はじめに

 李遠哲(1936年~)は、台湾出身者として初めてノーベル賞を受賞した。李遠哲は日本国民として生まれ、小さいときには日本語で教育を受けている。大学院時代の恩師の一人も日本人であり、また現在においても日本とのつながりが深い科学者である。

李遠哲の肖像写真
李遠哲

生い立ちと教育

 李遠哲(Yuan Tseh Lee、李远哲)は1936年に、台湾新竹市で生まれた。新竹市は台北に近く、現在は台湾のシリコンバレーと呼ばれるハイテク産業都市となっている。

 当時台湾は日本の植民地であり、李遠哲は1943年に新竹市新興国民学校に入学し、野球や卓球に熱中するスポーツ少年であった。

 3年生の時に日本が敗戦となり台湾は中華民国の台湾省となって、李遠哲は1949年に、台湾省の新竹中学(日本の中学・高校をカバーしている)に入学した。新竹中学でもテニスや吹奏楽(トロンボーン)に熱中している。

国立台湾大学と国立清華大学を卒業

 1955年には、首都台北市にある国立台湾大学(旧台北帝国大学)の化学工学科に入学した。途中で化学科に転科し1959年に同大学を卒業した李遠哲は、今度は国立清華大学の大学院に進んだ。

国立清華大学の写真
台湾新竹市にある国立清華大学

 国立清華大学の前身は1911年に北京で創立された清華学堂であり、国共内戦の結果中国共産党に接収され、大部分の教員は新中国の清華大学に残ったが、一部の教員などの関係者は蒋介石と共に台湾に移り住んだ。
 1953年から米国アイゼンハワー大統領のイニシアティブにより米国による関係国への原子力協力が開始され、台湾にも原子炉が米国から供与されることとなった。そのため原子力研究の受け皿が必要となり、1955年に大陸から台湾に逃れてきた清華大学の関係者は新竹市に原子科学研究科(大学院)を有する「国立清華大学」を再興したのである。

 李遠哲は、この国立清華大学で日本の濱口博東京教育大学教授(後述する)の下で北投温泉の北投石の放射性同位体成分の研究を行い、1961年に修士号を取得した。

カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得

 李遠哲はその後1962年に米国に留学し、カリフォルニア大学バークレー校でアルカリ原子の光励起イオン化現象など光化学を研究し、1965年に博士号を取得している。

 博士号を取得した李遠哲は、ハーバード大学でポスドク研究を行った後、1968年にシカゴ大学に移り、1971年に准教授、1973年に教授に就任した。1974年には、母校であるカリフォルニア大学バークレー校の化学系の教授に転任し、米国籍を取得している。

ノーベル化学賞受賞

 1986年に李遠哲は、化学反応素過程の研究によりノーベル化学賞を受賞した。当時は米国籍でもあったが、中華民国出身としては楊振寧李政道に次ぐ受賞であり、台湾出身者としては初めての栄誉であった。

台湾に戻り、台湾の科学技術を育てる

 李遠哲は1994年にバークレーの教授を辞し、また米国籍も放棄して台湾に帰国し、台湾最大の研究所である中央研究院の院長に就任した。

 中央研究院は、新中国建国前の国民政府時代の1928年に設置されたものが母体であり、初代院長は蔡元培である。
 日本敗戦後の国共内戦で、中央研究院付属研究所の一部蔵書などが台湾に持ち出されたが、人員も含めて大部分は大陸に残り、新中国建国後に中国科学院に再編された。その後1954年に、台湾に逃れた一部の関係者により中央研究院が再建された。

 李遠哲は、中央研究院の院長に就任するや米国での研究経験やノーベル賞受賞者としての名声を活かし、同研究院の国際化を積極的に推進した。2006年に退任するまでに、海外の優れた研究者の招聘、海外で活躍する台湾出身の研究者の帰国推進等、同研究院を国際的に通用する研究機関へ発展させた。

 李遠哲は現在88歳と高齢であるが、引き続き台湾にあって後進の指導に当たっている。

日本との関係

 李遠哲は日本との関係も深い。小学校の低学年までは日本人であったわけであり、9歳までは日本語で授業を受けている。

 国立清華大学大学院での指導教官は、東京教育大学の濱口博教授である。

李遠哲を指導した濱口博東京大学名誉教授
李遠哲を指導した濱口博教授

 濱口教授は三重県出身で、東京帝大理学部化学科の木村健二郎教授の下で博士号を取得し、東京教育大学などで教鞭を取った後、1964年に東京大学理学部教授となっている。

 筆者である林は、1969年に東京大学工学部原子力工学科に進学し、そこで理学部の協力講義であった濱口博教授による放射化学の授業を受けている。1単位だけの授業であったので、それ程教授と親しく接する機会はなかったが、それでもダブルの背広をおしゃれに着こなした濱口教授の悠揚迫らざる姿は現在でも記憶にある。
 李遠哲博士のノーベル賞受賞に関して英文で記された略歴の中に濱口博教授の名前を発見し、大変驚いた次第である。
 濱口教授は2007年に逝去されている。

 また李遠哲は、名古屋大学との関係が深く、2003年に同大学から名誉博士号を授与された後、同大学高等研究院名誉院長を野依良治元理化学研究所理事長と共に務めている。
 さらに、日本の学術界の最高権威である日本学士院の客員でもある。

参考資料

・ノーベル財団のHP https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/1986/lee/biographical/
・台湾中央研究院原子・分子科学研究所HP https://www.iams.sinica.edu.tw/tw/?link=member&id=1
・The Vega Science Trust Videos HP “Yuan T Lee - Science Video Interview~Nobel Prize 1986 for contributions concerning the dynamics of chemical elementary process” http://vega.org.uk/video/programme/284