はじめに
フェン・チャン(1981年~)MIT教授は、現在ライフサイエンスで最先端の技術となっているゲノム編集技術を開発した一人である。
残念ながら、彼のライバルである他の研究者2名が2020年のノーベル化学賞を受賞したため、当面彼の同賞受賞はないと考えられるが、特許取得などでは先行しており、また非常に若いことから、将来新しい発見・貢献によりノーベル賞受賞を期待しうる科学者である。
生い立ち
フェン・チャン(Feng Zhang、張鋒、张锋)は1981年に、中国北部で北京を取り囲んでいる河北省の省都石家荘市に生まれた。両親とも、コンピュータプログラマーであった。
チャンが11歳となった1993年に、大学の教員をしていて中国を離れることができなかった父を中国に残し、母と共に米国アイオワ州に移住した。プログラマーの母であったが、移住当初はモーテルの雑役のような仕事しか無かったという。
フェン・チャンは、同州デモインで現地校のセオドア・ルーズベルト高校(中高一貫校)に通った。中学の時代、土曜日午後に開かれていた分子生物学の強化プログラムに参加し、生物学の面白さに目覚めた。担当インストラクターの勧めで映画ジェラッシクパークを見たが、その映画では恐竜とカエルのDNAを融合させて恐竜を復活させていた。両親の影響でプログラミングに興味を持っていた張鋒は、それを見て生物学もプログラム可能なシステムであると思った。
高校3年生の2000年には、インテル・サイエンス・タレント・サーチ(現在のリジェネロン・サイエンス・タレント・サーチで、高校3年生を対象とした科学コンテスト)に参加し、ウィルスの遺伝学の研究成果で見事三等賞となり、奨学金5万ドルを獲得している。
ハーバード大学とスタンフォード大学で学ぶ
フェン・チャンは2000年に、ハーバード大学に入り、化学と物理を学び、合わせて江蘇省出身の女性教授・シャオウェイ・チュアン(庄小威)の下でインフルエンザ・ウィルスの研究を行い、Nature structural & molecular biologyに論文を発表している。
2004年にハーバード大学から学士号を取得したチャンは、西海岸のスタンフォード大学大学院に移った。同大学ではダイセロス(Karl Deisseroth)教授の下で、光遺伝学の研究を行った。ちなみに、ダイセロスは2023年度の日本国際賞の受賞者の一人であり、また2018年に京都賞を受賞している。
ゲノム編集技術の開発
スタンフォード大学を卒業して博士号を取得したフェン・チャンは、2009年にハーバード大学に戻り、同大学ソサエティのフェローとなった。チャンは、動物に遺伝子を簡単に挿入する手法の開発に関心を持った。この時点でZFNやTALENなどの技術が発表されており、チャンはこれらの研究を行った。
ハーバード大学ソサエティの任期が終了した2011年に、張鋒はマサチューセッツ工科大学(MIT)とブロード研究所に採用された。この時期にフェン・チャンはCRISPR/Cas9を知り、この酵素を遺伝子の編集に使用する研究を開始した。2012年に、カリフォルニア大学バークレー校のダウドナとスウェーデンのシャルパンティエにより、CRISPR/Cas9を用いたゲノム編集の論文がサイエンス誌に掲載された。フェン・チャンらはこの論文を読み、自分たちが開発している手法と違うとして研究を続行し、2013年1月にその成果をサイエンス誌に掲載した。
これら2つのチームによるCRISPR/Cas9を用いたゲノム編集技術は、ライフサイエンス分野に画期的な変化をもたらすこととなった。
ノーベル賞受賞争いと特許争い
フェン・チャンとダウドナの2つのチームは、重要な国際賞を幾つか獲得するとともに、ノーベル賞を激しく争った。例えば、ダウドナとシャルパンティエは2017年に日本国際賞を、一方のフェン・チャンは2018年に慶應医学賞をそれぞれ受賞している。また3名とも、ノーベル賞の前哨戦とも言われるガードナー国際賞を2016年に同時受賞している。
最終的には、サイエンス誌に論文を公表した時点がダウドナらが約半年間早かったために、ダウドナとシャルパンティエは2020年にノーベル化学賞を受賞した。
ノーベル賞受賞ではとりあえず決着がついたものの、ゲノム編集技術の特許については複雑な状況が続いている。論文投稿と並行して、二つのチームとそれぞれCRISPR/Cas9のゲノム編集技術を米国特許庁に特許出願を行った。こちらの方は、ノーベル賞と違いチャンのチームが優位な立場となっている。
これらの経緯については、佐藤真輔氏による次の2つの記事にまとめられているので参照されたい。
・「ゲノム編集~ノーベル賞と特許を巡る争い・その1」
・「ゲノム編集~ノーベル賞と特許を巡る争い・その2」
今後の研究活動に期待
残念ながら、ノーベル賞は別のチームに受賞されてしまったが、特許では優位にある。フェン・チャンは、非常に若く、また2013年のCRISPR/Cas9の手法開発後もブロード研のチームを率いて、新しい成果を次々と生み出している。
ノーベル賞は同じテーマで二度の授賞はないが、少し離れたテーマやより発展したテーマでの授賞は過去にもあり、現に2001年に野依良治博士と共にノーベル賞を受賞したシャープレスは、昨年2022年に再びノーベル化学賞の受賞している。
フェン・チャンが、研究成果を積み上げ、再びノーベル賞候補となることを期待したい。
参考資料
・STAT HP "Meet one of the world's most groundbreaking scientists. He's 34" January 27, 2017.
https://www.statnews.com/2015/11/06/hollywood-inspired-scientist-rewrite-code-life/
・Zhang Lab HP https://zlab.bio/
・MIT HP https://mcgovern.mit.edu/profile/feng-zhang/
・Broad Institute HP https://www.broadinstitute.org/bios/feng-zhang