忠は、文革が開始された1966年で9歳であり、小学校の3年生前後であった。文革の影響は北京から遠い地まで及んでおり、唐本忠はこの時期学校の授業をほとんど受けておらず、以降中学校や高校の授業もほとんどなかった。
唐本忠は1974年に一応高校を卒業し、卒業後はいわゆる下放政策により湖北省の田舎に行って、河川の浚渫工事を手伝った。日中の重労働で疲れ、寝るところに帰っても電気もない生活であったが、ランプを頼りに読書に励んだ。
2年後の1976年に唐本忠は、機械修理工場の工員にスカウトされ、湖北省の省都で大都市の武漢に移動した。
その年の暮れに四人組が逮捕され、復活した鄧小平が1977年に大学共通入試である高考を復活させた。
高考の復活を知った唐本忠は、猛勉強を開始した。夜に道路脇の街灯を頼りに勉強していると知った工場の上司は、同じく高考受験を目指していた工員たちと一緒に勉強できるよう、従業員の古い家を借りてくれた。
復活一回目の高考は1977年12月に実施された。唐本忠は、同じ工場に勤務していた他の数百人の若者と共に受験し、見事合格した。試験後、合格して身体検査に臨んだ同工場の工員は、唐本忠を含めて3名であった。
唐本忠は1978年に、広東省広州にある華南理工大学に入学し、高分子科学・工学を専攻し、1982年に同大学より学士の学位を取得した。
京都大学へ留学
華南理工大学で成績優秀であった唐本忠は、公費による日本留学生に選抜され、大連外国語大学で日本語の勉強を行った後、1983年4月に京都大学大学院に入学し、高分子化学を専攻した。京都大学での指導教官は、東村敏延教授と増田俊夫助教授であった。
京都大学に入学した唐本忠は、当時の日本と中国の大学における研究レベルの違いに愕然とする。日本の学生のレベルは非常に高く、中国の大学の教師のレベルを遥かに凌駕していると感じた。
ここから、唐本忠の猛勉強が再び始まる。高分子化学の基礎はモノマーやポリマーの合成にあると考えた唐本忠は、当時合成で世界レベルにあった東村研究室の技術を何とか自分のものとするため、毎晩研究室で最後まで居残って後片付けをして帰る役目を買って出た。この努力により唐本忠は、研究室の先生や同僚から合成の達人と評価されることになった。
1985年に修士の学位を、1988年に博士の学位を、それぞれ京都大学から取得した。
博士を取得した唐本忠は、株式会社ネオスの滋賀県にある中央研究所で短期間働いた後、1989年にカナダに移り、トロント大学でポスドク研究を行った。当時カナダでは世界的な経済悪化の状況を受けて研究資金の獲得が厳しく、5年間のカナダ滞在中に研究室を4回渡り歩くことになった。唐本忠は、当時はつらい思いもしたが、それがものの見方を多角化してくれたと語っている。
香港に帰国
唐本忠は1994年に、当時英国領であった香港に戻り、香港科技大学化学系助教授(助理教授)に就任した。既に37歳となっており、現在活躍する中国の著名な科学者としては、極めて遅い学者生活の開始であった。
唐本忠はその後、香港科技大学で准教授(副教授)、教授と順調に昇進した。自らの研究室を持ち、ポリマーなどの設計と合成、新しい高分子材料の構築などに取り組んだ。
AIE色素を世界で初めて合成
唐本忠は2001年に、世界で初めて凝集誘起発光(Aggregation Induced Emission; AIE)現象を示す色素を合成した。合成した色素は、テトラフェニルエチレン(tetra-phenyl ethylene; TPE)と呼ばれ、現在AIE を示す代表的な蛍光色素(AIE luminogen; AIE-gen)となっている。
AIE を示す蛍光色素は、希薄溶液に分散している状態では無蛍光であるが、固体などの凝集した状態になると強い蛍光を発するようになる。
そこで、この蛍光色素をフィルム基盤や薄膜中に固定化したものは、高い蛍光量子収率をもつ有機 EL素子、優れた光エネルギー変換効率をもつ色素増感型有機太陽電池の実用化など、新しい有機発光材料・高次光機能性材料として期待されている。
さらに、医療分野においても、タンパク質などを AIE 色素で標識することで、凝集過程や環境応答を蛍光顕微鏡などで容易に観察することが可能となる。
このAIE色素の合成には、京都大学での経験が重要な役割を果たしたと、唐本忠は後に述べている。
彼は京大時代に研究室に最後まで居残り有機合成の技を磨いたことはすでに述べたが、ある時ヘキサフェニルシロール(HPS)を開環重合によりポリマーとすることを考え、研究室で合成を繰り返した。残念ながら目的は達成されず、代わりに予期せずHPSの大きな結晶を作り出した。その日夜遅く、研究室を出るため研究室内の電気を消すと、突然HPSの結晶が緑色に美しく光った。
京大在学中は、ポリマー合成で頭がいっぱいであったため、そのまま放っておいたが、2001年に有機発光ダイオードの研究に刺激され、研究室員にHPS分子の発光特性を研究させるように指示したことが上記AIE色素の合成につながった。
唐本忠は2017年に、この凝集誘起発光(AIE)の研究により国家自然科学賞一等賞の栄誉に輝いた。自らが筆頭者であり、浙江大学、北京理工大学などのスタッフとの共同受賞であった。
また、国家自然科学賞一等賞受賞前の2009年に、中国科学院の院士に当選している。
香港中文大学(深圳)理工学院長に就任
唐本忠は2021年に、長年勤務した香港科技大学を辞め、対岸の広東省深圳市にある香港中文大学(深圳)の理工学院長に就任した。
同校は、深圳大学と香港中文大学の協力協定を基礎として2014年に開設された比較的新しい大学であり、国際的視野と中国の伝統に重きをおき、国際的な雰囲気の中で中国語と英語の教育環境、リベラルアーツ教育、新しい分野横断的な教育を特徴としている。
唐本忠は、同校で引き続き、有機合成の研究を進めている。
参考資料
・百度HP 経済网記事 科学之光照亮人生路—记中国科学院院士唐本忠 https://baijiahao.baidu.com/s?id=1703673306363420148&wfr=spider&for=pc
・香港中文大学HP https://sse.cuhk.edu.cn/faculty/tangbenzhong
・千葉工業大学山本研究室 凝集誘起発光における非断熱遷移ダイナミクスの本質を捉える
https://yamlab.net/2205280523/
・東京工業大学HP 凝集誘起発光とは何か?その本質が明らかに https://www.titech.ac.jp/news/2020/047135
・中国国務院科学技術部HP 2017年度国家自然科学奖获奖项目目录 https://www.most.gov.cn/ztzl/gjkxjsjldh/jldh2017/jldh17jlgg/201801/t20180103_137371.html
・香港中文大学理工学院HP https://sse.cuhk.edu.cn/