Deng-Xiaoping Era

 ここでは、1976年末に四人組が逮捕されて以降、主として鄧小平が指導した時代の歴史を概観し、科学技術に関係する政策、事件などについて触れる。

南巡講話を行う鄧小平
鄧小平時代の科学技術政策概要

鄧小平時代の科学技術政策は、文革の破壊と混乱を立て直すことが第一であった。鄧小平は、科学技術を重視し、四つの近代化を推し進めた。

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高考の復活後の清華大学の学生
高考の復活~高等教育の正常化

高考の復活は失脚していた鄧小平が文革終了後に行ったもので、これにより中国の高等教育や人材育成は正常化された。

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全国科学大会の開催
全国科学大会での鄧小平演説

全国科学大会は、文革後の科学技術再構築に向けた会合であり、鄧小平はそこで四つの近代化の実施などの演説を行った。

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四つの近代化

四つの近代化は、復活した鄧小平により実施された政策で、科学技術の推進が国家の最優先事項の一つとなった。

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郭沫若の写真
科学の春~郭沫若の講話

科学の春は、文革終了後の1978年に開催された全国科学大会で郭沫若が提出して代読させた講話のテーマである。文革の破壊と混乱から科学技術の回復を目指す機運を象徴している。

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全国科学技術発展計画要綱(1978年)

全国科学技術発展計画要綱(1978年~1985年)は、文革後の1978年に採択された中期計画であり、文革の混乱と中断からの回復を目指した。

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留学生派遣の再開~米欧日などに派遣

留学生派遣が、西側諸国との科学技術交流が復活することにより再開した。米欧日などの国々に多くの有為な若者が留学していった。

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学位条例の制定~博士号授与が可能に

学位条例は、文革後の1980年に欧米的な学位制度の確立を目指して制定された。これにより、中国国内の大学でも博士号の授与が可能となった。

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科学技術発展計画(1986年~2000年)

科学技術発展計画は、四つの近代化路線に基づき科学技術の経済社会のより緊密な連携を求めるもので、1982年に承認された。

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資金プロジェクトの開始(1982年~)

資金プロジェクトは、建国以来の組織単位での科学技術資金配分に、テーマによる資金配分を追加するものであり、1982年以降次々と実施された。

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難関突破計画の成果
難関突破計画の開始(1982年)

難関突破計画は、国民経済と社会発展の中で重要な課題を解決するために1982年に開始されたプログラムである。

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国家重点実験室の開始(1984年)

国家重点実験室は、限られた研究資源や研究人材を特定の実験室に集中させ、世界水準の研究を実施させることを目指し、国務院が1984年に指定を開始した。

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星火計画~農村の技術と農村企業の支援

星火計画は、国家科学技術委員会が1985年に開始した農村の技術向上と農村企業の支援に特化したプログラムであり、農村の活性化に貢献するものである。

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科学技術体制改革に関する決定(1985年)

科学技術体制改革に関する決定は、科学技術活動の運営、組織構造、人事制度の改革を行うことにより、科学技術と経済社会の調和のある発展を促進することを目指し、共産党中央が1985年に公表した。

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国家自然科学基金委員会の写真
国家自然科学基金委員会(NSFC)~競争資金導入

国家自然科学基金委員会(NSFC)は、大学や研究機関の基礎研究に対して競争的な資金援助することを目的に、1986年に国務院に設置された。

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863計画を提言した王大珩
863計画~ハイテク研究プロジェクト

863計画は、21 世紀初頭にハイテク分野で世界レベルに追いつくことを目指して開始された、プロジェクト主体の研究開発計画である。

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国家ハイテク産業開発区
国家ハイテク産業開発区~ハイテクの地方展開

国家ハイテク産業開発区は、ハイテク産業が集積する地区を中国全土に建設する目的で、1988年に開始された。

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たいまつ計画~研究成果の商品化・産業化

たいまつ計画は、科学技術部が1988年に、科学技術における研究成果の商品化、産業化、国際化を促すことを目的に開始した。

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中関村の父・陳春先
中関村ハイテクパーク~ハイテク企業の育成

中関村ハイテクパークは、国務院が1988年に国家ハイテク産業開発政策の一環として、ハイテク企業の誘致と育成を図るため北京市海淀区に設置した。

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科学技術体制の深化に関わる若干の問題の決定

科学技術体制の深化に関わる若干の問題の決定は、研究機関に競争的なメカニズムの導入し、研究機関の所有と経営管理の分離などを促すものであった。

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南巡講話時の鄧小平
南巡講話~改革開放路線堅持

南巡講話(南巡讲话)とは、1992年春に鄧小平が中国南部の都市を視察した際に行った一連の重要な談話であり、改革開放路線の堅持を確認した。

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参考資料

・JST中国総合研究・さくらサイエンスセンター『中国の科学技術の政策変遷と発展経緯(PDF)』2019年
・天児慧『中華人民共和国史』岩波新書 2013年
・天児慧『中国の歴史11 巨龍の胎動』講談社 2004年
・安藤正士『現代中国年表1941-2008』岩波書店 2010年